Missing | ナノ


かちゃり



と、陶器の当たる軽い音が鳴った。
僕は椅子に座ったまま「うーーーんっ」と言いながら両の腕を上げ、背伸びをする。
そして一通り伸びをした後、周囲を見回した。
ふと、目の端に入る。

嗚呼、やっぱり、あの二人は────





影追い








僕は拙いサラリーマン。
顔は良くも悪くもなく平均並み。
身長も高過ぎず低過ぎず、寧ろ目立つことのない丁度良過ぎる高さで、体格も至って並。
いや、こちらの方はどちらかと言うと痩せ過ぎの部類に入るらしい。

頭は言いか悪いかと問われれば、微妙としか答えられないほどの何とも言えない能力の持ち主。
故に会社での権力も中。
運動能力はそこそこで、多分平均男性の能力ぐらいはあるだろう。

本当に特にこれと言って特徴の無い、平凡な人間の一人。
ただ特徴があるとしたら、普通の人よりも霊感───と呼んでいいものか判らないが───が強いことだろうか。
かと言って誰かにそんなことを言ったところ信じてもらえるわけもなく、また僕もその手の類のものとはあまり係わり合いになりたくないので、無視を決め込んでいる。
だって関わったところで良かったためしなんて一度も無かったわけだし。
なら自ら火種に飛び込むような真似はしないと。
まあ、何にせよ、それが僕と言う存在だ。





そんな僕の日課は、午後の五時から六時までの休息タイムにカフェで紅茶を飲むこと。
ん?どうして珈琲じゃなくて紅茶なのかって?
そりゃぁー、僕が紳士だからに決まっているじゃないか。
───と言うのは嘘で、実に残念ながら僕は二十歳を当に超えているにも関わらず、未だに珈琲が飲めないのです・・・・・。
あの苦味がどうも苦手みたいで・・・・・そんなお子様味覚をしているがために、まさかカフェでミルクなど頼もうものなら笑いものだ。
故に、紅茶。
これが一番無難そうだし、実際僕は紅茶好きだったりもするので、こうして紅茶でティータイムを取っているわけである。

そんな僕がティータイムとして使用しているカフェは、羽間駅前の大通りから逸れた商店街通りにある。
未だ少々開発中の商店街路地。
それでも見た目はイタリア風味の風情ある温かな美しい場所だ。

そんな商店街の丁度中央に位置するカフェを僕は使用させてもらっている。
このカフェの作りもイタリア風で、赤煉瓦を使用した外装壁に、緑色の窓枠と戸口。
内装は白地の壁に木製作りの棚やカウンターやテーブルと椅子が置かれている。
因みに小物もそれなりに凝っていて、見ていて楽しい。
このカフェにも外にテーブルが置いてあり、それは少し緑掛かった銅で出来た洒落た椅子とテーブルだった。
全てにではないが、勿論幾つかにはパラソルが射されていたりして、外装は見ているだけでも感心するような美しい姿だ。

勿論カフェと言う限りメインは店の作りではなく飲食物なので、そちらの腕もぴかいちだ。
スウィーツも非常に美味しく、またここのパスタはどの店よりも美味しいと僕は視た。
と言っても、僕は料理評論家ではないので、そんな評価は当てにならないとは思うが。
まあ、それでも、一般人でも美味しいと感じるほど味に保障はある。

で、当然ながら、メインは飲み物。
飲み物に関しても種類は豊富で、どれも絶品。
果物ジュースなどはその場で絞りたての物を作ってくれるし、サイダー系の炭酸飲料もある。
紅茶や珈琲などは、茶葉や豆はいい品質のものを使っているし、入れ方もプロなので、味の方も抜群。

そんなこのカフェの紅茶を、僕は夕日の浮かぶ中で外の席に座りながら、休憩時間の間中まったりと過ごすのが日課だった。

まったりと過ごせるこの時間は一日の忙しい日々を柔和してくれ、僕に暖かな休息を与えてくれる。
こんな一時があるからこそ、僕はこのサラリーマンと言う平凡過ぎる職務でありながらも実は相当ハードと言う弱肉強食職業世界で生きていけるのである。

───本当に、有難い話だ・・・・・。

そして僕はそんな休息の一時を周囲の人々に眼を向けることで楽しみの一つとしていた。
僕はあまり人と話すのが得意じゃない。
だけれど人間に興味が無いわけじゃない。
だから僕はこうして休息の時間に色んな人たちを見ることにしているのだ。





人を観察するのは楽しい。
観察と言うと何だか響きが悪いような気がするが、人の表情や動作を見ているととっても面白いのだ。
笑ったり泣いたり、微笑んだり悲しんだり。
時にはからかったり怒ったりと無邪気な姿もあったり、また苦しそうにしていたり辛そうにして何かに悩んでいそうな姿をしていたりと、人によって様々な表情が見れる。
勿論今のは大まかな言い方なので、観察しているともっと細かなことが判ったりする。

