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さらり。



髪に触れる。

するとそれは私の手をいとも容易くすり抜けて、離れて行った。





心優しき神に、幸せな未来を








目の前にはあどけない表情で眠る神がいる。
神と言ってもコトではなく、か弱き少女の神だ。
名を確か松田と言ったか。
アールマティに向けて彼女自身がそう述べていたような気がする。

彼女が過労と貧血で倒れ、保護する為にこの蜘蛛乃糸に連れて来て数日。
彼女は意識を取り戻しここで日々を過ごしていた。
しかしここでは彼女の口に出来るものを揃えられるのにも限度があり、やはりその身体の回復はあまりかんばかしくない。
よって彼女はここでは点滴生活が続き、睡眠を余儀なくされていた。

そんな彼女は日々この塔内を私の分身とともに探索をしていた。
どうにかしてここから脱出をしようとどうやら試みているらしい。
それでもこの構造からは彼女は逃れることが出来ず、今もまだここにいる。



そして今日も外は暗くなり、彼女は与えられた部屋で静かに眠りについていた。
私はそんな彼女の傍らに立ち、寝台に眠る彼女をじっと見つめる。
寝息を小さく発てながら安らかに眠る彼女は何処か窶れ、少々痛々しかった。

大きなガラス窓から夜の闇を裂いて月光が室内を照らす。
電気も何も付けていない部屋にも関わらず、今日は満月の為かとても室内が明るい。
故に赤外線を必要とせずに私は目の前を見つめる。
私の機械で出来た瞳に、有りのままの彼女が映し出された。



白い寝台の上に眠る幼き少女。
彼女の肌は色白く、月光を浴びて尚白く。
寧ろ神秘的な色を醸し出す青白い色彩を放ちつつも生き人の淡い色が見える。
そして髪もまた同様に、青白い月光に反射してきらびやかに光る翠色の髪はまるで宝石のよう。
翡翠輝石のように、エメラルドのように。
だが彼女の髪は決して鉱石のように堅い訳でもなく、それとは相反して柔らかくも滑らかで、きっと触れればすぐに私の手をすり抜け離れて行くだろうと思う程艶やかだ。
それはまるで彼女の存在を表しているかのようで、酷く危うい。



ぽたり、ぽたり。



水滴の音ががらんどうの室内に虚しく響く。

それは彼女の生命を留めておく手段の音。
それ以外の何ものでもない、点滴の音。

しかし一定に音を告げるそれは、何故か今の私には彼女の心の内を表しているような気がした。



「・・・・どうかしているかもしれない」



私は呟いた。

感情など無い筈の自分が、何故かそんな人間じみた感傷のようなことを考えたのだから。
機械である自分は感性や感情ではなく、論理的、物理的思考回路でのみしか動かぬ筈なのに。
どこか私の中にもエラーが起こっているのかもしれないな、などと回路の片隅で考える。

私はそんなことに神経回路を回しながらも、静かに眠り続ける彼女をじっと見つめ続ける。



彼女は巻き込まれた可哀想な存在。
コトの望みを叶える為に、何億何兆をも軽く越える確率の中から無作為に選ばれた、哀れな少女。
本来なら血以外では何の力も持たない普通の人間。

そんな彼女は健気にも真っ直ぐに、自分よりも他人の為にと動く。
訳も判らず神と呼ばれ、黒き血の人間には嫌われて、それでも誰かを助ける術が自分にあると言うのなら、己を犠牲にしてでもそれを惜しげも無く手放し差し出すことを厭わない広い心を持って。
それは彼女が人間側に近い位置にいるために、本来敵対視されても可笑しくない筈の自分を含めた機械達にすら手を差し出し、そして何かしら手助けをすればありがとうと御礼を言う程に、優しい。

ここまで心優しい存在がいるだろうか。
ここまで他人を思うことが出来る心があるだろうか。
人間にせよ、機械にせよ、彼女程心優しい心を持ったものはいないような気がした。

だから、私は彼女を不思議に思う。
コトのように自分を道具として見る訳でも、黒き血の人間のように敵対したように見る訳でもなく、私をそれ当然とばかりに人間のように接する彼女を。



