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ざあざあと、雨が降る。
空は曇天、朝だというのに薄暗い。
けたたましい騒音すらも消し去るほどの雨音だけが、まだ人数が揃っていない静かな教室に木霊する。



「おっはよー、帝人っ!」



不意に、教室の窓越しに自分の席でぼんやりと空を眺めていた帝人にそんな明るい声が届いた。
それはガラス越しに届くくぐもった雨音の喧騒よりも、更に五月蝿い。
帝人は良く知るその声音に小さく苦笑すると、声のし遣る方へと振り向いた。



「おはよう、正臣」

「いやぁー、今日は土砂降りでズボンの裾が濡れて参ったぜ」

「うん。僕も濡れちゃった」

「そうか、お前も濡れたか。だが俺の足は今では水とお友達だ!」

「・・・なにそれ?」

「いやまあ聞いてくれ、友よ」



そう帝人の席まで近づいた正臣は、畏まったように背筋を正しておほんとひとつ咳払いをする。



「俺はいつも通り、いや寧ろいつも以上にあめあめふれふれらんらんらん!な気分で家を出たわけだが、思わぬところに落とし穴。格好悪いことに濡れたタイルに足下をすくわれ思わず水たまりにダイブ!だ・が!それは俺様何様正臣様!転ぶ寸でのところで俺様持ち前のすんばらしい運動神経で体勢を立て直した!が、しかーし!世の中は甘くなかった。次の瞬間、なんと水溜まりの中央に両足がどぼん!確かにオール10.0の世界記録的素晴らしい着地ではあったが、代わりにズボンの裾が濡れるどころか靴と靴下は水と完全なるお友達!仲良くなったお水さんは俺に恋をしてしまったらしく離れてくれなくて、道中水たまりを共にして歩いているようでまいった!」

「つまり間抜けにも水たまりに両足突っ込んで靴の中に水たまりが出来るくらい足がずぶ濡れになったんだね」

「事実をそこまできっぱりはっきり完結に言わないでくれ間抜けになるから」



そんな朝っぱらからハイテンションのマシンガントークを軽く聞きながら帝人は突っ込むと、正臣はがっくりと肩を落とした。



「まあそんなわけで、今の俺は靴下を履かずに上履きを履いているからどうにも気持ち悪くてな、困っている」

「それは仕方ないんじゃない?予備の靴下とか持って来てないわけだし」

「そりゃそうだ」



これは一日我慢するしかないよなぁなどと呟く正臣を目にしながら、別のクラスなのに態々自分に顔を出してくれる正臣に、帝人は思わず頬が緩む。
こうして気に掛けてくれる親友がいてくれることが嬉しいのだ。

がらり。

目の前で一人語りを続けていた正臣の言葉の上に被さるように、教室の扉が開く音が響いた。
それに帝人は目をやると、そこにはクラスメイトの園原杏里がいた。



「園原さん、おはよう」

「あ・・・おはようございます」



帝人がそのまま正臣を無視して声を掛ければ、それに気付いた杏里は帝人に振り向きぺこりと頭を下げる。

するとぴちょんと、杏里の綺麗な黒髪から雫が落ちた。
それに帝人は目を点にすると、振り返った正臣も杏里の姿を確認する。
そこには杏里が全身びしょ濡れになって、髪からもスカートからも水を床へと滴らせている姿があった。



「杏里、どうしたんだその格好!?水も滴る良い男ならぬ良い女だが、それはちょっと濡れ過ぎやしないか!?そんでもっておはよう!」

「・・・おはようございます」



ぺこり、また杏里は律儀にも頭を下げる。
それにやはりまた髪から雫を滴らせると、帝人は慌てて己の席から立ち、杏里の傍へと近づいた。



「ど、どどどどうしたの園原さん!?なんで全身びしょ濡れなの!?」

「えっと・・・道中水たまりを踏んだ車がいて、そのときその脇に私がいたので、水が全身に掛かってしまったんです」



まるでバケツの水を頭から被ったようなその姿に、帝人はおろおろと焦りながら問えば、杏里は少しばかり困ったような顔を浮かべながらも、ただ静かにその経緯を口にした。
それを聞いた正臣は、少しばかり思案顔をすると、きりっとした表情を作る。



