失策 01 「成る程、遠隔透視魔法と光魔法の併用ですか」 「はい。実験をしてみたのですが、遠隔透視魔法単体よりも併用させる方が目的地までの到達が早いです。 しばらくこの魔法式をデモで採用して頂きたいのですが…」 「良いでしょう。さっそく定期報告で使わせます」 「ありがとうございます」 政務室の奥に座している紅明様へ報告に来た文官達の列に並び、前に居た文官達の報告の仕方を真似て研究成果を報告する。 紙の束が積み上がった机に座っている紅明様の目元には、徹夜明けの証明である隈がくっきりとついていた。 カンニングペーパー代わりの報告書を読み上げていた最中、ふいに書類から目を離した紅明様にじっと見上げられ、つられるように顔をあげて首を傾げる。 「え、っと何か…?」 「いえ。部下から報告が上がっているのですが……ここ最近ずっと休みを取らずにいるとか」 「ついつい研究にのめり込んでしまいまして…」 「仕事熱心なのは結構ですが、貴女の下の者たちまで休まずに過労になられても困ります。上に立つ者として、たまには休息を取って貰わなければ」 確かに連日まともに休んでいない気がする。 夜はちゃんと紅覇様の処に戻ってはいるけれど、疲れている私に気を遣っているのか、労るように寝かしつけてくれていた。 それも含めて恐らく全部お見通しなのだと思いながら、大人しく拱手を返す。 「はい、気を付けます」 「では、戻っていいです、次の…」 「…――紅明様、ちょっと」 「忠雲?」 スッと紅明様の脇に控えるように立った忠雲様。 何かを紅明様に耳打ちするや否や、紅明様の顔色が一気に険しくなる。 村を制圧しにいった時に一瞬垣間見た、あの静かな怒りの表情で隣の忠雲様を流し見る。 「……――は?それは確かな情報で」 「ええ。そのまま此方に帰国されるという報告も受けました」 「何て事を…。それであちらの国は?」 「『銀行屋』からの連絡では、まもなく始まると」 「今すぐ制圧準備を。沖合にも船を数隻配備させるように。 急がなければ、数年掛けた計画が全て無駄になります」 「畏まりました」 焦った様子の紅明様の指示に従い、サッと駆け出す忠雲様。 周りの文官達も何事だろうか。とザワつく中、黒い扇を強く握りしめた紅明様が怖い顔をして怒鳴るように声を張ったかと思えば。「今すぐ軍議を開きます。閣下と紅覇に緊急招集を!」と宣言する。 その声を聴いた文官達はサッと表情を引き締めると、まるで蜘蛛の子を散らすように一斉に政務室から駆け出していく。 まるで導火線のように、文官達が出て行った先からどんどん禁城内のルフの気配に緊張した色が拡がっていく。 殺気にも似た気配に、ピリッとボルグに一瞬だけ緊張が走った。 「……何て事をしてくれたんでしょう。その行動が、どれほど無責任だと…」 机に片肘をつきながらグシャグシャと髪を掻き乱しては、ブツブツと愚痴のように何かを呟く紅明様。 出るタイミングを見失ったけれど、かといって声をかけるのも憚られる。 そっと部屋の隅を目指しながらソロリソロリと後退していると、「まだ居ましたか」と底冷えするような紅明様の声に、ビクッと肩が跳ねる。 「申し訳ありません、今すぐ出て行きますっ」 「……いいえ、別に構いません。いずれ耳に入る事です。 魔法研究所の今後にも関わるかもしれませんし、そこに居なさい」 「はい」 ピシッと背筋を伸ばし、壁に張り付くようにして立つ。 そんな此方の様子をチラリとみた紅明様が口元だけ緩めて笑い、「まあまあ、そんなに肩を張らなくても」と少しだけ和らいだ声を出しながら椅子の背もたれに寄りかかる。 「……何があったのか、聴いても宜しいですか?」 「そうですね…。簡単に言うと、紅玉の婚姻が破談になりました。 おまけに、あちらに居る『組織』がだいぶ内紛に細工をしていたようで、堕転寸前の国民が城に押し寄せ、大規模な内乱が始まります。あるいは、もう始まっているか…」 「紅玉お姉様はご無事でしょうか?」 「ええ、紅玉は無事です。