Missing | ナノ



ああ、どうしてこんなものを作ってしまったのだろう。
こんな思いをするくらいなら初めからこんなこと、しなければよかった────





チョコレートに乗せた想い








事の発端はそう、稜子さんのお話から始まった。





「ねぇねぇあやめちゃん、バレンタインデーって知ってる?」

「ばれんたいんでー?」

「そう、バレンタインデー」

「いえ・・・・・残念ながら知りません・・・・・・それは何なのですか?」

「バレンタインデーって言うのはね、女の子が好きな男の子にチョコレートを自分の気持ちと一緒にあげる日なの!」

「好きな人に・・・・・チョコレートを・・・・・・?」

「うん、そう!それでね、そのバレンタインデーが2月14日にあるんだけど、あやめちゃん、私たちと一緒にチョコレート───作らない?」





そう言われて私は誘われたその次の日に、稜子さんと亜紀さんのお二人と一緒にチョコレートを作ることになった。
私は和食は作れるけれど、洋食の類は一切作れず、また知識もない。
それは当然お菓子にも通じる事柄で。
だから洋菓子であるチョコレートの作り方を、私はよく知らないでいた。
そんな私の不安を汲み取った稜子さんたちは、私にチョコレート作りを一から全て丁寧に教えて下さり、作り上げた。
そうして今日は2月14日、バレンタインデー当日となった。





今はもう夕暮れ。
外は赤々と夕陽が空を照らし、烏が淋しそうに鳴いては通り過ぎてゆく。
もうすぐ学校も終わる時間。
それなのに、私は未だこのチョコレートを渡せないでいた。
そして私はチョコレートを渡そうとあちらこちらに右往左往しているわけでもなく、今は人も帰ってがらんどうとしている夕暮れの教室の隅っこに座っていた。

窓際の隅っこの席に座り、両手に持っているプレゼントをじっと見つめる。
じっと、じーっと。
どうして私がプレゼントを渡せずにいるのか。
それは至極単純で。


『バレンタインデーって言うのはね、女の子が好きな男の子にチョコレートを自分の気持ちと一緒にあげる日なの!』


稜子さんのこの一言が原因だった。
何故なら私が今からあげようと思っている方は、決して私のことが好きだとはいえないから。
寧ろ私のことを嫌っているとも思う。
最初は敵視されていたし、今は初めほど敵意は感じずに少しは親しくなれたけれど、それでも私のことを好いているわけではないことは判っていた。
だってあの人は私が触れようとするとその手を振り払うから。

触れようとした、といってもあまり深い意味は無かった。
ただ単純に顔色が優れなかったから、心配して思わず手を伸ばしてしまっただけなのだ。
それでもあの方は強く私を拒絶して。
たった一度だけの拒絶だけれど、それでもとても不機嫌な顔をしていた。

だから私がこれをあげるのは酷く押し付けがましいことで。
ただあの方の迷惑にしかならず、更に不快にさせることにしか意味がないと私は知っていた。
そんなただ不快にさせるだけのプレゼントなど、私には。



「・・・・・・渡せるわけ、ありません・・・・・・・・」



俯きながら、私はぼそりと呟く。

どうして私はこんなものを作ってしまったのだろう。
どうして私はこんなことをしてしまったのだろう。
そんなの問い掛けでもなんでもなかった。
だってそんなの答えは決まっている。
私の考えが浅はかだったからだ。

初めから稜子さんに言われたときに、気づくべきだった。
このチョコレートを渡す意味を考えておくべきだった。
このチョコレートを渡すことで、相手が幸せになるだけではなく、不快になることも考えておくべきだった。
稜子さんや亜紀さんのチョコレートは幸せを与えたとしても、私があげるチョコレートは決して幸せなんて与えられない。
私が与えられるのは、不快感だけだ。

そう考えたら急に胸が苦しくなって。
泣き出しそうになった。



「こんなもの、作るんじゃなかった・・・・・・・」

「何がだ?」

「!?」



私はその急にした声の方向に急いで顔を向けた。
そこには────





「む、村上さん・・・・・・・・・」





そう、村上さんがいた。
村上さんは教室の入り口前に立ち、こちらをじっと見ていた。
それはとても不機嫌な表情で。
じっと、見ていた。



「どうし、て・・・・・・・ここに・・・・・・・・?」



私は今にも涙が零れ落ちそうなのを堪えて、村上さんに向けてそう問い掛ける。



「どうして、だと?」



不機嫌な低い声が教室に響く。
その声と表情で、とても怒っていることが痛いほど伝わってきた。
そして村上さんはそのまま歩き方の動作も荒く、私ものとへと一直線に向かってくる。
私はそれに恐怖を覚えて、慌てて椅子から立ち上がり、その場から後ずさった。
けれども三歩もしないうちに私の背中は窓に当たって。
その行く手を遮られる。
どうしよう、どうしよう、と思っている間にも村上さんは近づいてきて、私は焦りと共にチョコレートの箱を胸元に強く抱きかかえた。

怒っている、怒っている。
きっと恭一様が一向に帰ってこない私を探すように命じられたんだ。
そうでなければ私の元へと来るわけもなく、また私を嫌っているという理由だけで流石の村上さんもここまで怒っているわけがない。
どうしよう、どうしよう。
焦りと不安と恐怖ばかりが私の身体の中を廻る。

