Missing | ナノ


「おねえちゃん。なにをやっているの?」



空目を待っている最中、突如その声は掛けられた。





雨宿り、君と








あやめはいつものように、学校へ行った空目を外で待っていた。
校内にある庭先の大きな桜の下で空目の帰りを待つのが彼女の日課なのだ。

春である今は、その桜の木は満開に花を咲かせている。
晴天の空の日は、きっと春風に淡色の花びらを乗せ、優雅な美しさを醸し出していることだろう。

けれども今日は、雨が降っていた。
春の暖かな日差しも、優しい風も、今日に限ってはお目にかかれない。
ただただ今日は、しとしとと降る雨の音楽会を、曇天の空の下で鑑賞するしかない。

あやめはそんなメロディーを聞きながら、一人桜の木下で授業が終わるのを待っていた。
大きな桜の木はその開花させた花のおかげで屋根となり、あやめの立っているところには時折冷たい水滴と濡れた花びらが落ちてくる以外は、大して濡れはしなかった。

今日もいつもと同じ、何ともない日常が続くのだろうと思いながら、あやめは唯只管に空目を待ち続ける。
そんな中、この場にはそぐわない幼い少年の声があやめに掛けられたのだ。





少年はにっこりと無邪気に微笑みながら、あやめを見上げている。
目隠しをした、幼い子供だった。
普通の人間ならば、その目隠しを少々不思議に思うかもしれない。
しかしあやめはその少年を知っていた。

───空目想二。

それがこの少年の名前だった。
彼は主である空目のたった一人の弟だ。

だが今はもう人間ではない。
神隠しに連れて行かれた少年。
今ではあやめと同じ存在なのだ。

彼は現在空目の友人である近藤武巳に憑いている。
そんな彼が何故自分に声を掛けてきたのかが、あやめには判らなかった。



「ぇっ・・・・・ぁ・・・・・・」



あやめはただその突然な出来事にうろたえるばかり。
どう対応していいのかが判らないのだ。



「そんなにけいかいしなくてもだいじょうぶだよ?」



想二はにっこりとあやめに微笑む。
しかしそう言われてはいそうですかと納得いくわけがない。
うろたえながらも警戒しているあやめを見て、想二は困った顔をした。



「べつになにかしようとはおもってないよ?ただひまだったから、こえをかけたんだ。ねぇ、ほんのすこしのあいだだけでもいいから、はなしあいてになってよ」

「・・・・・・ぇ?」



あやめはその言葉にどう対応すればいいのか余計に判らなくなってしまった。

想二は魔女側の怪異だ。
けれども今の想二は何かをしようとする気配は感じられなかった。
ならば一時休戦と言うことでいいのだろうか。

少々考えあぐねながらも、あやめは敵視しないことにした。
警戒が解かれたのを感じ取った想二は、嬉しそうに微笑む。



「きょうはあめがふってるね」

「は、はい」

「おねえちゃんは、あめはすき?」

「そう・・・・ですね。晴れの日も好きですが、雨の日も好きです」

「そっかぁ。ぼくもすきだな」

「どうして・・・・・ですか?」

「だって、あめがふったらみずたまりができるでしょ?みずたまりをふんであるくのってたのしいもん!」



そう言って想二は本当に無邪気に笑ってみせる。
子供特有の、幼さのある可愛らしい微笑み。
目隠しさえしていなければ、もっと素敵な笑顔を見れただろう。
あやめはその微笑が見れないのを少々残念に思いながら、想二を見て微笑む。

ふと、こうして他愛の無い話をするのは久しぶりだな、とあやめは思う。
普段から共にいる空目とは、このような話はしない。
したとしても、異界の話やあやめの知っている御伽噺の話くらいだ。
後は必要最低限な話と、空目がほんのたまに気紛れで振ってくる話くらい。
文芸部の稜子や武巳などは話しかけてくれるが、あまり長い間側にいることがないので、それもたまにあることだ。

それに想二は実際年齢こそ確かに違うが、子供だ。
怪異であることには違いないが、中身は人間の子供のまま。
だから神隠しとして子供と接するとき意外に、幼い子供とこんな風に話すことが本当に久しぶりだった。



「でもあめがふると、さくらのはながはやくちっちゃうね」

「そう・・・・・ですね」



お互いに雨宿りをしている桜の木を見上げた。

見上げた桜色の花びらはいつもよりもべったりと淀んだ色をし、どことなくくたびれて見える。
美しいことには変わりないが、それでも曇天の空と今の桜の対比は、晴天の空のときの桜よりも少々劣って見え、更に雨粒の衝撃と重たさで花びらが数多く散って、寒々しく感じる。



