不思議な子ども2
子どもの問いかけに咄嗟に答えられない。
金縛りにでもあったように固まるクラント。見つめる子ども。
何もない時間が過ぎていく。が、
「ひょわっ!!」
そんな静寂を打ち破ったのは、鼻を押し付けていた馬に顔を舐められた子どもだった。
黒く長い舌がペロペロと子どもの顔を舐める。
「ひっ!ひゃっ!くす、フッ。ハハッ!アハハハ!やだ、くすぐっ…アハハハ!」
ひいひい笑いながら馬に押されて子どもの体が地面に転がる。
顔を真っ赤にしながら無邪気に顔を緩ませた子どもは、驚くほど無防備に年相応の姿を見せていた。
何だか色々なものが体から抜けていく感覚に襲われるクラント。
そんなことも知らず子どもは馬に顔を耳を舐められ、くすぐったそうに足をバタつかせる。
その内笑い声にゲホゲホと咳が混ざりだし、クラントは慌てて馬の手綱を引っ張った。
「どうどう…お、おい、大丈夫か?」
「ゴホッ…フフ…ふぅー…ふぅー…」
表情は緩んだままだが、子どもはぐったりと地面に倒れる。大きく息を吸って落ち着くのに必死そうだ。
心なしか、馬が晴れやかな表情をしているのは彼の気のせいか。未だに顔を近づけようとする馬を抑えながらクラントは子どもの体を抱え起こした。
その際、全く重さを感じない子どもの軽さにクラントは心の中で驚く。もしかしたらナニよりも軽いかもしれない。
ぽんぽんと背中を叩きながら、子どもが落ち着くのを待って再び問いかける。
「大丈夫か?」
「ケホッ!う、うー…はい。もう大丈夫です…ふふ、変なの」
ふわりと笑って子どもが馬に手を伸ばす。馬はいそいそと顔をまた子どもに擦り寄せた。クラントの腕の中で子どもはくすぐったそうに体を捩る。
「…また舐められるぞ?」
「ん、んー…それは勘弁願います。えっと、助けてもらってお礼を言うべきでしょうか?」
「いや、もとはと言えばうちの馬がかけた迷惑だから必要ないだろう」
「そうですか。でもありがとうございます」
やたら大人びた喋り方をしながら子どもがクラントを見上げる。
大きな丸い瞳にはもう先程までの感覚は一切感じない。
何を恐れたのか分からなくなりながら、クラントは一人で立てるようになった子どもを腕の中から離す。
背丈はナニより僅かに高いものの、それでもクラントの胸に届くかどうかといったほど。
着ている服は少々上質そうだが、その割には着込まれてよれているようだ。
「んんん…」
くぐもった声が荷車から響く。もそもそとぼんやりしたようなナニが顔を出す。
「起きたか?」
「…頭がぐわぐわする」
「もう暫く寝とけ」
あーいという返事と共に再びナニが荷馬車の中へ引っ込む。ナニは寝付きのよい方なので多少揺れても起きたりすることはないだろう。
「さて、遅れた分を取り返さねぇとな」
「どちらかへ急ぎの旅ですか?」
手綱を握り直すクラントに子どもが近寄ってくる。
上品な尋ね方の癖に子どもらしく見上げてくるちぐはぐさが、何故か不思議と微笑ましくて気が抜けた。
だからだろうか、クラントは律儀に質問に答える。
「これから仕事でね。この先のハジ町に用があるんだ。おちびさんも何処へ行くか知らねぇけど呑気に寝てたら日が暮れるぞ?」
「ハジ町…!わぁ!僕と行き先が一緒ですね!僕もこれからこっちを通ってハジ町に行くんです!」
ぱぁと顔を輝かせて子どもが小さな指で左の道を指す。
そこで思わずクラントは噴き出してしまった。
すると子どもがぷぅと不満げに頬を膨らませる。
「何で笑うのですか」
「悪い悪い。でもおちびさん、残念ながらそっちの道は遠回りだぜ?」
実のところこの分かれ道はどちらもハジ町へ続いている。子どもが指した左の道は昔ながらの道。対し、右の町は数十年前に通った新しい道だ。
昔の道は獣道を綺麗にしたものなので無駄な曲がり道が多い。そのためリマ村からハジ町に着くまで三時間はかかってしまう。
それを改善するために真っ直ぐ繋げたのが新たな道。こちらは一時間もはやく町に着くことができる。
この時間の差はここを行き来したことがある人間の誰もが知っている事だ。
しかし、クラントの言葉に今度は子どもが笑った。
「いいえ。こっちの方が近道です!」
そのあまりの自信に溢れた言い方にクラントは笑うのを止めた。
他の誰かに言われたなら彼は呆れてさっさと先に進むべく歩き出しただろう。
しかし、この子どもの言葉は何故か無視ができなかった。体を屈めて、子どもと目線を合わせる。
