取引 01 「ん〜…疲れた…」 寝台の上で足を伸ばしつつ、肩を揉む。 紅覇様指導の下、初めて公的な報告書を書き上げて紅炎様の臣下に渡した。 今までは魔法の研究資料とかばかりだったし、魔導士である先生が読める事前提で文書をしたためていたから、非魔導士が見ても分かるように説明することが意外と難しい。 それに紅覇様のダメ出しも結構直球だから、凹んだ。 湯浴みは済ませたし、後は紅覇様が湯浴みから戻ってくるまで長い髪の毛を乾かすだけ。 紅覇様が戻ってきたら髪をお手入れして貰って、それから一緒に眠る それが最近お互いに夜の時間がある時の習慣。 紅覇様は美容に気を使われているから、私よりも長風呂だし、その後のご自身のお手入れも念入りにされてる。前に待ちきれなくって少しだけ紅覇様がお手入れしている最中を覗き見したことあるけれど、顔や体に色々な薬品や香油を塗りたくったり、マッサージしたり、髪の毛も念入りにお手入れしていた。 湯浴みから上がってくる紅覇様を待っているのも暇で、たまに寝落ちしてしまう。 でも、朝起きたら髪の毛が艶々になっているから、きっと私が寝ている間にこっそり紅覇様がお手入れしてくださっているのだろう。 (……それはそれで申し訳ないから、頑張って起きておかないと…。) でも長い髪の毛の水滴をわしゃわしゃと大判の布で拭うのにも飽きてしまい、侍女にこっそり手伝って貰おうかと、寝台の端に寄って床に足をつけた時。 「あの…!こんな夜分遅くに、困ります。姫君もお休みになられておりますので…っ」 「主の命ですので」 ガシャンと金属同士が擦れ合う重たい音を立て、寝室に入って来た男性を見上げる。 長い前髪と兜を深々と被っているせいで、目元は全く見えない。 初めて見る方だ。 その男性の後ろで、私の侍女達が困惑した顔でおろおろしている。 「天音様ですね。夜分遅くに失礼いたします。俺は練紅明様直属の臣下、忠雲と申します。我が主がお呼びです。今すぐ来られるようにと」 「……紅明様が?ですが、私はこの通り人前に出られる格好ではありませんし、紅覇様も今湯浴みをされていて不在です。申し訳ありませんが、日を改めるか紅覇様が湯浴みから上がられるまで、少しお時間を頂けますか」 「いえ、紅覇様がいらっしゃらない今だからこそ、すぐ来るようにだそうです。 紅覇様には内密に。様相は構わない、と」 「?分かりました」 まだ少し湿っている髪を指で軽く梳いて結わえ、寝巻きの上に薄手のモノを羽織って、袖の中に魔法の杖を忍び込ませた。 深夜に男女で回廊を歩いていては良くないだろうと、侍女を一人連れ歩く許可を求めるとあっさりと快諾される。 「とりあえず、俺は早く連れてくるようにとしか言われていないので。ついて来て貰えるのであれば、何でも構いません」 「左様で。…では、紅明様の所まで案内をお願いします」 軽く会釈してサッと踵を返して歩き出した忠雲の背中を、見失わないように気をつけながら侍女と共に薄暗い回廊の中を進んでいく。 紅覇様の屋敷を離れ、巨大な禁城の中へと足を踏み入れると侍女が不安そうにため息を漏らした。 「本当に、第三皇子様に何も言わなくて大丈夫だったのでしょうか…」 「紅明様は紅覇様のお兄様ですし、大丈夫よ。それに、何かあれば私が貴女を守るから」 侍女と寄り添うように手を繋ぎ、袖の中に忍ばせた魔法の杖を強く握りしめる。 暗い中もぴったりと身を寄せ合う事で、もし何かあっても彼女は私のボルグの範囲内だから、対応することができる。 緊張感で背筋が自然と少し丸くなりつつ、ギュッと侍女の手を握ると同じように握り返された。 「さあ、此方です」 「………」 禁城に多くある書庫の内の一つの扉を押し開き、此方を見つめる忠雲。 