ヒプノシスマイク | ナノ



※『きっとこれが、俺達の幸福』のIf時間軸でのお話


はぁ、と溜め息をひとつ吐く。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
ぐったりとベッドの上に俯せになって意識を手放している彼女を見つめて、そう心の中で呟く。

衣類を纏っていない彼女の肢体は彫像の様に美しく、しかし情事の後故にか赤らんだ肌とそこに浮かぶ汗が、異様なくらいの妖艶さを醸し出している。
まるで天女や聖女を汚したような罪悪感と、それとは真逆の恍惚を覚えるような仄暗い背徳感が、胸中を支配する。

いや、実際に汚したのだ。
紛うこと無き彼女を。
やめてください、許してくださいと、そう何度も涙ながらに彼女は懇願した。
しかし俺はそれを意に介さなかった。
ただ拗れた想いが齎すまま、彼女を衝動と欲望のままに汚し尽くした。

彼女は俺を醜いと感じただろうか。
俺を悍ましいと、恐ろしいと、そう思っただろうか。
次に彼女が目を覚ました時に見せる瞳の色が怖くて、俺は知らず自身の首を片手で掴んだ。



「ほい、独歩、水!」



はっと気づけば眼前にペットボトルが差し出されている。
それを掴む腕から視線を辿っていけば、上半身だけ肌を晒してタオルを首に掛けた一二三が、ベッド脇に座る俺にミネラルウォーターを差し出していた。
俺はそれに礼を述べながら受け取ると、一二三は自身も持っていたもうひとつのミネラルウォーターを口にする。
飲むために顔を上向かせれば、シャワーを浴びて濡れたままの髪からぽたりと滴が落ちる。

いつもと変わらぬ表情で、いつもと変わらぬ態度でいる一二三を見ていると、さっきまでの惨状は嘘だったのではないかと錯覚しそうになる。
しかし背後を振り返ればそれは夢では無く見紛う事無き現実で、最早安穏とした変わらぬ日常など無いのだと知らしめる。
重く伸し掛かる現実に渇きを覚えれば、俺は受け取ったミネラルウォーターを飲み下した。
冷たい水が喉を通って行く感覚に清涼感を覚え、勢いのまま半分程まで流し込めば、少しばかり渇きが癒えた気がした。

はぁ、と、ペットボトルから口を離して一息を吐く。
そのまま再び一二三を見つめれば、一二三は俺の背後にいる彼女を見つめていた。
その眼差しは酷く優しい。



「・・・お前は後悔していないのか」



あまりにも穏やかな表情を見せる一二三に何故か無性に腹が立って、俺は眉を寄せて問い掛ける。

彼女が許しを乞うたのは俺だけではない。
一二三もまた当事者で、彼女が絶望に涙する様を見ては更に深淵に引き摺り込んでいた。

切羽詰まって余裕の無い俺とは違って、一二三は終始優しかった。
彼女の指先に自身の指を絡め、額や目尻や髪に口付けながら、大丈夫、怖くないと、常に優しげに語りかけていた。
しかし彼女に強要している行為は俺と変わらず、何処までも凄惨だ。



「後悔?そんなもん、する訳ないし!」



する筈も無い。
そう言い切る一二三はにかりと嬉しそうに笑った。

俺と同じ立場で同じ事をしているにも関わらず、罪悪感も背徳感も見せない一二三が理解出来ない。
しかし同時に、酷く羨ましくもある。
何故そんなにも、晴れた顔をしていられるのかと。

ペットボトルを片手に一二三は彼女の側に移動すると、彼女の頭上付近のベッドサイドに腰を下ろす。
そのまま眠る彼女の頭をひと撫でし、次いでその髪を梳く。



「オレっちは三人で居られるなら、手段なんてどうでもいいんだよなぁ」



告げる内容は現実を反映して何処までも悪魔染みているにも関わらず、彼女を見つめる瞳は酷く優しい。
髪に触れる手はまるで宝物にでも触れているような繊細さで、彼女への愛おしさが滲み出ていた。



「──彼女の傍に居られるなら、なんでもいい」



ぽつり、と呟く。
言おうと思って口にした訳ではなく、知らず口に出していたと言うような言い草で。

ああ、こいつも大概歪んでいる。
俺と同じで彼女を誰よりも大切に思っているのに、己の欲で現実を歪めてしまう。

三人でいるのが幸せだった。
幼い頃からずっと共にいるせいか、そこは酷く居心地が良くて、いつしか安らぎの場所となっていた。
だから、互いに彼女への想いが変わっていっていることに気づいていても、誰かが悲しんでこの関係が壊れることを怖れて動かなかった。

しかし月日が流れれば子供のままではいられない。
日々周囲は変化して行き、停滞と安寧を許さない。
彼女自身の想いが変わらなくとも、彼女を取り巻く全てがそれを壊していく。
彼女にそれを強要する。

