リアルロデ | ナノ


静止した世界。
空も、木々も、風も、大地も、その全てが動くことの無い世界。
そこに唯一動き続ける私たちは、どれだけこの世界には滑稽に映っているのだろうか。

そんなことを空を見上げながら、私は眠りについた。





どうやって逃げ出せばいい?








「───」



声が聞こえる。



「─ぃな」



私を呼ぶ声が。



「ニィナ!」



私はその声に瞼を持ち上げた。
そこにはほっと安堵の息を零すラクロが私に多い被さっていて、心配そうな顔をして見下ろしていた。



「・・・ラクロ、どうしたの?」

「どうしたの、ではありませんよ。貴女は丸々一日寝ていたのですよ?」

「一日・・・?」

「そうです」



頷くラクロを私は不思議そうに見つめる。
彼の表情は不安や恐怖の為か、元々白い肌が酷く青白く見えた。



「どうして一日経ったって判るの?もうこの世界に時間なんて無いのに」



そう問い掛けると、ラクロは少し哀しそうな顔をした。
けれどもその表情は一瞬で、直ぐにその瞳には狂気の色に染まる。
それをラクロは抑えようと、極めて冷静に事実を口にした。



「確かにこの世界の時間は止めました。動くものは最早私とあなた以外何もない。それでも私の───そうですね、体内時計とでも言っておきましょうか。それは正確なので、私の中で時間を推し量ることは出来るのですよ」



そう説明をされて、私は納得した。





ラクロは私に食事の時間や寝る時間を教えてくれる。
時間をというよりも、促してくれるのだ。
私にはそれが正確かどうかは判らないが、決まって言い出すのはラクロ。
だからきっと今まで促された時間は全てラクロの体内時計で推し量った時間内での行動なのだろう。

眠っている私をラクロがあまり起こさないのは私を長い間眠らせてくれるから。
この世界では時が止まっているから、急ぐ理由も無い。
私がこの世界でラクロ以外の大切な存在の時が止まって苦しんでいるのを知っているから、彼は私を眠らせてくれる。