そうしてカッ、と大きな靴音を響かせて、村上さんは私の前で立ち止まった。
そして口を開いて、息を吸って────



「どうして俺のもとに来ない?」

「・・・・・え?」



怒鳴られる、と身構えていた私は村上さんのその頼りない声音と言葉に思わずぽかんとしてしまった。



「それ、は・・・・・どういう・・・・・・」



そう言うと、村上さんは決まりが悪そうに顔を背けた。



「こんなこと、自分から言うのもどうかと思うが・・・・・・今日、バレンタインデーだろ?」

「・・・あ、はい」

「本来なら俺はこういう行事に興味はないんだが、日下部が・・・・・・・な」

「稜子、さん・・・・・?」

「・・・ああ。日下部が、お前が俺に・・・その・・・・・・・なんだ、チョコレートを作ったんだって・・・・・・聞いてよ」

「!?」



私はそれを聞いて愕然とする。
まさか自分がバレンタインプレゼントを用意しているということが知られているだなんて思いもしなかった。
だから村上さんは怒っていたのだ。
私の想いを知って不快に思って、それで私を怒りにここまで来たのだ。
私は自分の想いと行動が知られ、そしてこれから起こること思い、全身から血の気が引いてゆく。
そして今にも消えてしまいたいと思った。



「ご、ごめんなさい・・・・・」



そう謝ったと同時に、思わず今まで堪えていた涙が零れ滴った。



「お、おい、なんで泣いてるんだ?」



村上さんは私が急に泣き出したことにうろたえ、困惑した表情で私を見る。
不快にさせられた上、更に泣かれるなど、迷惑極まりない。
これ以上不快にさせないように泣き止まなくてはならないはずなのに、私の瞳からは一向に涙は止まってはくれなかった。



「ごめ、なさ・・・・・っ、・・・不快、に、させっ・・・・・・て、ごめん・・・・・・なさ・・・・・い・・・・・・・」



泣き止まなくてはならないのに。
これ以上不快にさせてはいけないのに。
それなのに、どうして私の涙は言うことを聞いてはくれないの。
罪悪感ばかりが私の胸の内を支配する。

そんな泣き続ける私を見て、村上さんは溜息を一つつき、そして私の目の前へと歩み寄った。
そしてぽんっ、と頭に軽く手を置いて、その大きな手で私の頭を優しく撫でる。
私はそれに驚いて、慌てて村上さんを見上げた。



「・・・・・日下部がな、お前が俺にチョコレートを用意してくれているって聞いて、俺は嬉しかった」

「え?」

「だから、俺はお前が俺のためにチョコレートを作ってくれたのかって思って嬉しかったんだよ」

「そん、な・・・・・そんなこと、あるはず、な」

「『無く』はないだろ?」

「だ、だって、村上さんは私のことを嫌って────」

「嫌ってない」



そうきっぱりと断言されて、私は益々驚く。
そしてそれと同時に私はうろたえた。



「で、でも、村上さんは今怒っていらっしゃいます。だから、そんなわけ・・・・・・ないです」



そう俯いて苦しそうに言うと、もう一度村上さんは溜息を付いた。



「さっきも言っただろ、俺はお前が俺のためにチョコレートを作ってくれたのかって思って嬉しかったんだ。だから俺はお前からそのチョコレートをいつくれるのかって楽しみにしてた。ずっと待ってたんだ。けど、どんなに待っていてもお前は俺の前には現れず、また現れる気配すらしない。更には空目がもう帰る時間だからと帰路につこうとする始末だ。そうなれば、俺が怒っていても不思議はないし、寧ろ当然だろ?」

「・・・・・っ」



私は村上さんのその言葉を聞いて、胸が熱くなる。

私は、己惚れてもいいのだろうか。
今の言葉は私のことを少なからずとも好いていてくれると、そう思ってもいいのだろうか。
そう、思ってしまっても、いいの?

私はぎゅっと、胸元に抱えているチョコレートの入った箱を抱きしめた。



「・・・・・あやめ」



優しく自分の名を呼ぶその声に、ピクリと私は反応する。
けれども顔を上げることは出来ない。
更に私はプレゼントを強く抱きしめただけだ。



「・・・・・あやめ。俺にそれを・・・・・・くれないのか?」



そう優しくも切なそうな声音で言われて、このまま黙っていることなんて私には出来なかった。
私は勇気を振り絞り、俯いた顔を上へと向ける。
すると先ほどの声と同じように、優しく微笑みながらも切なそうな瞳を携えた村上さんの顔があった。
それが引き金になったかのように、私は意志を固め、腕の中にあった箱を恐る恐るも村上さんへと差し出す。



「・・・ぁ、ぁの・・・・・・・・・その・・・・・・・・・・」



声が震える。
村上さんを直視できない。
それでも最期まで言わなくては。
そして、これを。
このチョコレート(おもい)を渡さなくては。



「っ、・・・・・受け、取って・・・・・・・・下さいます・・・・か・・・・・・・・・・・?」

「ああ、喜んで貰うよ」



そう言って、村上さんはチョコレートの箱を優しく受け取ってくれた。

私はそれが嬉しくて。
この上もなく幸福で。
だからきっとそのときの私はとても嬉しそうに泣いていたのだと思う。
そう、この上もなく幸せそうに・・・・・

























「・・・これをくれるってことは、お前が俺のことを好きだって己惚れてもいいんだよな?」

「・・・はい」

「それを聞いて安心した」

「どうして・・・・・ですか?」




















「俺もお前が好きだから」



2008,2,27