「・・・神」



私はぽつりと呟く。
そしてその美しく輝く翠色の髪に手を伸ばした。



さらり。



彼女の髪に触れると、そんな音が聞こえて来そうな滑らかさで髪が揺れた。
そしてそれは私の大きな手をいとも容易くすり抜けて、呆気なく離れて行く。

それがまるで触れることの許されぬ存在だと言われたような気がした。



「神、」



また、呟く。

別に彼女を起こしたい訳でも用がある訳でもないのに。
それなのに、何故か無償に彼女を呼びたくて仕方ないのだ。
それは今この場にいる理由としても同じで。



私は別に他の誰といた所で何も思うことは無い。
それはただそこにいる、そこにいなくてはいけない。
そんな現実と義務だけがある。

しかし、彼女の場合だけは別だった。
何故か彼女の側だけは、必要も無いのにいたくなる。
彼女の側を、離れ難いと思ってしまう。

だからなのだろうか。
私の分身を通じて彼女をいつも意識せずにはいられないのは。
コトの命令でもあるが、それでもまたそれとは違ったものが彼女へと興味のようなものを私に抱かせる。
彼女の側にいたいと思わせる。

酷く、不思議だ。
けれどもそれは嫌な感覚ではない。
それどころかとても心地が良くて、ずっと側にいたくなる。
だから現にこうして意味も無いのに寝た彼女の側にいるのだろう。



さらり。



彼女の髪を再び手にして、その髪がさらさらと音を発てる。
私はそれを今度は手放さないようにと確りと掬って、己の口元に寄せた。

それはまるで口付けをするかのように、その滑らかで柔らかい髪に唇を寄せる。
そして案の定、口付けた。



「・・・・・」



人間じみたことをしているな、と思う。
こんなことをした所で意味も無いのに。
それなのに、何故か彼女の髪に触れたくて仕方なかった。

自分は壊れているのだろうか。
ぼんやりと片隅で思う。
二千年と生きたせいで、どこか故障が出たのかもしれない。
でもこんな故障なら、直らなくてもいい気がする。
なんて、そんなことを思うようになっている。



ふと、そんなことを口付けた髪を見つめながら考えていると、掠れた声が聞こえて来た。
私はそれに視線を向けると、咽を鳴らして薄らと瞼を開けようとしている神が見えた。

私はそれに慌てて触れていた髪から手を放す。
何となく、それが淋しく感じた。



「んっ・・・・・キク、さん・・・・?」



神が眼を覚ましてぼんやりとした眼で私を見つめた。



「どうし、て、ここに・・・・?」



私はその問いに今まであまり感じたことの無い動揺や焦りのようなものを感じる。
多分表情には出なかっただろうが、内心酷く狼狽していた。



「・・・神が、呼んだのだろう?」



つと、出て来た言葉がこんな言葉だった。
いつもの自分では有り得ない、正に咄嗟の言葉だった。
嘘もいい所で、普通なら信じない言葉だろう。

それでも神は、疑うと言うことを知らないらしい。
寝ぼけているせいもあるのかもしれないが、それでもそれをすんなりと信じたようだった。



「そう、だったんですか・・・・」



そう呟くと、神は少し困ったように笑った。



「私、無意識のうちにキクさんを呼んでいたんですね」



そう言われ、私は口を噤むしかない。

先のは嘘も方便もいいところでついてしまった嘘だ。
神は本来自分など呼んでいないのだから、覚えが無くても当然で、そのついた嘘を信じてしまったのなら、それを認めざるをえない。
だからその困った笑みに罪悪感を感じえなかった。

そんな心情で口を噤んでいた私など気付いた風でもなく、神は私に微笑み続ける。



「きっと、淋しかったんだと思います」

「・・・?」



私はその言葉に首を傾げた。
そんな私を見て、神は自嘲気味に笑ってみせる。



「私、シオ君たちと離れてしまったでしょう?ただでさえこの世界に一人で来てしまった淋しさがあったから、ここに来たときとっても心細かったんです」



プラちゃんがいて心強く思ったのは本当ですけれどもね。
そう神は笑って天井を見つめた。

私はそんな神を見つめて、彼女はここ数日そんなものを抱えてこの塔内を歩き回っていたのかと思う。
すぐ側に私の分身がいたが、彼女はそれを口に出すことも仕草に出すことも無かったから、気付けなかった。
まあ気付いた所で私にどうすることも出来ないのだが。



「神・・・」



私が少し困ったように呼ぶと、神は天井に向けていた瞳をこちらに向けて申し訳なさそうに微笑む。



「困らせて、ごめんなさい」

「いや、別に構わない」



そう言うと、彼女はほっとしたように笑って再び天井を見上げた。

そんな彼女を見つめつつ、私はそろそろここを去るべきだと思い、その場から身を翻そうとする。
するとぐい、と不意に頭に付加がかかった。
私はそれを不思議に思って振り向くと、そこには神が私の機械的な繊維で出来た髪を片手で掴んで私を見上げていた。