侍女と共に扉を潜ろうとしたものの、「お待ちを」と軽く制止されてしまう。 「これより先は天音様お一人でお願いします。お付きの方は俺と此所でお待ちを」 「ですが、」 「危害を加える気はありませんからご心配なく。紅明様がお待ちです」 「…分かりました」 蝋燭の明かりしかついていない書庫内は薄暗く、背後で扉が閉められる音にもビクつきながら顔を上げる。 そこには赤紫色の髪を一束に纏め、分厚い羽織をいくつも肩にかけて椅子に腰掛けている男性を見つけて息を飲む。 「嗚呼…こんばんは、天音殿。こんな時間にお呼びして申し訳ありませんね」 体全体から疲労感を漂わせ両目の下にくっきりとした黒い隈を残しながら、無理矢理作り込んだ微笑みを浮かべる紅明様。 前に言葉を交わした時には、背筋を伸ばして凛とした立ち振る舞いをされていたのに、今は猫背でなんだかぐったりとしている。 「此方こそ、お待たせしました。紅明様。急ぎの用とは一体…」 「まあ……立ち話もなんです。其処にお掛けください。」 まるで高齢の老人のように、弱々しく震える腕に示された椅子にそっと腰掛ける。 「それで…えーっと…何処から話そうとしたんでしたっけ…」と言葉を発する毎にだんだんと瞼が重くなってきたように目をショボショボさせていく紅明様。 うーんと頬を掻きながら、小さな紙を広げて眉を下げた。 「……紅覇から渡された許可書にあるのは、確かに私の字なんですがね……うーん…書いた覚えがない…」 「許可書?」 「いいえ、こっちの話です。兄王様に宛てた報告書、私も目を通させて頂きました。 貴女のおかげで被害が最小限に済んだ事、感謝します。それと、部下からも今回の件を幾つか検証した内容が先程届きました。対応を間違え、あのまま破壊していれば大爆発を起こす危険性もあったと」 「……そ、なんですね」 「ええ。なので、今回の貴女の対処は最善であったと思います。 迷宮生物も、保護して今は眠らせています。 それで今慌てて呼び出したのはですね…。今回の事で、兄王様が貴女をもう少し使って……いや、我が国の魔法研究に携わらせてはどうかと言われましてね」 「困りましたねぇ」と困っているというよりも面倒くさげに、のんびりとした口調で話す紅明様を前に、「はあ…」と生返事を返す。 それくらいならば、わざわざ紅覇様を同席させない理由はないと思うのに…と心の中で首をかしげつつ、眠そうに目を細めて書類を凝視している紅明様を眺める。 「それで報告にもあったのですが、貴女は見ただけで魔法式を解析することができると聞きました。それも、煌の技術者が数年かけて編み出した数億モノ魔法式を、半刻もかからずに解いてしまったとか」 「あの時はただ必死だったのですよ、紅明様。魔法式を組んだり、読んだりする事が得意なのも勿論ですが」 「成程……“あの子は必ず役に立つ”というのはこういう意味もありましたか。 ホント、何もかもあの男の掌の上で踊らされているようで少しだけ腹立たしいですね…」 罰が悪そうに頭をボリボリ掻くせいで、元々ボサボサだった紅明様の髪が更にモワッと質量を増した。 おまけに、目を頑張ってこじ開けようとしているせいで、目つきがだんだん鋭くなってきているし…。 「あの……お疲れではありませんか?私、明日にでも出直すのでその時にお話しても…」 「連日徹夜続きで色々処理していましてね。明日爆睡する予定ですので、お気遣いなく。紅覇なしで貴女と話せる機会など、そうそうありませんから」 「気になったのですが、どうして紅覇様抜きで私を呼び出されたのでしょう…?」 戻る ×
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