「その車を運転していた奴が男なら万死に値するが、だが俺は今それを一先ず保留して賞賛しよう。グッジョブ水たまりに車っ!」

「な、なに言ってるの正臣!こんなに濡れちゃったら授業受けるの困るじゃないか!」

「いやそりゃそうだが、しかしよく見ろ帝人!今の姿の杏里を!!全身びっしょりで身体に張り付くように引き寄せられる衣服に強調される大きな胸。しおらしい姿勢で濡れた髪を頬に張り付け、憂いた瞳を眼鏡越しで上目遣い気味に見つめるこの姿っ!嗚呼これぞ正に理想的な濡れた女子高生!これをエロスと呼ばずなんと呼ぶっ!」

「ば、ばばばばばか!!」



本人を前にしてエロスと叫ぶ正臣に、帝人は顔を真っ赤にして叫んだ。
対してその話の対象とされている杏里は、頬を赤らめ俯きながらも動じた様子はひとつもない。
どちらかと言えば本人でもないのに帝人の方が顔が赤かった。



「まっ、正臣!本人前にしてそ、そんなえ、エ・・・ロス、とか言ったら駄目じゃないか!」

「なに言ってるんだよ。これは最高の褒め言葉だぞ!」

「それは褒め言葉じゃないっ!」

「え〜?帝人君だって内心杏里をそう思ってるく・せ・にっ!」



きゃっ、とどこぞのギャルが言いそうなきゃぴきゃぴした言い方を正臣がしたかと思えば、帝人はその顔を益々真っ赤にする。
耳元まで赤く染めて最早茹蛸状態だ。



「おーおー顔真っ赤にしちゃって。ウブだなぁ、純情だなぁ!」

「うううううるさいっ!」



ぎゃあぎゃあと言い合いをしている帝人と正臣。
それを杏里は見つめると、くすりと小さく笑った。

しかしこのままここにいても仕方ないと思ったのだろう、杏里はそこから歩みを進めて自分の席へと向かった。
そして机に鞄を置くと、濡れたブレザーをいそいそと脱ぎ始める。
脱ぎ終えたそれを両手で持って見つめれば、帰りまでに乾くだろうかと杏里はぼんやりと思った。



「おーーー!!なんということかっ、ブレザー下のシャツまで濡れている!杏里のスレンダーでグラマラスな肢体が薄く白い布地で強調され、その下着が透けんばかりのこのエロさ!キャミさえ下に着てなかったらベストだったのにおしいっ!いやでもキャミソールを着ていても微妙に透け」

