「あ、ナオヤ君!」
「あら、ニィナ?」
「・・・・・『あら』?」
「何変な顔で見てるのよ。アタシに何かよう?」
「『アタシ』!?」
「全く、変な子ねぇ。何をそんなに驚くことがあるの」
「だっ、だだだだってだってナオヤ君、くっ、口調が!!」
「口調?口調がどうかしたの?」
「どうもこうも、おっ、おねぇ言葉に!!」
「何アンタ、アタシを馬鹿にしてるの?」
「ば、馬鹿にしてるんじゃなくて!」
「この喋り方は元々よ。何今更なこと言ってるんだか。寝ぼけてるんじゃないの?」
「ね、寝ぼけ」
「そうよ。全く、そんなんだからいつまで経っても彼氏が出来ないのよ。もっとしゃんとしなさい。でないとアタシの彼みたいに素敵な彼氏、出来ないわよ?ね、リュオン」
「ふふ、そうだね、ナオヤ」
「え゛。えーーーーーーーーーー!!?」
Baiser d'un apres qu'ecole
「ーーーぃな」
「う、う〜〜〜」
「にぃな」
「ううう〜〜〜〜〜ん」
「ニィナ!」
「う、うん・・・?」
肩を揺すられ名を強く呼ばれてニィナははっと目を覚ました。
「ああ、やっと起きた。魘されていたみたいだけど、大丈夫?」
起きたニィナを見下ろすその人は、ほっと安心したように柔らかな表情を浮かべて顔を覗き込む。
ニィナはその人物を漠然とした頭で瞳を暫くぱちぱちと瞬いて見つめ返すと、少しかすれた声でその名を呼んだ。
「・・・・・ナオヤ君?」
「ん?そうだけど・・・・どうかしたの、ニィナ」
「・・・・・。う、うわぁあああああ!!」
ニィナは目の前にいる人物を理解した途端、驚きの声を上げてもの凄い勢いで座っていた椅子ごとその場から後ずさった。
そのままべったりと椅子の背もたれごと背中と手を窓際の壁に貼付けて、驚きと焦りの表情で呆然と立ち尽くしているナオヤを見つめた。
「ニィナ・・・?」
急に大声を上げて逃げ出したニィナに困惑の表情を浮かべるナオヤは、呆然とニィナの肩に手を置いていたのであろう左手を宙に浮かべたまま立ち尽くす。
しかし半ば怯えるような表情をして己を見ているニィナに、ナオヤは一先ず何もしないと姿勢を正して苦笑した。
「オレ、何かしちゃったかな?もしかして起こさない方が良かった?」
「起こ、す?」
「うん。だってニィナ、机に突っ伏して魘されてるみたいだったから。辛そうな顔をしている君をそのままにしておくのは正直辛かったから起こしたんだけど・・・・・邪魔だったみたいだね、ごめん」
そう申し訳なさそうに謝るナオヤに、ニィナは一瞬きょとん、とした表情で見返した。
「あ、あれ・・・?『オレ』?『アタシ』じゃなくて、『オレ』?」
「・・・?オレはオレだよ?」
「え、で、でも、さっき『アタシ』って・・・私のことも『アンタ』って・・・・それにおねぇ言葉で、リュオンが彼氏で・・・・」
「ニィナ、何を言っているのかよく判らないんだけど・・・・・兎も角、一度落ち着いて?はい、深呼吸」
そう宥めるように促され、ニィナは半ばテンパっていた頭を正常にすることにするために、言われた通りに大きく一度深呼吸をする。
息を肺一杯に満たして吐き出すと、少し頭が冷えたような気がした。
それを確認したナオヤは、ニィナが確りと理解出来るようにゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「ここは学校の教室で放課後。オレは今まで一度も自分のことを『アタシ』とは呼んだことはないし、君のことも『アンタ』だなんてぞんざいには呼ばない。おねぇ言葉も話さないし、リュオンはロデの中の住人で現実世界にはいない。そして何よりもオレは君の彼氏だ。・・・判る?」
そう問い掛けられ、ニィナは周囲を見渡す。
よく周りを見てみると、確かに言われた通りにそこは学校の教室だった。
時刻はもう夕暮れ時なのだろう、部屋は己の背後から差し込む赤い陽射しの夕焼け色に染まっていた。
そして己が座っているのは紛れも無く自分の座席の椅子。
また、目の前の存在のナオヤは確かに自分に何処までも優しい彼氏だし、言葉もいつも通り。
先ほど見た変なナオヤの姿は片鱗も見えなかった。
「ゆ、夢か・・・良かった・・・」
それを漸く脳内で収拾がついて理解をすると、ニィナは全身から力が抜け、大きく溜め息を吐いた。
