イノセントヴィーナス | ナノ



「じーん、っ、きゃあ!」





怪我から伝わる貴方の熱








「いったぁ〜い・・・・・」



沙那は痛みに音を上げる。
仁を見つけて駆け寄ろうとした際に、前方に勢い良く転んでしまったのだ。
それを視界に入れた仁は、沙那の元へと駆け寄る。



「大丈夫かい?沙那」

「うん・・・・ちょっと転んだだけ」



沙那は転んだ身体を持ち上げて上半身だけ起し、地べたにぺたりと座って仁を見上げた。
すると覗き込むように己を見下ろしていた仁のその綺麗な顔が心配そうに歪められていて。
沙那はそれに何処か悪い事をした気分になり、申し訳なさそうに俯いた。
仁はそんな沙那の心情には気付かず、沙那が立ちやすいように右手を差し出す。



「立てるかい?」

「うん、大丈・・・・っ」



沙那は差し出された仁の手を取って立ち上がろうとしたが、瞬時にその表情は苦痛の表情に歪められた。
足に痛みが走ったのだ。



「沙那・・・・・?どこか怪我でもしたのかい?」



沙那の異常を察した仁は、未だ座ったままの沙那の前へと屈み、沙那の抱え込んでいる右足を覗いた。
どうやら怪我したようで、膝に軽い掠り傷を負っていた。



「足、見せて」



そう促し、仁は沙那の右足へと左手を伸ばす。
そしてそっと優しく沙那の足首を掴むと。



「え、えっ?いっ!」



仁の行動に一瞬驚いた表情を見せた沙那だったが、しかしそれは足首を掴まれた途端に表情を歪めた。
それに気付いた仁は慌てて掴んだ手を放す。



「ああ、ごめん。足首も捻っていたのか・・・・・痛かったかい?」

「ん・・・・・大丈夫」



申し訳なさそうに覗き込む仁に、沙那は微笑む。
しかしそれは酷くぎこちない笑みで、何処からどう見ても無理をしていた。
きっとそれは沙那なりの心遣いなのだろう。
しかしこれ以上心配させられないと無理に造った笑顔は、逆に痛々しさを伴っていて逆効果だということに本人は気付いていない。

心遣いは嬉しいが、逆にそれが痛々しく見えるのは少々困りものだ。
仁はそう思って苦笑を浮かべた。

仁は苦笑を浮かべたまま、沙那の足を見る。
表面上を確認したところでは右膝の擦り傷が出来ているだけのようだ。
しかし傷からは血が出ていて、擦りむいた箇所が少女の白い肌に映えて痛々しい。

手当しなくてはと考えた仁は、一先ずこの場所から移動しようかと思う。



「沙那、左足も膝を立ててくれるかい?」

「え?いいけど・・・・・きゃあ!」



沙那は軽く悲鳴を上げた。
仁が沙那を抱き上げたからだ。
沙那は仁の言われた通りにもう片方の足を立ち膝にした途端、仁はその揃えられ両の膝裏に片腕を通し、もう片方の腕で沙那の背を支て沙那を抱き上げたのだ。
続に言うお姫様抱っこである。

驚いてわたわたして戸惑っている沙那を余所に、仁は沙那を抱き上げたままその場から移動する。
向かった先はすぐ側にあった高さ五十センチほどの瓦礫。
仁は沙那をその上にそっと座らせた。



「ちょっと待ってて、薬箱を取ってくるから」



まだ驚いて戸惑っている沙那に仁は微笑みながら、薬箱を取りに身を翻した。




















「お帰り、仁!」



沙那は薬箱を片手に帰ってきた仁に微笑んだ。
そんな沙那に仁も微笑み返す。



「お待たせ。それじゃあ、手当てを始めようか」



そう促した仁は、沙那の前へと屈んだ。

仁は地面に置いた薬箱へと早速手を伸ばして留め具を外し、蓋を開ける。
すると薬品の匂いが瓦礫のみの閑散としたこの辺り一体に溢れ出した。
その中から仁はガーゼと消毒液スプレーを取り出し、ガーゼを沙那の右膝の擦り傷のすぐ下に当てる。



