-碧の瞳-01 

「……たく、パンドラ様も人使い荒いよな」


人気のない長い回廊を歩きながらぼやくチェシャの声は誰にも聞かれずに空気に消えていく。



(でもま……あのエレナとかいう女、好きじゃねぇし、いっか)


パンドラのような少し危険な色気を漂わせたグラマーな美女の機嫌を取る方が得策だと考えたチェシャは、タタッと回廊を駆けてエレナの元に急いだ。




「あの女の弱味とか握ったら、パンドラ様に褒めて貰えるかなー!」


よくやったぞ、チェシャ。と頭を撫でてくれるパンドラの笑みを妄想したチェシャは笑みを深めた。



(……さてと、)


指を鳴らし、意気込んだチェシャは「また来たぞー」とバンッと勢いよく扉を開いた。




「!…チェシャ?」


そこには鏡台に手をついて涙を滲ませているエレナがいて、何故か動揺してしまった。

とりあえず、昨夜散々自分を「可愛い可愛い」と茶化していた女ではなかった。



「どうか、した…?」

ぐいっと涙を拭い、首を傾げたエレナに「いや、別に……」と弱々しい言葉を返した。



変なタイミングで来ちゃったな……と心の中でぼやくも、衣を引きずるようにして近くまでやって来たエレナは、しゃがんでチェシャと目線を合わせるとホッとしたように微笑んだ。



「……そうね、まだチェシャが居たわ」
「?なんだよ!」
「ううん、こっちの話」



猫を撫でるように頭に触られるのが、なんだかくすぐったくて振り払いかったが、「弱味を握るためだ!」と己に言い聞かせて耐えた。


だが、そのエレナの表情が異常に優しい事から、むず痒くなって「なんで笑ってんだよ」と顔を逸らしながら問うた。



「……こうして撫でてると、ある人にもこうして撫でて貰ってたなって、思い出すの」
「何、恋人?」
「ううん、恋人ではないけど……とても大事な人よ」



"それ"を語った時の目が、すごく透き通っていて優しい。

ただの他人を回想するのに、こんなに優しい顔をする筈がないだろうに。




「会いに行けばいいじゃねぇの」
「……パンドラが閉じ込めて、今はヒュプノスに捕われてるから会えないの」
「!?」



(もしかして、あのハーデス様の器の……)


考えに思いを巡らせるチェシャの手に何かが落ちてきて、グイッとそれを拭う。



(涙……?)


顔を上げると、エレナはまた静かに泣いていた。

熱い雫がチェシャの手の上で弾ける。




「……本当、擦れ違ってばかりね」
「……」


自嘲するかのように微笑んだエレナは、顔を逸らした。

それがどこか痛々しくて、チェシャの胸の奥も痛んだ。



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