傷だらけの天使
もう、その後が大変だった。
「コラ、逃げるなレグルス」 「うーー…っ!」
侍女が手伝いながら体を洗おうとしたのだが、レグルス君は警戒しっぱなしで全力で逃げてしまい、木の上などに昇ったりして湯殿にも連れていけなかった。
それを見かねたシジフォス様自らレグルス君の泥だらけの体を湯殿で洗い流しているのだが、髪はもちろんの事どこを洗っても全然泡が立たないのだ。
肌は垢が溜まっていて擦ればボロボロと落ちてくるし、流れた湯は泥まじりで濁っており、時々虫も湯に流されて転がってくる始末。
服を着たまま湯殿に入っているシジフォス様だったが、レグルス君が嫌がって暴れるせいでビショビショだ。 シジフォス様のお着替えも用意しなければならないだろう。
「よし、終わったぞ」 「!っわ」
そう言われるや否や、ビュンッと逃げるように裸のままコチラへ走ってきたレグルス君を持っていた大判のタオルで抱きしめて捕まえる。
始めは嫌そうにジタバタしていたがタオルがフカフカしているのが気持ち良いのか、芋虫のような状態のまま大人しくなった。
「……しおりすまない、助かった。ほらレグルス、そのままでは風邪をひいてしまうぞ」 「……」
ゴソッと芋虫が身じろぐと、茶色の髪がタオルから這い出して綺麗になった顔が覗く。
水を吸った髪が煩わしいのか、まるで犬猫のようにぷるぷるっと頭を振ってからジッと幼い目がこちらを見上げてくる。
……その瞬間、しおりは思わずタオルを落としそうになった。
「う、わ……」 「?、??」
不思議そうな顔をして首を傾げているレグルス君を見下ろしながらも感嘆の声を上げる。
綺麗な茶色の髪と透き通るような青い目。 そして、女も羨むほどの白い肌にあどけない顔。 どれをとっても、とても可愛らしくて、尚且つそれが憧れのシジフォス様に似ているのだ。
(天使……!!シジフォス様似の天使が居る……!!)
はわわ…と口を開けたまま閉じずにいると、レグルス君がキョトンとしながら指で唇に触ってきた為やっと我に返って口を閉じる。
「……レグルスも懐いているようだし、後はしおりに任せていいだろうか」 「はい!え、懐いて、る…?」 「じゃあ、私はこれから急いで報告書を書かなければいけないんだ。レグルスも、あまりしおりを困らせないようにな」 「…、……っ」
ハハ、と笑ったシジフォス様は着替えを手にするとそのまま書斎へと向かった。
レグルス君は、一瞬酷く不安そうな顔をしてその後ろ姿に何か言おうとしていたが結局何も言わずにうつむいてしまう。
残された侍女達が泥だらけになった湯殿の掃除等を始めたり、食事を作りに向かうのをぼうっと見ていると正面から視線を感じて再びレグルス君へと視線を落とす。
ぽたぽた、と水が滴る前髪の隙間から、まるでコチラの動きを逃さないようにするかのようにジーッと青い瞳が見つめてくるのだ。
「寒くない?とりあえず着替えようねー」 「………」
抱きしめていた腕を放し、とりあえず傍にあるカゴに用意されたレグルス君の服を取ろうと彼に背を向ける。
しかし、クンっと突然服が引っ張られる感じがして後ろを振り返ると、大判のタオルに包まっているレグルス君の小さめな手がギュウッと強く私の服を掴んでいた。
「レグルス君?どうしたの?」 「…………ぉ、お、あ…ぅ」
まるで初めて言葉を発するかのように喉に手を当てて声が出ることを確かめてからコチラを見上げきた少年の目はさっきと打って変わって酷く寂しそうな、不安に塗りつぶされた色をしていた。
まるで、迷子の子供だ。
ギュウウ、と服を掴む手に力が込められ、それが震えているのが分かった。
「ぉれ…ぉ……お、い…てかな…いで」
“俺を、置いて行かないで”
まるで言葉の意味を確認しながら辿たどしく発せられた言葉の意味を理解した瞬間、私はなりふり構わずに少年を掻き抱いてもう一度強く抱きしめていた。
シジフォス様が私に任された少年は、私が想像しているよりも大きな傷を胸に秘めているのだ。
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