「確かに・・・・・そうですね。それはちょっと・・・・・・悲しいです」

「でしょ?それにただでさえ、さくらのはながさいているじきはみじかいから」

「雨は恵みの神様ですが、この時期には少々避けていただきたいですね」

「うん」



想二はあやめの意見に頷いた。
するとふと何かを思い出したかのように、見上げていた顔をあやめの方へと向ける。



「あ、そうだ。さいしょのしつもんをこたえてもらうのわすれてた。ねぇ、おねえちゃんはここでなにをしていたの?」

「えっと・・・・・人を・・・・・・・待っているんです」

「ひと?」

「はい」



あやめは想二を見て頷いた。
想二は右の人差し指を顎に当て、少々考える素振りを見せる。



「それって、おにいちゃんのこと?」

「・・・・・・はい」

「そういえば、いつもおねえちゃんはここでおにいちゃんをまってるよね」

「はい」



あやめは再び頷いた。
想二はそんなあやめを見て、意味ありげに見上げてくる。



「おねえちゃんはおにいちゃんのこと、だいすきなんだね」

「・・・えっ!?」



そう言われて、あやめは頬を染めた。
まさかそんな返答が返って来るとは思いもしなかった。



「ぁ・・・・・ぇ・・・・・・・っ・・・・・・・・」



あやめはうろたえる。
想二に言われたことを否定できなかったからだ。

自分救ってくれた命の恩人。
そして現主である、空目。
あやめは少なからずとも、いや、確実に、空目を好いていた。
自分の存在を認め、受け入れてくれた彼に、あやめはいつの間にか惹かれていたのだ。

的を射た言葉に、あやめは言葉を失っていた。
両手で朱に染まった顔を覆い隠し、俯く。
そんなあやめを見て、想二は嬉しそうに微笑んだ。
そしてあやめの側へと近寄り、あやめの顔を覗き込む。



「ぼく、うれしいな」

「え?」



あやめは覆っていた両手の隙間から想二を見た。



「だっておにいちゃん、おねえちゃんといっしょにいるとき、すっごくうれしそうだもん。だからおねえちゃんがおにいちゃんをすきでいてくれて、うれしい」

「え?ええ?」



あやめの頭の中はもう既に混乱していた。
頭の中がぐるぐるとしている。
空目が自分と共にいるときに嬉しそうにしていたときがあっただろうか、などと考えてみたりしてしまう。



「でもね、ちょっとくやしい」

「ど、どうして・・・・・ですか?」



もう混乱している頭の中は一先ず置いておこうと考えたあやめは、想二の言葉に耳を傾けた。



「だってぼく、ふたりともすきだから。おにいちゃんもだいすきだし、おねえちゃんもだいすき。そんなだいすきなふたりが、なかよくすきあっているのは、すっごくうれしいけれど・・・・・・でもなんか、さみしいんだ」

「そう・・・・・なんですか?」

「うん。だってぼくがはいれるすきまがないみたいだから。なかまはずれにされているみたいで、ちょっとくやしい」



ちょっと拗ねたような言い方をされ、あやめはどうしたらいいのかと困惑する。
事実空目との仲が和気藹々としているのならばもしかしたら何か言うことが出来たのかもしれないが、実際はそういったものではないので、どう答えたらいいのか判らないのだ。



「でも、いいんだ。ふたりがしあわせなら、ぼくはそれで、いいんだよ」



困っているあやめに想二は安心させるように言った。
そしてにっこりと嬉しそうに微笑む。

その想二が微笑んだのと同時に、学校のチャイムが鳴った。
大きな鐘の音が校内に響く。



「あ、もうおわかれのじかんだね。ちょっとのあいだだけだったけれど、おねえちゃんとはなせてたのしかった。またね、っていいたいところだけれど、でもそんなひはもうきそうもないから。だから・・・・・・ばいばい」



そう悲しそうに想二が微笑みながら片手を振ると、強い風が吹いた。



「あ・・・・・っ!」



何か言おうと思い口を開こうとしたが、風のために軽く目を閉じてしまい、再びその場所を見たときには、もうそこには想二の姿は無かった。
ただ始めと同じ、雨に濡れた地面と、雨音だけがそこにはあった。





最後の別れの言葉も告げられず、目隠しの少年は去ってしまった。
何かが咽に引っかかっていて、心苦しい気分にあやめはなった。

もう彼に会うことは無いのだろう。
会えたとしても、次に会うときは敵としてだ。
決して今日のような平和な刻を共に過ごすことはない。
もうこの時間はどんなに願っても戻っては来ないのだ。
あやめはそれを少し、残念に思った。

空目が後少しでやって来る。
そうしたら、あやめは傘を差して空目を迎えに行かなくてはならない。
それは別に苦ではない。
幸福な刻である。











けれど、後もう少しだけ。
後もう少しだけ、あの少年と共に共有したこの刻を、味あわさせて。
後少ししたら、別れの言葉を告げるから。

だから、後、少し。
どうか、この平穏な時間を───私に。



















そう、願った。



【お題元:AnneDoll
2007,5,7



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