イノセントヴィーナス | ナノ


*微妙に裏的表現有りにて注意



嗚呼、逸そ酷いと罵ってくれれば。
嗚呼、逸そ嫌いだと拒絶してくれれば。

そうすれば、僕は。





Soucis








暗く狭い空間に一人、閉じ込められている少女がいる。
首と足には枷がつけられ、逃げることは許されない。
そんな鳥籠の中に、一人の幼き少女は閉じ込められていた。



「はっ、・・・・・ぁ!」



淫らな声が響き渡る。
少女の切なげな、悲哀に満ちた艶めかしい声音が。

少女は檻の中で声を荒上げる。
淫らに相手に翻弄されて、望みもしないその行為に身悶えながら、少女は哀しい瞳で彼を視た。

それを感じて、彼は歯を食いしばる。
ぎりり、と奥歯が鳴った。

もいつものように行われる行為。
いつものように繰り返される反応。
そして、いつものように向けられる視線。

それに耐えかねるかのように、彼は彼女を翻弄していたその手を止めた。



「っはっ・・・、・・・・・?」



少女は息を荒上げながらも不思議そうに瞳を潤ませたまま彼を見上げる。
そんな彼は酷く苦しそうだった。



「仁・・・・・?」



どうしたの、と問い掛ける少女に、仁と呼ばれた彼は彼女を睨み返す。



「・・・・っ、・・・・・・どうして」

「?」

「どうして嫌がらない」

「嫌がる・・・?」



その問い掛けの意味が判らず、少女は不思議そうに小首を傾げた。
それを見て益々彼は憤りを覚える。



「僕がこんなにも君を傷つけているのに。こんなにも酷いことをしているのに。・・・・・何で抵抗しないんだよ・・・・・」



彼は苦しそうにそう告げた。










彼───仁は、仲間であった少女の沙那を監禁していた。
嘗ての仲間を裏切り、仁は敵側についた。
そして組織に必要な沙那を、仁は組織の檻に閉じ込めているのだった。

そんな彼女の世話役を担っているのは、誰でもない仁本人。
彼女の食事も監視も何もかもを仁が担い、全てを管理していた。
その沙那に、仁は不必要なことを迫る。
今行っていることが、それだった。

これは今に始まったことではない。
沙那を閉じ込めたその時からずっとだった。
閉じ込められ拘束された沙那を、仁は無理矢理抱いた。
まだ未発達の身体を乱暴に、痛がる彼女を気にもせずに。

それを何度と繰り返していけば、沙那は次第に精神崩壊を起こして抜け殻になるだろうと仁は考えていたのだ。
だがしかし、実際はそうではなかった。
実際彼女は精神崩壊を起こしてはいないし、空想に耽るようなこともない。
初めこそ痛みに嫌だと拒絶の言葉を吐いていたが、今では現実に意識を捉えながらも仁のなすがままになっている。

いや、それだけではない。
沙那は哀しそうな瞳をして、仁のその全てを許すようにして。
なすがままに、受け入れているのだ。
そして、それは今も同じで。










「・・・こんなにも酷いことをしているのに、どうして拒絶しないんだ」



沙那の頭の両脇にある己の手に、力を込めて握りしめる。



「どうして僕を罵らない。どうして僕を嫌いだと、死んでしまえばいいと、拒絶しないんだ」



苦しそうに、仁は告げた。
そんな彼を見て、沙那は哀しくも優しい瞳を返す。



「仁が、優しいから」



それを聞いて仁は顔を顰めた。
彼女の気がどうになかってしまったのかとすらも思う。



「君は馬鹿か?僕がいつ、君に優しくしたんだよ?」



鼻でせせ笑うかのように言い捨てる仁。
それに対して沙那は全く動じずに優しく微笑んでいる。



「仁はいつだって優しいよ」

「優しい?それは嘘をついていた初めだけだろ」



仁は不愉快そうに眉を顰める。

沙那を助けたあの時から、丈と一緒に行動していた間だけは優しくしている記憶はあった。
嘘を冠って偽りの仮面を纏い、微笑んで優しくした記憶は。
然れど今は沙那に酷いことをした記憶はあっても、優しくした記憶はこれっぽちも仁にはなかった。