「おちびさん。お前はこの二つの道が両方ともハジ町に繋がってて、どちらがより近道かをちゃんと知ってるか?」
「ええ。でも今はこの左の道の方が町への近道なんです」
「今は?」
「はい!」
ニコニコ笑いながら力強く子どもが頷く。引っ掛かりのある言い方にクラントは目を細めた。
子どもの言うことを本気にするとはバカらしいなどといった考えは、今の彼にはない。
「疑わしいですか?」
「そうだな。俺は何度もここの道を通ったことがあって、どっちが早いのか知ってるからな」
「じゃあ、勝負をしましょう!」
「勝負?」
「はい!左の道を歩いていって、町についたらどっちの方が早いか町の人に聞きます。そして左の方が早かったら僕の勝ち。右の方が早かったらお兄さんの勝ちという勝負です!」
突然の提案にクラントはじっと子どもを見つめる。ただ遊びたいから言っているようには見えない。
「…お望みは?」
「馬車に乗せて欲しいのです。僕の足では近くても遠いので」
「成る程ね。知恵の働くおちびさんだ」
「おちびさんじゃありません!僕はトト…トト・レイディアという名前があるのです!」
再び頬を膨らませる子どもの姿にもう一度クラントは噴き出した。
すると不満そうなままトトと名乗った子どもがぺちぺちとクラントの膝を叩く。細やかな抗議にまたクラントは笑みを溢した。
「ははは!良いだろうトト・レイディア殿。その勝負、このクラント・アスティがのってやる。負けて泣くんじゃないぞ」
そう言うと彼はトトを抱き上げ、ナニが寝転ぶ馬車の中へと放り込んだ。
そして手綱を引き左の道へと進み出す。
「大丈夫です。急いでるクラントさんの損にはなりませんから」
「どうだかね…ま、結果は着けばわかるってことだな」
「はい!」
ガラガラと車輪のうるさい音が古い道に響き渡る。
青年が引く馬車がハジ町に着いたのは、それから三時間後の事だった。
勝負の結果は―――
「ね?僕の言った通りでしょう?」
ざわざわと人が集まるハジ町の西入り口。即興で作られただろう簡易看板には紙が一枚貼られていた。
そこには大きな文字でこう書かれている。
“新道にて崩落事故発生。現在復興作業中につき往来禁止”
雑踏からは、困惑と複数の情報が飛び交っている。
「アッチに用があったってのに…」「息子が引き返して…」「これも何かの前触れ」「押すなよ!」
「向こうから来た奴は途中で足止めだそうだ」「怖いねぇ」「怪我人はいないらしい…」
「夫が駆り出されて…」「明日の朝までかかりそうだってさ」「いてぇなぁ踏むなよ!」
「…知っていたのか?」
「はい」
ニコニコと笑ってトトは馬車の荷台の縁で足をぶらつかせる。
町の中にいるとトトの容姿はより一層浮いて見えた。注目されないのは、それ以上の関心事があるからに過ぎない。
多分、平時ならば視線を集めて仕方なかっただろう。
一緒にいて煩わしくないのは良いことと言えば良いことだ。
クラントは頭を乱雑に掻き上げながら荷台に座る勝者を見た。
「全く…おちびのくせに強かな奴だな」
「道中疲れてしまって…でもどうしてもここに来たかったので仕方なくですよ。それに最初から嘘はついてません」
「確かにその通りだな…完敗か」
苦笑を溢しながらクラントは小さな頭をぐりぐりと撫でる。されるがままのトトはあっという間に頭がぐしゃぐしゃになった。
「あーー!クラントが年下苛めだー!!」
「してねぇし、声がデカイ」
大口を開けたままナニが馬車の方へ近づいてくる。
その手には小さなパンが三つ。すぐそこの店の匂いにつられて目が覚めた彼女が思い切りクラントにねだり、彼から金をもらって買いに行っていたのだった。
「拠点に行けば何かしら食えるものをお前って奴は…」
「いいじゃん!絶対美味しいよ!コレ!ほらほら食べよ!」
ナニはクラントに半ば無理矢理パンを押し付ける。そのままちゃんと頭数に入れていたトトにもパンを手渡し、馬車の脇で自分の分にかぶりついた。
その食べる早さに思わず呆れるクラント。だが、見ればトトもさっさともらったものを口に入れていた。
物を言うのも面倒になって、クラントはとりあえず食べるのに必死なナニを荷台へ強引に乗せる。そして片手でパンをかじりながら馬の手綱を引いて町の中心へと歩き出した。
あ、でも本当にこのパン上手いな。と思ったが彼は決して口には出さなかった。
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