「もう黙りなよ!」

「ぐふぅ!」



杏里が移動したことに気付いた二人は、先の場所から杏里の席までやって来てそんな遣り取りをしていた。
そして帝人が放ったアッパーに、正臣は頤を両手で抑えて身悶える。



「み、帝人、今のかなり危なかったぞ。誤って舌でも噛んだらどうするつもりだ?舌噛み切ったら俺死んじゃうぞ!」

「それで黙るんだったらもう逸そ切っちゃいなよ」

「酷いっ!」



ざっぱりと冷たい眼差しでそう切った帝人に、正臣は酷い酷いと連呼して非難する。
その瞳には僅かだが涙目。
どうやら先の一撃が相当効いていたらしい。



「杏里〜帝人が俺を苛めるよ〜。その濡れた身体で俺を癒し」

「黙れ」

「ぐえ」



首をぎりぎりと絞める帝人に、正臣はギブギブと青い顔で連呼してその手を叩く。
それにじとりとした目をしながらも渋々手を離すと、正臣は盛大に息を吸い込んだ。



「ゼー、ハー・・・お前、最近俺への扱いが酷くなってないか?っていうか暴力的になってる気がするんだが」

「そんなことないよ。仮にそうだったとしても、それは正臣が悪い」



そんな二人が遣り取りをしていると、不意にくしゅんと小さなくしゃみが聞こえた。
それに二人は言い合いを止め、くしゃみの音の聞こえた杏里の方へと振り向く。



「園原さん、大丈夫?」

「は、はい」

「あーだが、このまま濡れた状態じゃ拙いな」

「そうだね、このまんまじゃ風邪引いちゃう」

「杏里、ジャージや体操服なんかは持ってるか?」

「ううん、今日は体育が無いから持って来てなくって・・・・」



だから変えが無いの、と控えめに杏里が言えば、正臣は帝人に顔を向けた。



「帝人、お前はジャージ持って来てるか?」

「え、あ、ううん。今週の体育昨日で終わたから持って返っちゃったんだ。だから持ってない」

「そうか、お前もか・・・・」

「お前もってことは、正臣も持ってないの?」

「ああ、残念ながら」

「困ったな」



帝人と正臣は互いに顔を顰めながら、困ったように思案する。
それを視界に留めた杏里は申し訳なさそうな顔をすると、二人を見つめた。



「私はこのままでも大丈夫だから、気にしないで」

「いやでも、流石に濡れたままなのはちょっと。張間さんとかは持ってないのかな?」

「美香さんも昨日持って返っていたみたいだから、多分無いと思う」

「そ、そっか・・・」



どうしよう。
そう帝人はうんうん悩んでいると、正臣は肩を軽く竦めた。



「仕方ない、この俺が着替えを用意してやろう」

「え、でもさっきジャージ持ってないって」

「そう、俺は持ってない。だが他のクラスの奴なら授業ある奴もいるし、持ってるだろ?確か今日一限目が体育の授業のクラスがあったところがあるから、そこから俺が借りて来てやる。だから一限目は濡れたままになるだろうけど、辛抱してくれ」



そう言うと、正臣はにかりと腰に手を当てて明るく笑った。
それに杏里は目を軽く見開くと、ふわりと微笑む。



「・・・紀田君、ありがとう」

「どう致しまして!」



そんな遣り取りをしたかと思えば、またもや杏里はくしゃみをする。
どうやら濡れた衣服が相当寒いらしく、身体が冷えてきたようだ。



「しかし、一限目だけとは言えこのままだと風邪を引きかねないな」

「そ、それは拙いよ・・・あ、」



そうひとつ帝人は何かを思いついたかのように呟けば、己のブレザーを脱ぎ始めた。
それに正臣と杏里はなんだろうかと見守っていると、帝人は脱いだブレザーを杏里に差し出す。



「はい」

「え・・っと、」

「あ、えと、あんまり足しにはならないかもしれないけど、着替えが来るまでこれを羽織ってて。少しは寒さを凌げると思う」

「でも私の身体は濡れてるから、羽織ったら竜ヶ峰君のブレザーも濡れちゃうよ」

「別に構わないから。園原さんが風邪を引いちゃう方が僕としては困るし」

「でも・・・・」



差し出されたブレザーと帝人を交互に見やると、杏里は戸惑ったようにおろおろとした。
そんな二人を見た正臣は、にやりと口元を吊り上げる。



「ひゅ〜、言うねぇ帝人君。純情ボーイのわりに紳士的だ!でも今ひとつ紳士精神に掛けてるぞ!」

「え、な、なにが?」

「こういうときは、俺の腕で暖めてあげるよ、くらいのことは言わないと!」

「それ紳士じゃないよね。寧ろ変態だよね」

「んなことないって!この台詞を言ったなら言われた相手は墜ちること間違い無し。その全てを差し出して、あなたの彼女にして下さいって懇願して来」

「もういいよ」



これまたざっぱり呆れたように呟く帝人に、正臣は軽く肩をすくめると大人しくなった。



「まあ、でも肩に掛けるくらいしてやれば、もっと紳士的だったんじゃねーの?」

「そ、そんなキザなこと出来るわけないじゃないか」

「この恥ずかしがりやめ。ま、有り難く借りときなよ、杏里」



そう微笑みながら正臣が言うと、杏里はまた帝人とブレザーを交互に見つめて。



「・・・ありがとう」



少しばかり恥ずかしげに頬を染め、御礼を言って受け取った。
それに帝人も頬を染め、軽く頭を掻く。



「ど、どう致しまして」



初々しい二人の遣り取りに正臣は半ば呆れつつ、それでもその光景が実に微笑ましいなと思った。

杏里は持っていた自分の濡れたブレザーを椅子の背に掛けると、受け取ったブレザーを早速羽織ってみせる。
少しばかり肩幅の大きいそれに、自分との体格の違いを見たような気がした。