故に、何を言っているのかと沙那を嘲笑う。



「そんなことないよ。仁は昔も今も、ずっと優しい」

「世迷い言も大概にしなよ。現実逃避をするにも甚だしい言い訳だ」

「本当のことだもん」



そう拗ねながらも優しい瞳を向けて言い続ける沙那に、仁は苛立を覚えた。

沙那の反応は、偽りの仮面を被っていた時と何ら変わらない。
こんなにも酷いことをしている自分に、何の変化もなく昔と同じように話すのだ。



「・・・何でそんなことが言えるんだよ。僕は嫌がる君を無理矢理犯したんだ。そして今も尚、君を犯し続けてる。・・・・・こんなことをされてもまだ僕を優しいだなんて言い続けるつもり?」

「そうだよ」

「っ!」



ダンっ、と音がなるほど地に腕を叩き付けた。
その際に、その手が沙那の頬を軽く霞める。



「何でだよ!?どうしてなんだ!?僕はこんなにも酷いことをしているのに、どうして君はそんなことが言えるんだよ!?」

「・・・・・」

「拒絶しろよ、嫌がれよ!!僕が嫌いだって、僕なんていなくなってしまえばいいって、死んでしまえばいいて、そう言って僕を罵れよ!!」

「・・・・・」

「そう言って、そう言って・・・・・僕を、憎んでくれよ・・・・・」



最後は弱々しげに告げて、仁は力なく沙那の胸元に顔を埋めてしまった。
胸元に触れる仁の額が、僅かに震えていることを沙那に伝える。
沙那はそれだけで心が温かくなって。



「そんなの、無理だよ・・・」



愛おしそうに、仁の頭を両の手で優しく抱きしめた。
仁はそれにびくり、と身体を震わせる。



「仁は、優しいもん。どんなに沙那に酷いことをしたって、どんなに酷いことを言ったって、仁はいつも優しい」

「・・・何で・・・・」

「だって仁は沙那に酷いことをする度に、酷いことを言う度に。とっても傷ついた眼をするから」

「!」



仁はそれにがばっと身体を持ち上げた。
沙那の腕が頭から外れ、彼女を見下ろすその表情は酷く驚いていた。



「仁は隠していたつもりかもしれないけど、仁はいつも酷いことをする度に哀しそうな、苦しそうな眼をするの」

「・・・そんなの、嘘だ」

「嘘じゃないよ。それに仁は沙那に触るほんの一瞬、まるで壊れ物にでも触るみたいに優しく触れるから」



どんなに酷いことをしていても、私に触れるその一瞬は怯えたように優しいから。
どんなに酷いことを言っても、その度に自分が傷ついたような顔をするから。
私よりも、告げたその言葉に、犯したその行為に。
彼自身が後悔しているその瞳を向けるから。



「だから、仁は優しい」



そう沙那は微笑んで告げた。



「どう、して・・・・・」



仁は苦しそうに呟く。
その顔は今にも泣き出してしまいそうだった。

そんな仁に、沙那は頬へと手を伸ばす。
そしてそっと優しく包み込んだ。



「そんな仁だから、だよ」



沙那は愛しそうに仁を見つめ、その頬を撫でる。



「そんな仁だから。だから沙那はどんなに酷いことをされても、どんなに酷い言葉を言われても」



本当に心から告げる微笑みを浮かべて。



「それでも仁を嫌いになることも憎むことも出来ないの」



そう、心から微笑んだ。

それに仁は苦しそうな顔をして。
救いを求めるような、切なげな顔をして。

優しく、口付けた。



「・・・・仁」



唇を離すと嬉しそうに微笑む沙那がいて、仁はそれに哀しそうな表情を向ける。
しかしそれも一瞬で、仁はその場から静かに身体を離した。
そのまま沙那に背を向け、この部屋唯一の扉へと向かって歩いて行く。



「・・・仁?」



近くにあったシーツを引き寄せて身体を起こした沙那は、不思議そうに彼の背に問い掛けた。
その声に扉の前で彼は立ち止まる。



「・・・興が削がれた。後は勝手にしろ」



そう振り向きもせずに冷たく言い捨て、仁はそのまま沙那を放って部屋を出た。

部屋には虚しい金属の音が響き、後には闇だけが室内に広がる。
沙那はそんな部屋の中で、一人哀しそうに閉じられた扉を見つめ続けた。

























閉まった扉の前で仁は立ち尽くしていた。
そしてそのままふらりと揺らいだかと思うと、力なくその背を扉に預ける。
機械的な廊下の無機質な照明を、仁は虚ろな表情で見上げた。





