-堕ちた聖女-02 

「エレナ、次はこっちよ」
「…ええ」


小宇宙を抑えて侍女に紛れるエレナは息をついた。

一度も休憩をせず、夜を通して色々な仕事をした。
やることは本当にたくさんある。



白紙の本を金星に持って行ったりしたが、そこでは数え切れない侍女たちがロストキャンバスで死した人々の生涯の記録を書いていたのだ。



「……」


不老不死で病でも倒れない体を持つスペクター。

その雑兵や侍女の数も、明らかに倍に増えている。
それ程、死人(しびと)の数も増えているということなのだろう。


………でも、死んでるのに今もこうしてこき使われている。


彼等は苦しいと、思わないのだろうか。

これでは、まるで………


「っ」

ぶるっと寒気してエレナは肩をすくめた。


「エレナ?」
「……ごめんなさい、私少し休むわね」
「後でまた」


軽く手を振り、スペクターの影を避けながら休み処を求めてを歩く。


迷路のような場所を抜けると、大きな空間に出た。
3階分くらいに天井が高く、どうやら此処は二階くらいの高さに当たるらしい。

下を見下ろしながらため息を漏らした時、奥に薄布で仕切られた空間を見つけ、そこでは黒い服を着た青年が居て絵を描いていた。



「!」

(ハーデス……)


表情を伺うことは出来ないが、その様子から真剣に絵と向き合っている事は分かった。

足元に画材道具が散乱している事から、おそらく夜通しで絵に取り掛かっていたに違いない。


「……っ」


愛おしい人を思い起こす光景に胸がいっぱいになり、口を抑えて嗚咽を飲み込んだ時、カツッと靴音が響く。


「ハーデス様」
「!」

姿を現した漆黒の美女に、慌てて影に身を隠して息を止める。



「何用だ、パンドラ」
「ハーデス様。器の少年の影を消すためとはいえ、貴方様を夢界へと落とした事、なんとお詫びすれば……」
「よい。アレも余を思っての事であろう」


そのハーデスの言葉を聞いて綺麗に微笑むと、近づいてハーデスの頭をそっと撫でる。


「お疲れでしょう……。貴方様の計画はアテナなどには邪魔させません。どうかお休みくださいませ」
「………」


小さく頷き、パンドラに寄りそう姿を見て、胸が針のムシロに刺されたかのように激しく痛んだ。



(………あ…)

遠い過去にハーデスに貫かれた傷がズキズキと痛み、同時に首を絞められた時の爪痕も熱を持ち始める。


首と胸を押さえながら膝をつき、二人に気づかれないように乱れそうになる呼吸と小宇宙を押し止める。

しかし代わりに感情がグチャグチャに混ざり、自分が美しい二人に対して醜い嫉妬をしているのだと分かっていても、止める事は出来なかった。



(……嫌…、)


触らないで。


彼に、触らないで。




"私の"彼に、触らないで……



「!……わたし…」


ハッとして目を開いた時、急激に思考が冷えていくのが分かった。



(今、なんて……?)


アローンは、エレナを好きと言ってくれた。でも、彼はコチラの気持ちを受け取って返事を聞かなかった。


それが、アローンの優しさだ。


だから、心から気持ちを通わせたわけではない。

なのに、今自分はなんて思った?


(今のは、私の気持ち……?それとも――……)



「―――!」


その場から逃げるようにエレナが立ち去った時、ハーデスはフッと目を開いて二階部分を見上げた。

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