「ニィナ」
「どうしたの、アルヴァンド?」
「これを、君に」
「え?わぁ、綺麗!ありがとう!」
死ぬほど恋い焦がれて
「ふふっ、」
アルヴァンドは宿泊先にある庭の花を見つめて笑った。
それは目の前にあるものが先日ニィナを喜ばせてくれたことを思い出させてくれたからだ。
それは蘇るだけで愛しい気持ちになる。
とても、温かい。
「アルヴァンド」
思い出に浸って和んでいると、不意に背後から名を呼ばれた。
それに意識を現実に引き戻して振り返ると、そこにはナオヤが立っていた。
「おや、ナオヤ。どうかしたのかい?」
「うん、ちょっとね」
そう言うとナオヤはアルヴァンドと面と向かって対峙する。
そしていつも通りの笑みを浮かべながらも視線だけは真っ直ぐにアルヴァンドを見据えた。
「君、この間ニィナに花をあげたよね?」
アルヴァンドはそれに一瞬驚いた顔をする。
まさか自分の考えを読まれたのでは、と思ったからだ。
しかし目の前のナオヤはそういった風ではなく、元々そのことについて問いに来ているのだということが判る。
だからアルヴァンドは一瞬の動揺を抑えて、己の脳裏に蘇る記憶に身を寄せた。
それはまるで花咲く甘い香りを匂わせるかのように、鮮明にアルヴァンドの中で広がってゆく。
「花というのは白薔薇のことだね?確かに先日あげたよ。受け取ってくれた彼女はとても嬉しそうな顔をしていた。まるで花が咲いたようだったよ」
そう嬉しそうに語るアルヴァンドはとても愛しそうに微笑む。
だがナオヤはそれを見て眉根を僅かに寄せた。
しかしそれは微々たるもので、目の前の王子はそれに気付いた様子はない。
「それで、その白薔薇がどうかしたのか?」
「うん。あのさ、アルヴァンド。君が彼女のことを喜ばせたいのは凄く判るけど、でももう彼女に花をあげないで欲しいんだ」
そう言われ、アルヴァンドは再び目を点にした。
ナオヤに言われたその言葉が余程意外だったのだろう、不思議そうにナオヤを見つめ返す。
「・・・おや、それは何故だ?ニィナは嫌がっていたのかい?」
「いいや、嫌がってはいない。けど、止めて欲しいんだ」
「どうして?」
「オレが、嫌だから」
きっぱり、ナオヤは言い切った。
それに半ば呆気にとられながらも、アルヴァンドは少しばかり困った顔をする。
ナオヤの言うその言葉があまりにも理に叶っていない、寧ろ理不尽にすら感じられるほどに唐突なものだからだ。
「ナオヤが嫌だから・・・・と、言われても。それは理由になっていないだろう?」
先の理由で納得出来る筈もなく、アルヴァンドはナオヤに説明を求める。
しかし問われたナオヤはというと、腕を組みながらも笑みを浮かべて首を横に振った。
「理由になってるよ。だって君がニィナに花をあげるのは、彼女に気があるからだよね?」
「それは・・・・」
「いいよ、別に口にしなくても。今まであげていた花はあまりそういうものは無かったけれど、この間の白薔薇なんて贈ったら、判る奴には判るからね」
そう言われ、アルヴァンドは僅かに視線を反らして、気まずそうに口を噤んだ。
ナオヤはアルヴァンドが半ば困惑気味で口を噤んだのを良い事に、笑みを浮かべて語り出す。
「───薔薇。花単体の花言葉は『美』や『幸福』、『乙女』や『無邪気』───なんて言うのもあるけど、一番有名なのは『愛』や『恋』だよね。これは愛の告白も同然だ。でも花言葉って言うのは有名所のものしか一般的には知られていないから不思議で、薔薇単体の花言葉はこれといって知られていない。だからこの場合の意味はどちらかと言うと赤薔薇のイメージが強いみたいだから、白薔薇を渡されただけだとあまり花言葉に詳しくない人は告白されたって気がしないかもしれない。───まあ、だからこその“白薔薇”なのかもしれないけれど」
ぴくり、最期の言葉にアルヴァンドが反応したような気がした。
しかしそれは微々たるもので、余程注意力が高い存在でなければ気付けないほどのものだ。
だがナオヤはそんな些細な変化も見逃さず、冷静に思案しながら言葉を続ける。