あれは夢で現実のことではなかったのだと気付いて本当に心から吐いた溜め息のようで、それは何処までも安堵の安らぎをニィナに齎してくれた。
「ねぇ、もう近づいても大丈夫かな?」
一息ついたニィナを確認したナオヤは、苦笑した様子で首を傾げた。
それにニィナは気付いて慌てて頷く。
了承を得たナオヤは少し安心したように笑みを和らげると、ニィナの横の窓ガラスに背を預けて立った。
「どうやら落ち着いたみたいだね」
「う、うん、ごめんね、いきなり大声出して逃げたりして」
「いや、確かにあれには驚いたけど・・・・でも、気にしてないから」
「ううっ、本当に有り難う・・・・・」
失礼極まりないことをしたのにも拘らず、それを笑顔で許してくれる優しいナオヤにニィナは心から感謝する。
しかしその心の内は些か後ろめたく、俯いた頭は上げられない。
「ところでどんな夢を見てたの?オレが教室に来た時には既に眠っていたし、君に近づいたら今度は魘されてる声が聞こえて来たから凄く驚いたんだよ。しかもオレを見た途端に逃げるってことは、さっきの夢で君を苦しめていたのはオレなんだよね?勿論それは君に対しておねぇ言葉で話して自分を『アタシ』だなんて呼んでいて君を『アンタ』だなんてぞんざいに扱っているオレが。しかも彼氏がリュオン?君の彼氏がリュオンとか、オレはちょっと嫌なんだけどな?」
そう言われて、ニィナははっとナオヤを見上げた。
するとそこにはにっこりと素敵な笑みを浮かべてニィナを見下ろすナオヤがいて。
それだけならば何も問題は無い。
そう、問題は無い筈なのだが。
何故かその背後には、真っ黒いオーラが滲み出ていた。
───ナオヤ君、すっごく怒ってる・・・!!
直感的にそう感じたニィナは急速に血の気が引いて行く。
素晴らしく整った顔立ちに素晴らしい笑顔を浮かべたナオヤのその瞳は酷く冷たく、背後のオーラがもの凄く黒い。
それはもう、ニィナにとってはこの上なく怖い笑顔だ。
「あ、いや、そのですね、それはその・・・・」
しどろもどろになって視線を反らし曖昧に口を開くニィナに、ナオヤは益々笑みを深くする。
同時に瞳も細まって更に威圧感が増した。
「ニィナ」
びくり、ニィナは身体を強張らせる。
「こっち向いて?」
正直向きたくもないが身体がその言葉に逆らえず、ぎぎぎと動き出す。
「オレの眼をちゃんと見て?」
逆らえない魔法か何かに操られるかのように、その少し赤っぽい紅茶色の瞳を見つめた。
「答えて───くれるよね?」
にっこりと笑って近づいたその妖艶な微笑みと低く甘ったるいその声音に、生唾を嚥下した音が酷く鮮明に聞こえた気がした。
「と、言う訳なの」
ううっ、と半ば涙目になって内心大泣きしたい気持ちのニィナは、自分が夢で見たことを全て洗いざらいナオヤに話した。
正直居たたまれない気持ちでいっぱいで、顔を上げることも出来ずに俯き続けている。
どんな顔をしてナオヤを見たらいいのかが判らなかった。
何と言っても、当事者であるナオヤがおかまでおねぇ言葉で話していておまけにナオヤの彼氏がリュオンと言う、もう何とも濁しきれないはっきりとした夢を見てしまったのだから。
これを当の本人に言ったのだからそれはもう、申し訳ないとしか言いようがない。
穴があったら入りたいし、寧ろ土に埋もれて出て来たくない心境だった。
そう俯いて罪悪感と恥ずかしさにうんうん唸っているニィナに、ナオヤは苦笑の息を一つ漏らした。
「まさかそんな夢だったなんて・・・ね。正直結構へこむかも」
「ううっ、本当にごめんなさい・・・」
「いや、夢って言うのは見たくて見るものじゃないし、ニィナは悪くないよ」
そう言って笑うも、ナオヤは何処か遠くを見やるように向かい側にある廊下の窓を見つめる。
「しかしオレがゲイだっていうのもショックだけど・・・・・何よりもあのリュオンが彼氏役だんて正直ちょっと・・・ね」
「あうぅ・・・」
「まあでも、リュオンが君の彼氏じゃなかっただけよかったって思うべきかな」
「・・・どうして?」
その思いもよらぬ言葉にちらりとナオヤを見つめて問い掛けると、ちょっと困ったように笑いながらもナオヤは愛しそうに瞳を細めた。
「だってニィナの彼氏って言う特権は、オレだけに許してもらいたいからね。例え夢であっても、他の誰かがニィナの彼氏になるだなんて許せないよ」
それにオレの彼氏だったら振ってしまえばそれで終わりでしょ?