「少しの間だ、我慢だよ」



そう言って一度沙那の目を見つめると、仁は消毒スプレーのノズルを傷口付近に当てて液を吹きかけた。



「いっ・・・っ」



膝から痺れるような痛みが体に駆け上がる。
その痛みに沙那の表情は歪み、痛みに耐えるよう歯を食いしばった。

しかしそれは先ほど仁が行った通りに束の間の間だけで、消毒はすぐに終わって染みるような痛みはすぐに引いた。
沙那は軽い脱力感にほっと胸を撫で下ろしながら、消毒し終わった膝を手際よく治療して行く仁の作業何となくぼんやりとした頭で見つめていた。



「よし、次は足首だな」



膝に大きなバンドエイドを貼付けて作業が終わった仁は、今度は痛めた足首の治療をしようと沙那の右足に再び手を伸ばす。
そのまま左手でそっと沙那の脹脛の部分を掴むと、ゆっくりとその華奢な足を持ち上げた。



「沙那、手当てをするから靴と靴下、脱がすよ?」

「え・・・?あ、う、うん」



優雅な手つきで足を持ち上げる仁に半ば見とれていた沙那は、突然問い掛けられてぼんやりとしていた思考を慌てて引き戻す。

仁はそれを了承と取り、靴を脱がせるために沙那の右足を自分の胸元辺りまで持ち上げた。
そして右手を先ほど治療した膝よりも少し下の辺りから流れるように足の上を滑らせる。

つつ、っとまるで綴るように滑らかに滑って行くその手先に、沙那はソックス越しの足下からくすぐったいような、あるいは痺れるような。
そんな気持ちのいいような何とも言えない痺れが背筋へと駆け上がった。



「っ!」



沙那はそれに息を詰める。
思わず変な声が出てしまいそうだったからだ。

そんな沙那に仁は気付く様子も無く、作業を続ける。
仁の右手が足首まで来ると、沙那の靴にあるジッパーを降ろし、ゆったりとした動作で沙那の足首に掛かる靴の首元を、出来るだけ沙那が痛みを感じないようにゆっくりと慎重に手を掛けて靴を脱がせる。
その手つきは優雅で、壊れ物を扱うように繊細な動作をしていて、まるで従者がお姫様の靴を脱がしているようなそんな光景でもあった。

仁は靴を脱がせ終わると脱がせた靴を自分の右隣にそっと置いた。
そして今度はソックスを脱がすために再び仁の右手が膝元まで上がる。

沙那が穿いているのは黒いロングソックス。
そのロングソックスの縁に手を添えながら、流れるように手を足の上に滑らせて下ろして行く。
同時に仁の細くも確りとしている指先が素肌をなぞり、先ほど感じた痺れよりも更に強い甘い痺れが沙那の背筋を駆け上がった。

その痺れに無意識に体が反応し、沙那の身体がびくりと跳ねる。
仁はその反応に気付き、沙那の足に注いでいた視線を外して沙那を見上げた。



「どうした?痛かった?」



心配そうに沙那の顔を覗き込む仁を見て、沙那は真っ赤に染まった顔を覆い隠すように両手で顔面を覆い、首を一生懸命横に振る。
仁はそれを否定と取り、ほっと胸を撫で下ろした。



「ならいいが・・・・でも沙那、どうして手で顔を覆っているんだい?」



痛みを感じているわけではないのなら、何故顔を隠す必要があるのか。
それが仁には判らなかった。

そんな仁に沙那は再び頭を横に振る。



「なっ、なんでもない!なんでもないの!!」

「そう・・・・・判った」



仁はそう言って再び作業を開始する為に俯いた。

仁はよほどの事が限り深く追求してこない。
それが時に物悲しくも感じるのだが、今の沙那にとってはそれが救いだと思った。

今思っている事を追求されては沙那は答えられない。
こんな事、言えるわけがない。
沙那はそんな仁の反応にほっと胸を撫で下ろした。

そんな沙那の思いを知らずに仁は作業を再び開始することにする。
ソックスは沙那の足首まで下ろしてある。
だがそこから如何に沙那に痛みを感じさせないように脱がすかが問題だった。