「う〜ん、いいねぇ」

「・・・なにが」



じっとにやにやした顔をしながら杏里を見つめ呟く正臣に、確実に良からぬことを考えているだろうことを予測しつつ、帝人は軽く眉を顰めながら問い掛ける。



「濡れた肢体に軽く頬を染め男物の上着を羽織る眼鏡美女。これはもう美少女ゲームだったらフラグ立ってるよな?と言うことは、この感じだと保健室のベッドに座って、主人公を見上げるシチュエーションかベストか?エロゲーだったら即いただきます!」

「もう突っ込む気も失せた」

「見捨てるなよ〜、帝人ぉ〜」



最早付いて行けないと思ったのだろうか、完全に遠い目をして呟いた帝人に、正臣はがくがくと肩を揺する。
それを帝人はひたすらに無視し、杏里に視線を向けると、きりっとした表情で口を開いた。



「取り敢えず正臣からは僕が守るからね」

「俺は姫を襲う悪者かっ!」

「相違ないでしょ」

「違い過ぎるっ!」



寧ろ俺はプリンセスを救うプリンスだろ!?
そう言って抗議をする正臣と、ひたすら遠い目をして無視をし続ける帝人。
そんな二人の遣り取りに杏里はおかしそうにくすくすと笑えば、二人は一度顔を見合わせて同じように笑った。

キーンコーンカーンコーン

二人が笑ったのと同時に、予鈴の音が教室内に響く。
気がつけばどうやら相当な時間が経っていたらしく、今では教室に人が溢れ返っていた。



「お、予鈴か。んじゃあ俺は退散するわ」

「うん。次の時間、服の方宜しくね」

「判ってるって!俺の大事な杏里のためだ、例え火の中水の中、どんな過酷な試練が待っていようとも、俺は全てを乗り越えて必ず杏里に着替えを持って来てみせるっ!」

「そんな過酷な試練ないから」

「いーのいーの、俺が燃えてるだけだから!んじゃねっ!」



そう言うと正臣は片手を上げて足早に教室から去って行った。
それを帝人は見送ると、はぁ、と一つ疲れたように溜め息を吐く。
嵐が去ったような気分だと内心呟き杏里を見れば、彼女は先と同じようにくすくすと楽しそうに笑っていた。
余程二人の遣り取りが面白かったらしい。

そんな杏里に心を和ませていると、また彼女の髪から雫がぽたりと落ちたのが目に入った。
それに帝人は慌てて自分のズボンのポケットからあるものを取り出す。



「はい、これ」

「・・・ハンカチ?」

「うん。その様子だと多分持ってるハンカチとかも濡れてるでしょ?」

「あ、うん・・・」

「だからこれ使って。タオルじゃないから大した役には立たないかもしれないけど・・・・でも、ちょっとくらい髪を拭くには使えると思うから」



差し出されたそれをじっと見つめると、今度は先ほどのように遠慮もせず、杏里は有り難くそれを手にする。
そしてそのまま帝人を見上げれば、ふわりと優しく微笑んだ。



「竜ヶ峰君・・・・ありがとう」



先ほど御礼を言ったときも愛らしかったが、今度はちゃんと己を見つめて微笑むその姿に、帝人はぼっと頬を赤くする。
傍から見ても照れていることが一目瞭然だった。



「あ、いや、うん、かっ、風邪引かないようにねっ!」



それだけ言い残すと、帝人は慌てて自分の席へと向かって離れて行く。
それを杏里は見送りながら、手元のハンカチと羽織ったブレザーをぎゅっと握った。










「本当に・・・・ありがとう」










そう、呟いて。
嬉しそうに、笑った。






































*保健室に行ったら着替えがあるよとかは無視で
2010,6,5