「・・・神?」

「あっ、ごめんなさい」



私が名を呼ぶと神は慌てて私の髪から手を離す。
そしてその手を慌てて己の胸元に持って行ってぎゅっと握りしめた。



「どうかしたのか?」



首を傾げて問い掛ければ、神は申し訳ないような困ったような顔をする。
しかしそれも少しばかり逡巡の色を見せたかと思うと、意を決したように私を見つめた。



「あ、あの、」

「なんだ?」

「手を、握っていてくれませんか?」



そう言われ、私は目を点にする。
まさかそんなことを言われるとは想定外だったからだ。

固まったまま動かない私を見て、神は焦ったように口を開く。



「ぁ、その、ちょっと・・・・・・淋し、くて。誰かに手を握っていて欲しいなって、思ったんです」



神はそう言うとどこかびくびくと怯えた風を見せながらも私の手に触れる。
そして私を見上げて。



「・・・・・駄目、ですか?」



哀しそうに、淋しそうに、小首を傾げて問い掛けた。

私はそれに何故か身体が温かくなった気がして、優しい気持ちで首を横に振る。
そして触れる手を握り返しながら、口を開いた。



「神が望むのならば」



そう言えば神は少しばかり困った顔をしたけれど、直ぐに安堵した表情を見せて微笑んでくれる。
私はそれを目にしながら、彼女の小さな手をそっと握りしめた。



「キクさんの手、ちょっと冷たいですね」

「まあ、機械だからな」

「それに、大きいです」

「人間サイズには出来てはいない」



神の言うことに一つ一つ返していけば、神はくすくすと楽しそうに笑った。



「何ででしょう。私、キクさんといるととっても安心します。それに、この大きな手、私は好きです」



そう言われて、私は眼を見開く。
まさか自分と言う存在を機械的な意味以外で好きだと、認めてくれるものが現れようとは思わなかったからだ。
ましてや、赤き血の神の、一人の少女に。

私は好きだと言ってくれた己の手を見つめる。



壊れてしまいそうな程儚く細い手を握りしめる己の手。
機械で出来た、無機質で冷たく、堅い手。
その手は彼女の手より何倍も大きくごつく、力も強い。
きっと私がもう少し強く握りしめたら、彼女の手などあっという間に壊してしまうだろう。

そんな手にも関わらず、彼女は好きだと言う。
自分の手の一体何処がいいのかは私には判らないが、それでも彼女に好きだと言って貰えたのは何故かとても嬉しかった。
だからだろうか。
何とも思っていなかった己の手が、好意と呼べる不思議な感覚のものに成り代わった気がする。

私は自分の手から握りしめている彼女の手に視線を移した。



脆くて、儚い、細くて美しい手。
それはとても弱々しくて、すぐにでも壊れてしまう。
それでも彼女の手はとても柔らかくて、温かくて。
大きさは確かに小さい筈なのに、とても脆い筈なのに、何故かとても大きな存在で強いもののように見えた。



「私も、神の手は好きな気がする」



好き、と言うものは理解出来ないけれども。
それでも、この何とも言えない感覚はきっと、そう言うものなんだと思う。

そう言えば、神は恥ずかしそうにも嬉しそうに笑って、私の手を握り返した。



「ありがとう、ございます」



御礼を一つ呟くと、神はそれで疲れが押し寄せて来たのか、すぅ、と身体から力が抜ける。
そして瞼がゆっくりと閉じて行き、閉じる寸前に私を見つめて。



「あなたがいて下さって・・・よかった」



そう微笑みながら呟いて、彼女は眠りについた。
私はそれに驚きつつも、何か温かいものに包まれたような感覚がして、知らず口元が緩む。



彼女とこうして会話をすることも、接することもあと少しだけだろう。
もう少しで、コトの計画が実行されるのだから。
勿論巧くいけば彼女は犠牲にならずに済むかもしれない。
それでもコトの計画は、彼女の笑顔が無くなることだけは眼に見えて分かる結果になる。
そうなれば、今のような彼女と出会うことはもう無くなるのだろう。

それが何故かもの淋しさを感じて、私は彼女の頬にそっと開いている手で触れた。



手と同じように柔らかい、儚い頬。
このあどけなさの残る心優しい少女からあの笑みが消えるのかと思うと、とても心苦しい。
でもそれはきっと仕方ないのだと自分に言い聞かせて、私は名残惜しみつつもその頬から手を離した。
変わりに、始めと同じように彼女の髪に触れる。



さらり。



彼女の髪が、私の手をすり抜けて行く。
それを見て、やはり彼女は私には触れることの許されぬ存在だと言われたような気がした。





でも。





私の手を握りしめてくれる彼女の手が、そうではないと言ってくれたような気も、した。















それにどこか私は救われたような気がして、どうか彼女が幸せになれる未来になってくれることを。




















コトでも、目の前の少女でもない、それこそ神話のような伝承に残る神に。






























願った。








































2009,10,18