だから、その時が訪れたのだ。
彼女が俺達の前から居なくなる、その時が。
俺達を手放す、その時が。

だが───俺達はそれを許さなかった。

俺が彼女と出会ってからの二十四年と言う月日はあまりにも長く、最早彼女の存在は身体の一部と化している。
酸素のように俺の身体には彼女が必要で、居なくなってしまっては呼吸すら儘ならなくなるだろう。
それは一二三も同様で、今更彼女を手放せる筈もなかった。

関係が壊れるとか、最早その次元ではない。
この関係でいるには彼女の存在が大前提なのに、その彼女が居なくなる。
そんなこと、許せる筈もない。

故に、彼女を縛ることにした。
俺達で雁字搦めにして、何処にも逃がさないように。
彼女の意思を阻害してでも、例え彼女自身を壊してしまってでも。
俺達からは決して、離れられないように。

互いの利害が一致した故に、彼女への想いを拗らせてしまった二人が、歪んだ形で想いを遂げる。
誰よりも彼女の幸せを願っていた筈なのに、実際は俺達が誰よりも彼女を不幸にしている。
なんて浅ましい現実だろうか。

理想と現実の差に内心で嗤いつつ、俺は彼女の剥き出しの背に触れる。
そのまま背骨を伝うように指を下へと這わせれば、辿り着いた腰元をゆるりと優しく撫でた。

この裏にある体内に、昨夜は何れだけ己の欲を吐いたのだろうか。
衝動のまま無我夢中で貪っていた俺には、彼女の反応しか思い出せない。
この細い身体に男二人分の欲を受け止めなくてはならなかったのだから、きっと途轍も無く恐ろしかっただろう。
負担は肉体だけでなく、精神的にも計り知れない。

可哀想な彼女。
こんな俺達に想われて、ただ壊されていく鳥籠の鳥となってしまった。
羽ばたける美しい翼は哀れにも手折られて、逃げることすら許されない。
ただただ醜い欲望のままに、強制的に歌わされては嬲られる。

我ながら何とも悪逆非道な所業だろうかと、自嘲した。



「なぁ、一二三。この先───どうする」



俺は彼女の腰を撫でながら、問い掛ける。
そうすれば一二三は俺を一瞥して、笑った。



「それは独歩が一番分かってるんじゃない?」



何処か確信めいた嬉しそうな笑みに、俺は悟る。
ああ、今の俺はきっと、酷く歪んだ笑みを浮かべているに違いない。
だから一二三は、俺の遣ろうとしていることを察している。

純粋だった想いは何時しか黒く塗り潰されて、果ての見えない深淵と成ってしまった。
この闇は何処までも脱け出せない淵となり、彼女を水底へと引きずり込む。
そうして辿り着いた先には、きっと幸せなど無いのだろう。
あるのは執着と欲だけで、彼女は自由への渇望に喘ぐ未来しかない。

それでも構わない。
自ら壊した幸福に縋る術など、最早無いのだから。

彼女を深淵へと縛る枷を成すため、腰を撫でていた手を止め、手にしていたペットボトルを床に置いて身を乗り出しては、彼女の肩を掴む。
そのまま身体を正面に返せば、美しい裸体が眼前に曝された。

白い肌には至るところに所有の印が付けられていて、その柔肌を未だに蹂躙している。
多分殆どのそれは俺が付けたものだろうが、髪の生え際や、腕や足の付け根辺りのそれは、一二三のものだろう。
衝動的な俺とは違って、一見人目に付き辛い場所に散りばめられたそれは、俺よりも深い執着を見せているようにも思えた。

もしかしたら一二三の彼女への想いは、俺よりも狂気染みているのかもしれない。
そんなことを思いながら少しばかり対抗意識を刺激されつつ、欲がそそられれば、俺は彼女に覆い被さった。

そのまま右手で頬を撫でる。
涙の痕が未だに残っているその表情は、心なしか悲しそうに見える。
それに僅かばかり罪悪感が過るも、すぐに消し去ることにする。



「お前は絶対に逃がさない」



だからごめんな、と謝って、彼女の涙の痕を舐め上げる。
僅かに塩気が混じったそれが彼女の苦痛を表している錯覚に陥って、それを甘いと感じた自分に苦笑した。

どうしてこんなことになってしまったのだろう。
そうさっき問い掛けていた自分を嘲笑う。
そんなの、問題定義に上げることすら馬鹿馬鹿しい。
こんな倒錯的な感情を覚えてしまっている段階で、全ての元凶は自分にあると言っているようなものだ。
狂気に呑まれた男のする所業など、鬼畜外道以外に何があると言うのか。

哀れにもそんな男に捕まった彼女は、この先の更なる悪逆非道な行いに、どう思うのだろう。
恐怖に泣き荒ぶ姿は見たくないと思いながらも、そんな彼女を見てみたいと願う自分がいた。

愛してる。

その言葉を告げたのは俺か、一二三か。
最早分からなくなった思考回路で、俺は彼女に口付ける。

彼女が絶望に目を見開くまで、後少し。




















果ての見えぬ深に囚われた無垢な

(君は死ぬまで一生、俺達獣のお姫様)


2018,8,7