例えば。
何かを企んでいるような含み笑いや、嫌味を言うときのような歪んだ顔。
中には作り笑いをしているという姿が見て取れたりとか、悪ぶっているようで案外純情だというような表情を持っていたりとか。
それは表情だけではなく行動にも出ていて、本当に見ているのは楽しいのだ。
その人独特の癖などを見つけたときなど、大きな収穫があったと浮き足がたつくらいに見ていて楽しい。

そんな世界の人たちは、当然僕と同じようにカフェで過ごす人もいれば、向かい側にある色取り取りのお店に足を運ばせる人もいる。
けれどその前には必ず通りを誰でも通る。
そんな通りを僕はずっと飽きもせずにいつも眺めているのだ。

通りを毎日同時刻に見ていれば、自ずと毎回眼に入る人たちがいる。
それは例えば仕事帰りの仕事人だったり、買い物帰りだったりする主婦だったり。
そして学校帰りの小、中、高、大の学生だったりと、本当に様々だ。

そんな中、僕はつい最近、ある一組のカップルを見つけた。
いや、元々見知っていた子がカップルになったと言った方がいいのかもしれない。





その子はとっても目立つ子だった。
いや、派手とか、そういった目立つではない。
だがしかし、確実に目を引く子だったには違いないのだ。

その子は常に真っ黒な服を着ていた。
そう、常に。
年がら年中、黒服。
何も別に黒スーツを着ているわけではないのだが、その子の私服は驚くほど真っ黒に統一されていて、よくもまあ、あれだけ様々な種類の服装を黒一色で持っているものだなと、感心してしまうほどだった。
肌の露出を避けて紫外線対策をしているんだ!
と、その黒服人間が女性だったらそういった主張なのだろうと勝手に思い、問題は無かったと思う。

が、しかし。
その子は確かに白い肌に美しい風貌をしているとは思うが、明らかに男性だった。
いや、男性と呼ぶにはまだ少し幼過ぎるかもしれない。
どちらかと言えば、男の子。
ああ、でも、男の子では今度は幼過ぎるか。
青年と言った方がいいのかもしれない。
まだ学生であろう年齢層だ。

そんな人間が通りを歩いていたら、自ずと視線を通りに向けていたら眼に入ってくるわけで。
あの黒服、冬場はともかく、夏場は死ぬだろうに・・・・・。
確か黒色は一番熱を吸収する色で、尚且つその熱を逃がさないために熱が内側に篭るという、夏には絶対的不効率である色だったはずなのに・・・・・にも関わらず、彼は夏場でも汗を掻いた風に見えるどころか暑そうにも見えないところが凄いと思い、余計に僕の眼を引いたことも覚えている。

そして青年は常に眉間に皺を寄せていたため、ただでさえ細めな目つきをしているのに、その細さに余計拍車をかけ、常に不機嫌そうに見える子だった。
綺麗な顔立ちをしているのに・・・・・勿体無い。
いらないのなら少し僕に別けてもらいたいものだ。
そうしたら少しはこの何も突出して目立つことのない僕にも、誰かを惹きつける何かを持つことが出来るのに。
まあ、そんな無い物強請りをしたところでどうしようもないので放っておくけど。

そんな青年はどうやら僕がこの休憩を取っている時間帯が学校からの帰路に着く時間帯なようで、良く見かける通行人の中の一人だった。

彼はいつも一人で下校していた。
しかし最近は、一人ではなかった。
一人の少女が一緒なのである。

艶やかな長い髪に、臙脂色を身に纏った小柄な可愛らしい少女。
少年に負けず劣らず美しい顔立ちをしていて、まるで人形のような姿をしていた。

その少女はいつも青年と共に帰っているところを見ると、多分恋人だと思う。
だって兄妹にしては全然似ていないし、ちょっと無理があるのではないかと思うから。
そうなれば、もう残りは恋人以外にはないはずだ。

え?友達関係かもしれないだろうって?
いやいやいや、それはないでしょう。
だって、あの二人の姿じゃそうは見えないからさ。

彼らの関係は恋人は恋人でも、少々普通とは異なった関係のようだった。
何故かと言うと、どう見ても対等には見えないから。
そう、対等な関係には見えないのだ。

少女はいつも青年の後を追って行くように小走りで帰っていた。
青年はそんな少女を気にもせず、少女の歩幅に足を合わせようともしないで、ずかずかと歩みを進めていくのだ。
だから少女は必然的に小走りになり、必死に追いつこうとしているにも関わらず、青年が速過ぎるために少女は後ろを歩くことになる。

が、どうやらそれだけではないようだ。
何故なら、その二人の間に出来た距離は停止しても決して変わることがないことを僕は知っているからだ。
青年がふと足を止めても、少女は彼の横に並ぼうとはしないのだ。
ある一定の距離をいつも保って、彼女は彼の側に存在し続けている。