まもなく此方に帰国するでしょうね。 ただ、あちらに残されている神官殿がだいぶ深手を負っていたとのことです。命に別状はないようですが…。 おまけに大規模な内乱………急がなければ、バルバッド王国は国民諸共滅びますよ」 淡々とした声でそう言う紅明義兄様に、背筋がゾッとする。 「例の『組織』によって、ですね」 「…そうならぬよう、先手を打ちます」 バタバタとなだれ込むように政務室に入ってきた大臣やら秘書の文官達、兵士と思われる屈強な男性達、皆が慌てた様子で着席する中、最後にやってきた紅炎様と紅覇様。 紅覇様に見つかるや否や「天音じゃん!こっちおいでよぉ〜」と手招きされ、椅子に座った紅覇様に隣に座るように言われる。 その席に元々座っていた大臣が「え!?」と驚きながらも立ち上がり、困ったように右往左往しているのが心苦しく、全力で断わって紅覇様の背中側に控えた。 「ちぇ、折角天音も居るって言うのに」 「スキンシップは後にしなさい」 「はあい、兄上」 つまらなそうな声を発しては、腕を組みながら椅子に深く腰掛ける紅覇様。 紅炎様が「始めろ」と小さく発すると、紅明お兄様がサッと立ち上がる。 「先程、バルバッドの諜報員より至急の報告が届きました。 バルバッド国王、アブマド・サルージャが失脚。相次いで副王もその座を辞し、バルバッドは王制を廃止すると。勿論、練家の皇女との婚約は白紙。 "バルバッド王国"は滅んだモノとして、今までの負債を免除した上で、共和制での自治を認めるように陛下に求めていると。七海連合の外交長官達まで雁首揃えた上で、宣言したようです」 「はああッ!!?何だよソレ!!」 紅覇様がひっくり返った声で叫ぶ中、大臣達も全員困惑した表情でお互いを見合う。 確かに有り得ない。どうすればそんな滅茶苦茶な話になるのだろう……。 王制が廃止されたからと言って、他国に負った負債がゼロになるわけがない。 制度が変われば、そこに請求先が移るだけ。 けれど、それはきっとお姉様たちも分かっている筈。 ということは、何か別の理由もあったのかもしれない。 「紅明皇子、確か調印式は明日だった筈では……?それが、今日になっていきなり…誠でしょうか?」 「ええ、現実です。おまけに、現在バルバッド内は内乱が起きる寸前だという報告も受けました。国力をこれ以上損なうわけにはいきません。 ですので、本日より軍事介入を開始します。都市整備と臨時政府の発足を行うにあたって、派遣する人材を何名か選出しておきました。 名を記した一覧を届けさせますので、各省の責任者は必ず確認を。調整が必要であれば早急に。 では、バルバッド制圧作戦の詳細を詰めます」 手元に指示書でもあるかのようにテキパキと仕事を割り振っていく紅明様。 その様を呆然と見つめていると、ちらっと私を見た紅覇様が『ね、明兄は凄いでしょ?』と小声で言っては誇らしげな顔でフフンと笑った。 紅明様が詰めた内容の話をしはじめるとサッと真剣な表情で前を向く紅覇様。 幾つか反対意見のような物もあったが、その意見を取り入れた上で柔軟に対応している紅明様に羨望の眼差しを向ける。 そして、その提案に対して大臣達があれこれと今後の影響などについて議論を始めてしまい、話していた紅明様が無表情になって口を閉ざす。 長く続くかと思われた議論だったものの、深くため息をついた紅炎様が冷めた目で睨み付けると騒がしい声が一瞬で凪いだ。 「……他に有意義な意見する者が居ないのであれば、これで終わりにする。 各自持ち場に戻れ」 今まで黙って聴いているだけだった紅炎様の一言に、周りが短く返答するや否やまた慌ただしく部屋を出ていく。 あっという間に人口密度が激減した政務室には、持ち場に行こうとしたのに紅覇様に腕を引かれて捕まった私と、紅覇様。 機嫌が悪そうな顔で立ち上がった紅炎様と、直立不動で動かない紅明様が残された。 戻る ×
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