世界は壊れる。
呆気なく、無惨に。
がらがらと、大きな音を発てて。
私はそれを何処か他人事のように遠くで聞きながら、瞼を閉じた。
そうして世界が終わるとき
「ナオヤ、君」
私が僅かに震える声で名前を呼ぶと、遠くを見つめるように佇んでいた彼は私に振り向いた。
「ああ、ニィナ。これで全てだよ。全部、片付いた」
ナオヤ君はそう言うと、手元にあったそれから手を離した。
途端にどさり、と鈍くも重い音がする。
それは閑散とした嘗て街と呼ばれた場所に虚しく響く。
「ニィナ・・・」
「・・・っ!」
びくり、と私は身体を震わせる。
目の前に、音も無くナオヤ君が近づいていたからだ。
ナオヤ君は私の頬にそっと優しく指先で触れる。
まるで壊れ物でも扱うように、そっと、優しく。
その、血塗れた指で。
「そんな眼をしないで、ニィナ。君を脅かす存在はもういないんだから」
ね?、と首を傾げて微笑むナオヤ君に、私はぞっとする。
その歪んだ笑みに、酷く恐怖を覚えた。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
私は誰かにそう聞きたくて仕方ない。
ロデの一件があって、私たちは現実世界へと還って来た。
時間軸はロデに巻き込まれたその時のまま動いた気配はなく、然れど私たちはそれが夢ではないという記憶と心を確かに共有し合って日常に戻った。
ロデの世界とは違い、魔物は出て来ないし魔法も使えない。
何も不思議なことが起こることのない普通の日常、普通の風景。
それでも私は確かに色々なものをあのロデの世界から貰っていて、ロデとの違いを見つけることでまた違って見えるようになったこの世界が私は好きだった。
だから何か不思議なことが起こらなくても、私はこの平凡な日常が好きで、ロデを名残惜しむように懐かしみつつも、帰って来た日常を私は楽しんで過ごしていた。
けれど、それは不意に壊れてしまった。
それはナオヤ君のあの告白によって。
展望台でのデートの時に打ち明けてくれた、その事実によって。
彼は言った。
魔王リベリウスと契約をして、その身に魔王の力を持っていると。
この世界では有り得ない、魔の力を持っていると。
そして微笑んだのだ。
底知れぬ闇を潜めたあの金色に光る瞳を細めて、歪に。
『この世界を欲しいとは思わない?』、と。
そう微笑んだときのナオヤ君は綺麗で、美しくて。
けれど、残酷で。
金色に光る瞳が妖しく私を映し出ていた。
そしてそれは今も同じで。
私はあの時と同じ金色に光る底知れぬ闇に捉えられていた。
「ナオヤく、ん。どうして、こんなこと・・・」
私は金のその瞳を見つめながら、震える声で問うた。
目の前の光景はあまりにも酷過ぎる。
だって目の前には塵と灰、そして死体の山が横たわっているのだから。
「どうしてって、そんなの決まってるじゃないか。ニィナ・・・・君の、為だよ」
ナオヤ君は微笑む。
残酷な程美しく、歪に。
狂気の色を携えて。
「この世界は君に酷いことをする。君を傷つける。オレは君を傷つける存在は赦せないから。脅かす存在を野放しには出来ないから。だから、」
と、ナオヤ君は真っ赤な筋を私の頬に残して私の身体を引き寄せた。
「オレは君を守る。その為なら、何だってしてみせる。君以外の存在を全て滅ぼすことも、この世界を壊すことも、全て。君を守る為なら、どんなことも厭わないよ」
そう微笑んだナオヤ君は、本当に何処までも純粋で。
それ故に何処までも歪んでいて。
「ねぇ、ニィナ。君はこんなオレを酷いと罵る?それとも嫌いと拒絶するのかな?ねぇ、どっち?」
問い掛けるナオヤ君の瞳は、酷く淋しそうだった。
嗚呼、彼は狂ってしまっている。
壊れて歪んでしまっている。
でもそれは全て私のせいだということが判っているから。
私を想い、私の為と、彼が思って行動したことだから。
例えそれが私が望んだことではなくても、例えそれが押し付けがましいそれだとしても。
彼は私の為だけにあり、私の為だけに行動している。
それを思うと私は彼を罵ることも拒絶することも出来ず、責めることすらも出来なかった。
だってそうしてしまったのは、紛れもなく私なのだから。
「罵りも、拒絶もしないよ。嫌ったりなんて、しない。ただ、哀しいだけだよ」
私は小声で呟く。
歪んだその瞳を見つめて。
優しい狂気を見据えて。
「ニィナ・・・ごめんね。君を泣かせたいわけじゃないんだ」
そう困ったように苦笑すると、ナオヤ君は私の頬を伝う冷たい滴を綺麗な指先で拭った。
その際に、先ほどナオヤ君が残した赤い痕が曖昧にぼやけて拭い去られる。
赤い滴がぽつり、と地面を濡らした。
「オレはただ、君を傷つける全てが許せなかったんだ。君を、守りたかった。オレ以外の全てから」
「・・・そうして行き着いたのが、この結末だったんだね」
「結末だなんて、酷いな」
ナオヤ君は笑う。
狂気の笑みで。
「これは終わりじゃない。始まったばかりだ。いや、まだ何も、始まってない。これからが、始まりだ」
「まだ何か、するの?この、誰もいない、何も無い、二人だけの世界で」
そう問い掛けると、ナオヤ君は心底楽しそうに、嬉しそうに笑った。
否───嗤った、のかもしれない。
最早ナオヤ君の表情からは彼の本来の心情を読み取ることは難しかった。
ナオヤ君は常に狂気を携えていて、それは喜びにも怒りにも悲しみにも、そのどれもに狂気が孕んでいる。
狂気の無い場所が何処にあるのかなど、寝ているとき以外には私が知るには些か難し過ぎた。
もう全てが狂気に支配されて、私へ向けられるその愛すらも狂気で。
何処までも優しくて、何処までも残酷なナオヤ君は、私からナオヤ君以外の全てのものを奪った。
私には最早、ナオヤ君以外存在しない。
きっとナオヤ君もそれを狙っていたのかもしれない。
私がナオヤ君しか想うことが出来ず、ナオヤ君にしか頼ることが出来ないように。
微笑むことも、触れることも、全てナオヤ君以外に出来ないように。
そう彼は願っての行動だったのかもしれない。
でも、彼は何処までも私の為だけに動く人だから、やっぱり私の為にと願ったことなのだろう。
「大丈夫、怖がらないで。オレは君を傷つけたりしないから。これからオレが、君を幸せにしてあげるから」
だから一緒に幸せな世界に行こう?
そう唇を重ねられて、私は成す術も無く瞼を閉じる。
もう後戻りも出来ない狂気に包まれるまま、私はその身体に身を任せた。
世界は壊れる。
呆気なく、無惨に。
がらがらと、大きな音を発てて。
私はそれを何処か他人事のように遠くで聞きながら、世界にさよならを告げた。
こうして
世界は終わり、
私も、
【お題元:AnneDoll】
2009,5,10