でも、今回は少し違ったようだ。
ラクロは苦しそうな表情で心配そうに私を見つめる。



「最近あなたの眠りの時間が長くなっています」

「そう・・・かな?」

「ええ。初めは八時間は睡眠を取れば良かったのが次期に十時間、半日、十五時間、二十時間・・・・・そして今日は丸一日。日に日にあなたの眠る時間が長くなっている」

「そう・・・なんだ」



私がぼんやりとした様子でそう答えると、見下ろすラクロの瞳に鋭さが宿った。



「あなたは眠っていたいのですか?永遠に」



そう問い掛けられて、私は暫し押し黙る。
けれども私を射抜くその美しい瞳の向こう側に狂気が渦巻いているのを見つけて、ゆっくりと口を開いた。



「永遠に眠っていたくなんかないよ。だってそうしたらラクロに会えなくなっちゃうもん」

「・・・そうですか」



私が言った言葉に安堵したのか、ラクロの瞳から狂気が引いて行く。
そこには優しさしか見えない。



「私は、心配なのですよ。あなたが私のもとから消えてしまうのではないかと」



ラクロは草原に転がっている私の頬を愛しそうに撫でる。
一回一回、私がそこにいることを確かめるように。



「私は、消えないよ。ラクロが、そうしてくれたから」



ラクロがそうしてくれた。
そう、した。





彼は私が現実世界に還るのを許してはくれなかった。
だから彼は願った。



その身に宿る全ての魔力を使ってこの世界の時を止めて欲しいと。
そして私をこの世界に、彼の腕の中に留めておいて欲しいと。



そう願って、叶えた。





だから私が彼の元から消えることは出来ない。
離れることも、出来ない。
元々、する気もないのだけれど。





ラクロは私を切なげに見つめて、頬を撫で続ける。



「・・・『そうしてくれた』、ではないでしょう。私が『そうした』から、でしょう?」



そう問い掛けられて、私は眼を見開く。
私が考えていたことを、読み取られてしまったのではないかと思って。



「私があなたをこの世界に留めたいと時を止めた。だからあなたは私から離れたくても離れられないし、逃れたくとも逃れることは出来ない」



そう、私はラクロから離れて生きることは出来ない。
そしてまた、ラクロも私から離れて生きることは出来ない。
ラクロはきっと、私を失ったら壊れてしまうから。

絶望と喪失で、その心も身体も全て。
哀しみと苦しみと憎悪で狂って、そして壊れて。



彼は、破滅を迎えてしまう。





だから私は逃げられない。
そんな彼を見たくないから。





でも、時折思う。
彼から逃れてみたいと。
彼の元から離れて、あの笑い合った時間に戻りたいと。

そう、皆が笑って動いて話せる、幸せなあの一時に。





だからきっと、私は眠る時間が長くなっているのだろう。
人恋しさに、その時の流るる時間に。
その一時の夢の中で触れていたいから。



「あなたは、私から逃れたいのですか?」

「・・・そんなわけ、ないよ。だって私には、ラクロだけだもの」



そう瞳を見つめて言うと、ラクロの表情が一瞬だけ強張った。
そして瞬時に、その瞳には闇が戻って来る。



「嘘は、嫌いですよ」



鋭い低い声。
いつもなら怖くなって身体が強張るけれど、今日は怖くなかった。
ただ、その苦しそうなラクロの表情に哀しさを覚えるだけで。



「あなたは、私から逃げ出したいのでしょう。それでもあなたはこの世界にいる限り、私から逃れることが出来ない。だから夢の中の幸福に、私が決して手を出すことが出来ない夢の世界に、逃げるのでしょう?」



鋭い瞳。
射抜く闇。

私を映すその瞳には、きっと歪んだ私が映っている。



「夢の先には、誰がいるのですか?王子?それともナオヤですか?」



問い掛けられて、私は口を閉ざすしかない。

だってその通りに夢の向こうには優しく微笑むアルヴァンドも、私の手を引いてくれるナオヤ君もいたから。
そしてその先にはワタルも、シンも、ルキアも、ソマリも。
皆皆笑って私を包み込んでくれるから。





ああ、でも。
いつもその笑顔の先には────





「例え夢であろうと、私以外の存在を想うだなんて許せませんね。そして、私から逃れようとすることも────」





嗚呼、沈む。
闇の世界に。

その澄んだ色の瞳には、計り知れない闇と欲望が渦巻いて。



私を、映す。
私を、汚す。



それでも私は言葉を紡ぐ。
否、彼に口を塞がれ紡げない。
その声音はくぐもった声に消されて、甘い音色に変わって行く。





彼は知らない。



皆の笑顔のその向こう側には、いつもラクロがいることを。
優しく笑い合う、全てに解放されたあなたがいることを。
夢の先でも、私はあなたに捉えられていることを。



彼は、知らない。



そしてそれはこれからも、知ることはないのだろう。

彼が私に囚われ、時が止まったままでいる限り。
私が彼に囚われ、時が止まったままでいる限り。

それは永久に変わることがない。














ふと、ラクロの向こう側にある空を見上げる。

青々と在り続けるその空は、雲の一つも動きはしない。
時が止まったまま動くことのない、唯そこに存在するというだけの空。
風も無く、匂いも無く、認識されなければ最早それは無いのも同じである空。

その空が、時を刻み続ける私たちを嘲るように見下ろしている。
ただ静かに、鮮やかな蒼を映し出しては侮蔑と嘲笑を込めた清閑な眼差しで、私たちの罪を映し出していた。



「何処を見ているのですか?」



彼の狂気の眼差しが私を覆う。
私はそれに笑って、嘲る蒼を覆い隠したその新緑の髪を掻き抱いた。



「私には、ラクロしか見えないよ」



どこまでも囚われて壊れて行く私たち。
その罪が途絶えたその先には、一体何が待っているのだろう。

そんなことに想いを馳せながら、私は闇に堕ちて行った。


























【お題元:橙の庭
209,4,6



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