「沙那、痛かったら言っていいから」



仁はそう前置きをしながらもどうやらこういったことには手馴れているようで、再び優雅な手つきでソックスを脱がして行く作業には痛みはない。
しかしその手つきによって与えられる痛みとは似ても似つかない訳の判らない痺れを感じずにはいられなかった。
それ故に沙那は一生懸命その痺れに耐えるしかない。

身に纏っていたソックスがするすると脱がされて行き、次第に沙那の白く透き通った肌が曝されて行く。
そしてあっという間に痛みも感じずにソックスが脱がされると、沙那の小さくて華奢な素足が全て外気に曝された。

仁は右手をその足首に優しく掛け、そっと触れる。
まるでガラス細工に触れるかのように。
慈しむかのように。

そっと、優しく。



「・・・・・」



天井の瓦礫の隙間から月明かりが漏れ、その光が沙那の白い肌を反射する。
それはその肌を映えさせ、その色を白く透明に見せた。
影は青みを帯び、神秘的とも幻想的とも言えるような光景を作り出す。

その肌は例えるなら女神。
女神がどのような肌をしているかなど知るわけがないが、だがしかし、例えるならばそれしかないだろう。

そう思えるほど沙那の肌は白く透け、幻想的だった。



「じ、仁?」



ぴたりと動きを止めてしまった仁を不思議に思い、沙那は顔を覆った両手を解き、仁に声を掛けた。
けれども仁は返事もせずに、ただじっと沙那の白い足を眺めている。
そんな仁を見て、沙那の心に不安が込み上げて来た。





何か足に異常があったのだろうか。
捻挫などではなく、骨折だったりするのだろうか。
しかしそんな痛みは感じない。
ならば何があるのだろうか。

そう考えると、もう一つ思い浮かんだのは怪我ではなく、足自体の問題で。
もしかしたら靴が蒸れていて足が臭かったのかもしれない。





そんな不安を見出してしまった沙那は、先ほどまで赤かった顔を今度は一転させ、真っ青にした。



「じ、仁・・・・あの、もしかして・・・・・」



臭ったりするの?
と、言い辛いながらも問いかけようとしたが、それは最後まで言葉にはならなかった。

いや、出来なかったのだ。
その仁の行動を見てしまったから。
触れて、しまったから。





肌が露になったその、足の甲に。
仁が口付けを落としたのだから。





沙那はただただ驚くしかない。
何かを言わなくてはならない筈なのに、咽喉が詰まって上手く声にならない。
足に唇の柔らかい感触がする。

その場所が、熱い。



「・・・っ」



沙那は目を固く瞑る。
すると更に仁のその唇の感触がより鮮明になった。
仁のその光景が恥ずかしくて、しかし目を反らすこともできなかったので変わりに目を瞑ったのだが、これでは逆効果だ。

どうしようもなく恥ずかしくて、でも何処か嬉しくて。
沙那はどうしたらいいのか目を瞑った暗闇で懸命に考える。

そうこう思っているうちに、足元から熱が離れた。



「・・・?」



沙那は恐る恐る目を開く。

するとそこに映ったものは、いつもの仁。
さっきまで大胆な事をしたというのに、全くもってそんなそぶりも見せず、まるで初めから何も無かったかのように始めと同様治療している仁がいた。



「じ、仁・・・?」

「何だい?沙那」



そう答えながら仁は薬箱からスプレー式のシップを取り出し、沙那の右足首へと吹きかけた。
そして上げていた沙那の右足を、自分の左足の上にそっと置く。
足を汚れないようにという配慮なのだろう。
そんな仁に呆気に取られて沙那は呆然としていた。



「沙那?」

「・・・え?あ、ううん。ごめん、なんでもない」

「・・・そうかい?」



慌てた仕草で謝る沙那に首を傾げながらも、仁は気にしない事にする。
そして作業を再開し、仁は薬箱から包帯を取り出してそれを成れた手つきで沙那の足に綺麗に巻いていった。

