異端皇子と花嫁 | ナノ
希求 01 


「シン!」
「…お、おお、貴女まで来たのか」
「ああ、一応来るって伝えておくように言ってたんだが……ちゃんと伝わってなかったみたいだね。…それにしても良い格好になってるねぇ」
「………」


テラスの中、気絶しながら吐いた天音の背中を擦るシン。
その服の裾は吐瀉物が跳ねてしまっている。

キュッと口を一文字に引き結び、何とも言えない顔をしているシンを尻目に、腰から煙管を取り出す女将。


「どうせ、その子に飲ませたのはお前だろ?自業自得だよ」
「…所で。貴女はどうして此所に?数日以内には出国すると聞いたが」


紫煙を吐き出した女将は、帯の中に隠していた手拭いを出すと天音の口元を綺麗に拭う。


「あんたが本当にその子を手放す気があるのか確認しに来たのさ」
「ほう?」
「その子を王宮で囲って何か手伝わせて……あんた、何を企んでるんだい?」
「人聞きが悪いな……そんな事しないさ」


手拭いをたたみ直して帯に仕舞った女将は、ぐったりしてる天音の肩を引いてシンから離すとペシペシと頬を叩く。しかし、無反応なのを見受けると小さくため息を漏らして煙管の火を落として腰帯に仕舞い込んだ。


「この子……何処かの国の王族だろう?
利用しようだなんて変な事考えたら、承知しないよ」
「気づいていたのか」
「当たり前さ。あたしだって伊達に商人をやっていないよ。
容姿だけでも、平民じゃないってことが分かるさ。

…後ね、トラン語をあんなに流暢に使っているのをみて確信した。ただの貴族でも、あれだけトラン語の教育を受けさせているところは無いだろうからね。
それに、宝石や品物の目利きは大したモノだ。そういう環境で育ったんだって、すぐ分かる。……だとすれば、まあ何となく、ね」


吐瀉物で着物が汚れるのも厭わずに天音を抱き上げた女将は、「よしよし、気持ち悪かったら吐いちまいな」と優しく背中を擦る。
その姿は、まるで赤子をあやす母親のようだ。

孫であるアシルに接するのと同じような慈愛の表情をしている女将の姿に、シンは感心したような声を漏らす。



「慣れているんだな」
「昔、レームで旅館を営んでたおかげでゲロは見慣れてるし、子供も慣れてるんでな。……まあ、その旅館業にのめり込み過ぎちまって、旦那も亡くして、一人娘にも逃げられちまったんだがね」
「……」
「『世界を見てみたい』って駆け落ち同然で出て行った娘が、病気で死ぬ前に寄越した子がアシルさ。
だから、あたしは旅館を閉めて世界中の事を孫に見せてやることにしたんさ」


西大陸から、東大陸へ。
盗賊が多い地域を避けて、出来るだけ安全なルートを通って大陸を横断して…。

そんな生活を数年続け、道端で倒れてたこの子を見つけた時、咄嗟にこう思っちまったのさ。



「嗚呼、居なくなった娘が帰ってきたんじゃないかってね」
「…それは」
「勿論、この子は全然娘に似てないさ。容姿も性格も、何もかも。
あの子は、あたしに似て無愛想で、どうしようもなく不器用で、中途半端に生きる事が出来ない馬鹿だったから。
でも、似てないはずなのに……この子を見てると娘を思い出すんだ」


汚れに塗れ、苦しげに呻いている背中を擦り、ぎゅっと優しく抱きしめる。


「姫だろうとなんであろうと、この子はあたしの娘同然。
何か変な事には利用させない。
あたしが、この子を故郷まで連れていく」


高らかにそう宣言すると、眉を下げて困ったような表情をしたシンは後頭部を掻く。


「俺も、調べさせてはいるんだが……煌にはそれらしい姫は居ないんだよな…。
後宮も、ほとんど人が居ない」
「こう?」
「いや、忘れてくれ。
そうだな…今夜はゆっくり休んで、明後日国を出るといい。
なんなら、昼頃がいいかもしれない」
「………」
「またいつか会おう。女将殿」




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