どうして、嫌いになってくれないんだ。
どうして、憎んでくれないんだ。
どうして、拒絶してくれないんだ。





たった一言、憎しみのこもった眼で否定してくれればよかったのに。
たったそれだけで、僕は君の全てを壊すことが出来るのに。

それなのに、どうして。





仁は哀しそうに、ただ冷たく輝く光を見つめる。

全ては偽りの生活の中に、一条の光を見てしまったのが過ちだった。
仁はあの偽りの逃亡生活の中で、騙されているにもかかわらず一心に自分を思い続けてくれていた彼女に、心を奪われてしまっていた。










初めはただの道具としての価値しか見出していなかった。
本当にただ、都合のいいように懐いてくれたのでそれが有り難いとしか思っていなかった。
しかし沙那に自分の目的としていることが明らかになったとき、沙那は自分がたとえ辛い目にあっても自分についてきてくれると、自分に出来ることがあるのなら尽くしてくれると。
そう何の疑いも迷いもなく、言ってくれた。

ただ純粋に仁の力になりたいのだと。
その為ならば、自分がどんなことになっても厭わないと。
そう本当に優し過ぎる心で、心からそう願ってくれていた。

偽りだらけのこの世界で、馬鹿な程純粋に。





仁にはそのとき、彼女のあの言葉がこの上もなく救いになっていた。
偽りの世界の中で、また自分という偽りの存在に対してでも、彼女のように純粋な心がまだあるのだと。
丈と同じように、まだ純粋で汚れない心が存在しているのだと。
そしてそれが、例え偽りの自分に対してでも向けてもらえているのだと。

そう、奇跡にも似た嬉しさが胸を満たしたのだから。





だからこそ、裏切る時になってその心が離れていくのを淋しく感じた。
例え偽りの自分だったとしても、好いてくれていた沙那を仁はいつの間にか愛してしまっていたのだ。

しかし自分の目的は果たさなくてはならない。
その為には沙那へのその気持ちも、向けられる感情も不要だと切って捨てた。
それでも彼女を見る度に心が揺らいだ。
まだ一心に自分を信じて好いてくれている彼女を見る度に苦しくなった。
そんな中途半端な気持ちを抱いたままで目的が果たせる訳がない。





だから仁は彼女と決別する為に、彼女を傷つけた。
彼女が精神崩壊をすることなんて端から思っていない。
そんなこと、望んでもいない。
ただ彼が望んでいたことは、彼女が己に失望し、嫌い、憎んでくれること。
ただ、それだけだった。

それは彼女が自分を失望し、拒絶し、憎めば、やはり彼女も己の愚かで優しい父と同じだと。
そして結局彼女が愛したのは自分自身ではなく、あの偽りの自分だったのだと。
そう、切り捨てることが出来るのだから。





しかし結果はどうだ。
自分が幾ら酷い仕打ちをしても、沙那は全く嫌う気配がなかった。
それどころか己の本心を暴いてしまったのだ。

己の心の内を指摘された時、それで彼女を切り捨てることが出来ないと仁は確信してしまっていた。
沙那はどんなに酷い仕打ちをしても自分を嫌い、憎むことがないのだと知り、喜んでしまっていた。





もう、そこで駄目なのだと仁は悟った。
あの幼き少女へと抱いてしまった感情は、もう後戻りが出来ない程にまでその心の内を巣食っていたのだと。

こんな想いをするのなら、逸そ壊れてくれた方が有り難かった。
あのまま壊れてしまえば、あのまま拒絶の意を示してくれれば。
自分はどんなに卑劣なことでも彼女にして与えてやることが出来たのに。

それなのに。










どうして彼女はあそこまで自分を信じて愛してくれるのだろう。
そうぼんやりと思う。
しかしそれこそが愚問だと苦笑した。

それこそ自分が愛した少女なのではないか、と。





「・・・とんだ煩いごとを抱えてしまったようだ」





そう苦笑気味に呟いて、仁はそっと瞼を閉じた。

























もうその後には、暗い闇しか見えない。


























【お題元:橙の庭
2008,12,5



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