そんな仁を、漸く落ち着いた沙那は見下ろす。





椅子の変わりに座っている瓦礫のおかげで今は沙那の方が高い位置にいる。
そして今の仁はそんな自分の足元に跪いて手当てをしているので、必然的に仁を見下ろす形になっていた。
いつもは身長差故に見上げる側の沙那。
だからこうして上から仁の顔を眺めることはそう滅多にない。
だからこれを機にとばかりに沙那は仁の顔をじっと見つめた。

じっくり仁の顔を見ると、仁はとても綺麗な顔立ちをしているようだった。

睫は長く、その睫から覗く琥珀色の瞳が宝石のように時折輝いているように覗き見える。
目には意外と奥行きがあり、鼻も高くて顔のラインも細い。
そして髪は綺麗な白銀色をしていて木目細かく、しかし触れればとても柔らかそうだった。
仁は東洋人であるはずなのだが、その顔の造形は何故か西洋人に近い。
もしかしたら仁にはそちらの血も交じっているのかもしれない。





などと考えていると。



「沙那、僕の顔に何か付いているのかい?」

「・・・えっ?」



突然声を掛けられ、沙那は素っ頓狂な声を上げてしまった。



「流石の僕も、そんな穴が開きそうなほど見つめられると困るんだけどな」



これでも照れるからね、と付け加えて困ったような、そうでないような曖昧な笑みを仁は浮かべた。

それを見て、沙那はぼっと火がついたように顔を赤くする。
どうやら無意識のうちに顔を食い入るように見つめていたのだ。



「ご、ごめんなさい!」



沙那は即座に謝ると、そのまま俯いてしまった。
そんな沙那を見て、仁は微笑む。



「はい、終わったよ」



そう仁は言うと沙那の右足を脱がせた沙那の靴の上に置いた。

足には綺麗に白い包帯が巻かれている。
どうやら沙那が仁に魅入っている間に終わらせてしまったようだ。



「足、痛くない?包帯がきつ過ぎたりしてたら言ってくれ」



沙那はそれに小さく頷くと、軽く右足首を動かしてみる。
痛むところは不思議な程にない。



「うん、大丈夫」

「そうか、ならよかった。軽い捻挫だったみたいだから無理をしなければ数日で治ると思うよ」

「ありがとう!」

「どう致しまして」



面々の笑みで御礼を言った沙那に仁も優しく微笑み返すと、さて、と仁は居住まいを正して、先ほど脱がせた靴とソックスを沙那に差し出しながら沙那の顔を覗いた。



「後は全部自分で出来る?無理そうなら僕がやるけど?」

「う、ううん、大丈夫。一人で出来るよ」



沙那はそう少々慌てながら言い、仁から靴とソックスを受け取った。

心なしか穂のかに頬が赤い。
先ほど仁に靴とソックスを脱がせてもらったシーンを思い出してしまったからだ。
脱がせてもらっただけであんな気分になるようならば、多分穿かせてもらう時も似たようになるに違いない。
それには今度こそ、耐えられない気がした。

仁は沙那の返事に頷くと、綺麗に整頓された薬箱の蓋を閉じ、金具を留める。



「それじゃぁ、僕は戻るよ。色々準備しなくちゃいけないからね」

「わかった」

「何かあったら無理せずに僕か丈を呼んでくれ。助けるから」

「はーい!」



沙那の元気な返事を聞いて仁は微笑むと、その場から立ち上がった。
そして沙那に背を向け、この場から靴音を響かせて去って行く。





「・・・・・」





そんな仁の後ろ姿が見えなくなったのを確認して、沙那は大きな溜息を吐いた。










さっきの仁の行動は何だったのだろうか。
幾等考えても答えは見つからない。
きっと聞いてみても仁は答えてはくれないだろう。
第一聞く事も恥ずかしくてとても出来る気はしない。

沙那はまだ外気に曝されている右足に視線を向けた。
そして月明かりが射すこの瓦礫の地に、一つの深い溜息が響いた。

























触れられた足が。
口付けされた足の甲が。

───熱い。



執筆:2006,7
修正:2009,5,18