と、少しちゃかしたように笑うナオヤに、ニィナは気恥ずかしそうな顔をする。
「まあ、例えオレが夢の中みたいな人間だったとしても、オレは絶対にニィナを好きになる自信があるから安心して?」
「え?」
「だってオレ、君以外の人なんて女でも男でも絶対に好きにならないから」
そう頬に手を翳して愛しそうに見つめられ、ニィナはかぁあ、と急速に頬が上気した。
「も、もう、またそんなこと言う・・・」
「だって本当なんだから、仕方ないよ。こんな可愛いニィナを放って他の誰かを好きになるなんて出来るわけないんだから」
「私、そんなに可愛くないのに」
ちょっと困ったように視線を反らしたニィナに、ナオヤは優しい笑みを浮かべる。
「ニィナ」
名を呼ばれてニィナはナオヤを再び見つめる。
するとそこには何処までも愛おしそうな優しい微笑みがあって。
「君は可愛いよ。誰よりも、何よりも。世界中の誰だって君には叶わない」
そう言って近づいて来た顔に、ニィナは身体を少し固めて眼をぎゅっと瞑る。
しかしそれは予想に反して額に触れると、小さく音を発ててキスをした。
ナオヤが離れて行くのと同時に驚きに眼を見開いて顔を赤くさせるニィナに、ナオヤは小さく笑う。
「ニィナ、顔真っ赤。本当に可愛いね」
「も、もう、ナオヤ君!」
耳まで顔を真っ赤にして見上げて来るニィナに、ナオヤは愛しそうに微笑んだ。
そんな笑みを見せられたらもう何も言えないニィナは、恨めしそうに上目遣いでナオヤを見上げるしかない。
「もう、ナオヤ君ったら・・・・」
そう呟きながらも、ニィナは少し沈んだ面持ちで視線を反らした。
それにナオヤは目敏く気付くと、少し不思議そうに首を傾げる。
「あのね、さっき夢を見たとき・・・・・凄くショックだったの」
「オレが別人になっていたのが?」
「ううん、違う。ナオヤ君が・・・・・私のこと、好きじゃなくなっちゃったんだって思ったから。ナオヤ君が離れて行っちゃうんだって思ったら、もの凄く哀しかった」
少し声が震えたように呟くニィナに、ナオヤは少し驚きながらもとても愛しいと思った。
例え自分が別人のような人格になってしまっていても、ニィナは己を好いていてくれる。
そして離れて行く自分を哀しいと思ってくれる。
この愛しい想いは決して自分だけの一方通行な押しつけの愛情ではないのだと判って、ナオヤは喜びに心が打ち震えた。
「ニィナ・・・・」
ナオヤは嬉しさにニィナを抱きしめる。
それに驚くニィナをまるで壊れ物でも扱うかのように優しく、その頭を撫でた。
「そう思ってくれて、嬉しいよ」
ニィナは耳元で囁かれる甘い声音に顔を赤くさせながら、そっとその背を抱き返す。
それにナオヤは抱きしめる腕を少し緩めて互いに向かい合うと、ニィナは恥ずかしそうに首元まで真っ赤にしながらナオヤを見つめた。
「ナオヤ君、大好き」
そう言ってちゅっと小さくナオヤの唇に口付けをすると、さっと俯いてしまった。
ナオヤはそれに驚きの表情を見せる。
普段は自分からキスをしてくれないニィナがこうしてしてくれたことに、ナオヤは益々嬉しくなった。
ああ、どうして君はこんなにオレのことを喜ばせてくれるのだろう。
そうナオヤは夕日の陽射しのように真っ赤に染まるニィナを見つめて愛しそうに思った。
「ニィナ・・・愛してる。これからもずっと、永遠に────」
そう言って少し俯いたニィナの頬に右手を当てて上を向かせて微笑むと、ニィナは恥ずかしそうながらも嬉しそうに微笑んだ。
夕暮れに染まる教室。
誰もいない、外の喧騒しか聞こえない、二人だけの静かな教室。
そこには二つの影が、一つだけ優しい色をして伸びていた。
それは何処
までも甘い、
夕焼け色の、
放課後の、
キス
*海外ドラマ『アグリー・ベティ』吹き替えマーク役=近藤隆=ナオヤ
【お題元:橙の庭】
2009,3,30