「そして白薔薇。意味は『清純、純潔』、『心からの尊敬』。でももう一つの意味は───『恋の吐息』、『私はあなたに相応しい』」
すぅ、とその花言葉を述べたナオヤは眼を細めて意図して言葉を止めた。
そして半ば俯きかけているアルヴァンドをただ冷たい眼差しで見つめて、その様子を窺いつつ計ったように再び口を開いた。
「白薔薇の意味は、凄いよね。最期の『私はあなたに相応しい』なんて、高慢のようにも聞こえるほど好意を叫んでる。こんなの花言葉を知っている奴が見たら、あげた張本人は意味も知らずにあげたか、意図してあげたかのどちらかしかいない。そして君の場合、絶対に後者だ。君ほどの薔薇好きが、薔薇の花言葉を知らないだなんてことはない筈だからね。・・・・まあ、ニィナは幸い花言葉をあまり良く知らないみたいだし、君の好きな花だからくれたんだと思ってるみたいだから、それに気付くことは無かったみたいだけれど」
そうナオヤが皮肉も込めて言うと、アルヴァンドは苦笑した。
「ナオヤは凄いな。君も花言葉をそこまで知っているだなんて知らなかったよ。ソマリならまだしも、まさか君にばれてしまうだなんて思いもしなかった」
そう苦笑しながら言う様子からはどうやら先の皮肉は受け取られなかったようだった。
アルヴァンドは純粋に自分の気持ちがばれていることを笑っているようで、ナオヤはそれが気に入らない。
自分が暗に伝えたいことが一切伝わっていないからだ。
「でも、花言葉とは別に押し付けるものではないからね。知らないのならば知らないでいいんだ。花に込める想いは、自分だけが判っていればいい」
「“薔薇の花言葉”みたいに?」
そうナオヤが真剣な眼差しで問い掛けると、アルヴァンドは驚いた顔をする。
そしてすぐさま困ったような苦笑を浮かべた。
「君には叶わないな、ナオヤ。まさか薔薇の花言葉が持つ意味に・・・・『秘密』があることまで知っているとは」
「まあ、そこそこ知識はあるつもりだから」
「そうか。それでは君はかなり博識なんだね」
そうアルヴァンドは純粋に笑う。
この期に及んでまだ何一つとして己の意図することが伝わらずに自分を褒めるアルヴァンドに、ナオヤは半ば苛立を覚えた。
しかしそれを顔に出さないのがナオヤだ。
そして案の定ナオヤの感情には気付かないアルヴァンドは、ふと話題を戻して考え、再び過った疑問に首を傾げた。
「しかしやはり私が彼女に花をあげるのがいけない理由が腑に落ちないのだが・・・・・彼女が嫌だとでも言ったのかい?」
「そんなことニィナが言う筈ないよ」
「ではどうして?」
そう問い掛けれるとナオヤは口を噤んだ。
そして射るような眼差しを向けて、口を開く。
「さっきも言ったよね?オレが、嫌だから。オレが───不愉快、だから」
最期のその一言には流石のアルヴァンドも驚かざるを得なかったようだった。
眼を大きく見開いて、先の言葉がナオヤの口から出たのかと暫し疑っているように眼を瞬いている。
そんな先の決定的な一言を述べたのにも拘らず、自身を疑っているアルヴァンドにナオヤは内心呆れたように苦笑する。
本当にどこまでも“王子様”な人だ、と。
自分に仲間が牙を剥く筈がないと疑わない人だ、と。
だから彼にとって仲間であるらしい自分の言葉に含めた悪意に気付かないのだ、と。
半ば嘲りのように、笑った。
「もう一度言うよ。オレが嫌だから、不愉快だから、ニィナに花をあげないで欲しいんだ。いや・・・・“花以外”も、ね」
「・・・!」
今度は揶揄されていることに気付いたらしいアルヴァンドは、少しばかり困惑しつつも僅かばかりの不快の色を見せてナオヤを見つめる。
「・・・どうして君がそんなことを言うんだい?彼女は私を嫌っているわけではないのに」
『嫌っているわけではない』。
その一言にアルヴァンドは絶対の自信がある。
それだけは彼女と接していて嫌というほど伝わって来るのだ。
故に、アルヴァンドはどうしてナオヤがこんなことを自分に言ってくるのかが理解出来なかった。