そんな彼らが恋人なわけがないだろうって?
いや、これがそうとも言い切れないわけで。
だって、所々に垣二人の優しさが垣間見えるからさ。

彼らは確かに一定の距離を保って存在し続けている。
だがしかし、青年は少女とある一定の距離以上に幅が広まると、その足をふと止めるのだ。
そして少女が再びその距離をとると、再び歩き始める。
それは何の変哲もない行動だが、僕には優しさに溢れる行動に見えた。

また、少々道が混雑しているときなどは、青年の足がいつもよりもずっと遅くなる。
それは勿論人ごみの中では必然的に足が遅くなるものだが、彼は故意に遅くしているようだった。
後を追っている少女は元々小柄なためか、人ごみに埋もれやすい。
それ故に人ごみにも流されやすいらしく、すれ違う人たちを避けて通るのにやたらと時間が掛かるのだ。

本来ならば青年が普通に歩いて通っていれば、そんな人ごみの中など容易く抜け出し、道から出ることが出来るだろう。
しかしそれをしないのが、少女への気遣いだと僕は思った。
決して彼女の手を引いたり、彼女を背に庇うようなことはしないけれど、それでもその行動は彼なりの優しさなのだ。
少女はいつも青年を追いかけることに必死で、その彼の気遣いと言う優しさに気づいてはいないようだけど。

そしてそして、極めつけはこれだった。

それはつい最近の出来事。
いつものように二人で帰っている中、青年が一つのお店の前で立ち止まった。
それは僕が通っているカフェのすぐ前のお店だったのだけれど、青年はそこに入っていったのだ。
少女はそれに少々不思議そうにしながらも、お店の外で彼が出てくるのを大人しく待っていた。

暫くして青年がお店から出てくると、手に何かを持っているようだった。
青年は少女の横髪に手を翳し、何かその髪につけると、そのまま髪を軽く手櫛で剥いた。

少女はその青年の行動に驚いた表情を見せる。
そして髪につけられたものを軽く触り、少女は酷く戸惑ったように慌てた。
少女の髪には、シンプルな形をした髪留めがしてあったのだ。

残念ながら僕のいる場所からは遠かったため、あまりその髪留めの細部までは判らなかったのだが、それは可愛らしい花の形をしたもののようだった。
何か二言三言少女は青年に言ったようだが、その言葉に青年の表情はムスッとした顔つきになってゆく。

僕には少女が何を言っているのかは聞き取れなかったが、その言葉は彼の気分を害させるものだったのだろう。
元々目つきはあまりよくないが、青年のその表情は明らかに不機嫌なそれだった。

少女は酷く困ったように慌てながらも、その小さな両の手でスカートをぎゅっと握ると、少々俯きながらも顔を赤らめ、何かを呟いた。
その言葉か行動だかは判らないが、何にせよ今度は青年の方が少々驚いたようで、眼を軽く見開いていた。
しかし次には軽く口元を上げ、ほんの僅かだが微笑んでいるように見えた。
きっと彼女は照れながらも御礼を言ったのだろう。

その少女の言葉に満足したのか青年はすぐに身を翻し、再び帰路に着こうと歩き始めた。
少女は慌ててその後を追って小走りについて行く。

髪に飾られている髪飾りが夕日の光に照らされ、嬉しそうに輝いていた。

だから、僕はこの二人が恋人同士なのだろうと思ったわけだ。
もう、それ以外の何ものでもないだろう。
こんな微笑ましい光景、早々めったにお目にかかれない、純粋無垢な恋人同士の遣り取り以外にありえない。
うん、僕にはこれしかありえないのだ。

たとえ二人の関係が微妙に上下関係っぽい───いや、寧ろ主従関係のような───微妙な位置作りをしていたとしても。










そして僕は今日もいつものように紅茶を飲み、一息をついていた。
因みに今日の紅茶はアールグレイ。
香ばしいアールグレイの香りが僕の備考を擽る。
うん、いい香りだ。

僕は一息ついて、背伸びをした。
今日はデスクワークがずっと続いていたから、どうやら体がなまって硬くなっているようだ。
伸びをした後脱力して、気持ちのよい疲労感を感じながら、僕は目の前の通りを見渡す。
すると黒服の青年と臙脂色の少女を見つけた。





今日もいつものように、少女が青年の後を追いかけている。
青年の真っ黒な姿は夕日に照らされ、はっきりとその陰影を映し出している。
それはまるで影人のようで。

また少女はその彼の後必死に追いかけている。
その少女が駆ける度に風を纏っているかのように長い黒髪と臙脂のケープ、そして臙脂の衣服とスカートが美しいラインを描いて舞い上がる。
それはまるで風人のようで。





そんな二人の光景は、影追いのようだと思った。
















漆黒を纏う青年は、影。
影を追いかけるは、少女。
少女は臙脂を纏う、風。

風の少女は影の青年を追いかける。
けれどそれは決して終わらない、影追い。
二人だけの、影追いなのだ。
















そんな二人を見ながら、僕はやっぱり思う。


























嗚呼、やっぱりあの二人は───微笑ましいと。



【お題元:AnneDoll
2007,7,5



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