ニィナがナオヤに迷惑だと愚痴をこぼしたわけでも、ましてや願ったわけでもない。
それなのに、どうして自分が彼女に花をあげることを制限されねばならないのか。
それがアルヴァンドには納得いかない。
「彼女が嫌がっているわけではないのなら、それを制限する権利は君には無い筈だ」
そう眼を少しばかり細めつつも真っ直ぐに述べると、ナオヤは薄らと笑った。
それは何処か酷薄な笑みで、馬鹿にしたようにも見える。
「確かにオレに制限する権利はないよ。でも、彼女に友情や親愛以上の感情を向けられることに対して文句を言う権利くらいはある筈だよ。少なくとも、“オレには”・・・・・ね」
意味深にナオヤはアルヴァンドを見つめる。
しかしアルヴァンドはそれに眉を顰めるだけだ。
ナオヤの意図していることが、やはりここでもアルヴァンドには伝わっていないのだ。
それにナオヤははぁ、とひとつ呆れたように小さく溜め息を零す。
そして瞳を細めてアルヴァンドを見据えると、続けた。
「前々から言おうとは思っていたんだけど、これがいい機会だから言っとくよ。オレはね、彼女に恋情や愛情を注いでいい、彼女の認めてくれた唯一の存在なんだ」
「なっ・・・!」
「彼女が望まないから、今は君たちに口にしてない。こういう関係のある存在が仲間内にいると妙な空気や隙間が出来るからね、仕方ない。でもオレたちはそう言う関係なんだ。・・・・ここまで言ったら、流石に意味、判るよね?」
最期は余裕の笑みを浮かべて問い掛ける。
しかしその瞳には恐ろしいほどの憎悪と敵意が混じっていた。
ここまできたら流石のアルヴァンドもいい方面には考えられない。
目の前にいるナオヤは自分にとってある意味で“敵”であるということを。
そしてその“敵”は自分に殺意すら感じるほど敵視されているということを。
嫌というほど、理解した。
そして何よりもアルヴァンドの心を苛んだのは彼らの関係だ。
ナオヤは決して形にして言うことはなかったが、しかし今の一言は決定的だ。
どうやっても濁すことの出来ない、関係を露呈した。
それはニィナとナオヤが付合っていると。
恋人同士だと、言われたのだ。
アルヴァンドはそれに苛む。
まだ自分と同じでナオヤも片思いならばこんな思いはしなかった。
ライバルがいてもそれはまだ負けるとは決まっているわけではないからだ。
しかし、既に恋仲であるなら話は別だ。
こればかりは自分が入る隙がない。
いや、それ以前に、自分が入りたい位置にナオヤがいるのだ。
自分がいたい位置に。
最も望んで恋い焦がれている位置に。
そして、恋い焦がれて愛して止まない彼女のすぐ傍に。
彼女の支えと心に触れれる存在に、なりたかったのに。
それなの、に。
アルヴァンドは顔を歪める。
憎悪とも、嫉妬とも、悲嘆とも、羨望とも。
何とも言えない負の感情の渦が心を支配する。
今までのアルヴァンドでは有り得ない、“白の王子らしくない”表情を浮かべて。
ナオヤを、見据えた。
それを見て、ナオヤは少しばかり愉悦の表情を浮かべ、口元を吊り上げる。
“王子様”もこんな表情が出来るのだな、と。
まるで“自分のよう”だ、と。
嗤った。
「話はそれだけ。この意味が判ったなら、お願いだからニィナにもう花をあげないでほしいな」
それじゃあ、と一方的に話を切ると、ナオヤは身を翻してその場から去って行った。
アルヴァンドは屈辱とは違う敗北感とやり場の無い想いで胸が詰まり、成す術も無くその場で去り行く背を見送る。
それは今まで戦って自分が敗北した勝利者の中で、最も苦痛の伴う背中だった。
アルヴァンドはぽつり、呟く。
「・・・今の私が君にあげる花があるとしたら、それはきっと───紅薔薇、だな」
そう遣る瀬なくも呟くと、アルヴァンドは手を握りしめる。
ぎりり、と強く。
震えるほどに。
そして足下を俯いて、哀しそうに、切なそうに、淋しそうに。
愛しい“花”の名を、呟いた。
紅薔薇のように
、私はあなたを
死ぬほど恋い焦
がれています
2010,1,5