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紅桃-対峙・出現・硬直-



背丈も歳も俺と同じくらいの男だ。
耳についた赤いピアスと朱色の瞳が暗い中でもやけに目立つ。
短く切り揃えられた茶髪に動きやすそうな軽装は彼から活発そうな雰囲気を感じさせた。

「へぇ、若い野郎もいたのか…ったく、一体何人体制できてんだか…
ま、何人来ようと関係ねぇがな」

青年が右手を振るとヒュンという甲高い風切り音が鼓膜を震わせた。
珍しい形の剣だ。
一般の片手剣より刀身がかなり細い。
それでいて切っ先には反りがあり、反った側の面は黒光りしている。
妖しい鋼の煌めきが青年の真剣な顔を照らす。


「今までの奴等は簡単に気を失っちまったからな…てめぇはあいつの居場所を吐くために…気を失ってくれるなよ?」


青年がそう言い終わった瞬間、体にピリッとしたものが走り抜け、俺は体が動くままに上体をずらした。
間髪入れず、今まで頭があった位置に銀色が閃く。

速い。

一気に距離を詰めてきた青年の動きに合わせ、その懐に肘鉄を入れる。
キィンッという甲高い音が鳴り響くと共に、肘に若干の痺れが伝わった。
どうやら青年はこちらが技を入れたところに上手く剣を滑り込ませたらしい。
反動で後退はしたが、特にダメージはなさそうだ。

真剣な眼差しのまま、青年が口角を僅かに上げる。

「どうやら、コイツらとは丸っきり別格みたいだな…けど、すぐに膝をつかせてやるよ!」
「おい、待て…!」
「問答無用ォ!!」

鋭い敵意を剥き出しにして、先程よりも更に速い剣撃が連続する。
それらを感覚でいなしながら思わず舌打ちをした。

青年は周囲で気絶してる人間と俺が仲間であると勘違いしている。
彼の言葉から推測するに“あいつ”と呼ぶ人間を見つけるためのようだが、こちらは何も知らない。
説得にも耳を貸す気はなさそうだ。

ボロボロで倒れている人間を見てゾッとする。

勘で避けているこの状態で、いつまでもこの手練れを相手に出来る筈がない。
地に伏す自身が容易に想像できてしまう。

「話を、聞いてくれっ!!」
「はあああぁぁっ!!」

吐き出した声は、青年の気迫と重なり、共に消えた。

+++

「わざわざ手当てをしていただいて…何とお礼を言えばいいのか」
「気にしないでください。ね、ナーちゃん」
「そうそう!困ったときは助け合うのが当然だもんね!」

深々と頭を下げた女の人は、困った気持ちと嬉しい気持ちを足したような表情で笑った。
幸いなことに、見た目より傷は深くなくてすぐに治りそう。
包帯を巻いた箇所を、女の人は撫でる。

「こんな親切な人に助けていただいて…私は幸福者ですね」
「そんな大袈裟なぁ。怪我をちょっと手当てしたぐらいで」
「その少しが一番尊いんですよ。本当にありがとうございました。
私、行きますね…っ!?」
「わわっ危ない!!」

立った瞬間ぐらりとよろめいた体を慌てて支える。
私と女の人では対格差があって不安定だったけど、凪沙が手伝ってくれたお陰で、何とか女の人の体勢を安定させることができた。
支えている女の人の顔は苦しげに歪んでいる。
傷は深くないけど、痛みは強いみたいだ。

「もう少し休みなよ。今のままじゃ動くのは無理だって」
「ありがとう…でも、早く行かなくてはいけないんです…早く、合流しないと…」

凪沙の制止に首を振って、女の人は歩き出そうとする。
何がここまでこの人を急かしてるんだろう。気になって、口を開いた。


ゾクッと悪寒が体を走ったのは喉から声が出る寸前の時だった。


ズウゥゥンッ…!

「え、なに…!?」

遠くから聞こえた不気味な音に凪沙がそう漏らして、直後、地響きが体を抜けていく。
今まで空気を揺らしていた楽しげな音が全部止んだ。
誰も彼もが足を止めて、何事かと周囲を不安そうに見渡している。
そして“ソレ”はまるで空から降ってくるように遠くから跳んできた。



ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ァ゙!!!


微かな音に全身の毛がぶわりと逆立つような感覚に襲われた。

行かなくては。行かなくては。

銀の閃きはもう目に入らない。

耳の近くで聞こえたはずの音はもう捨て置く。
ただただ、鼓膜を震わせる微細な不協和音ばかりが脳を支配した。

行かなくては。


「待てっっ!!」

苦しそうな声は耳をすり抜けて、走り出した。



行かなくては。




『ヨ゙ォォヌェズニ゙ィ〜』

達磨のような形のブヨブヨとした異形はどこか愉しげな響きでそう言った。
何という意味かなんてまるで理解できない。
ただ、これから弱いものをいたぶる、それが楽しみだと言いたげな不快な雰囲気だけが肌を刺してきた。
突如現れた、七クローはある巨体の異形に周囲から上がる悲鳴。逃げ惑う人々の足音。
混乱の音が余計にその禍々しい空気を助長しているように思えた。

ガクガクと足が震える。
全身から汗が噴き出して、寒くて、呼吸がままならなくて、苦しい。
なのにアレから目が離せない。

異形がゆっくりと丸い頭を持ち上げる。
何かをしようとしている。それは明白なのに体が動かない。

「杏架!!!」

焦った声で凪沙が私を呼んで、その両手に抱き抱えられる。
でも、遅い。
黒々とした空気に波打つ歪な頭が天高くで止まったかと思うと、降り下ろされる。
石畳に衝撃が走って、砕けた石が周囲に弾けた。

赤い未来が頭に浮かぶ。


「ユルンッ!」

凛とした声が響いて、炸裂音。
鼓膜が破れそうな甲高く擦れる響きと削れる空気に全身が震える錯覚。

でも、衝撃はない。
凪沙に抱えられたその一クロー先で跳んできた石の塊が山と積もっている。
まるで、見えない壁があるように、そこには不可視の境界ができていた。

『……??』

異形が丸い体を不思議そうに傾ける。
黒い体の正面が向く方向。そこで一人の人間が異形と向き合っていた。


「茨音さん…」
「はぁ…っ…はぁ…」

足が痛む筈なのにしっかりと立って、華奢な腕に力を込めて杖を握りしめている。
キラリと杖の先の宝石が陽光に光って、彼女は力強い眼差しのまま唇を震わせた。

「お願い!シミセ!シミセ!ショヒン!!」

腕を振り上げて、杖がヒュッと空気を揺らすと共に、茨音の目の前で蜃気楼が生まれた。
そして、揺らめく空間から一瞬にして一条の瞬きが異形へと走る。

バヂィッ!!

『ア゙ァッ』

漆黒を白に変えて弾けた光は異形の中心を叩いた。
叩かれた箇所からはゆらゆらと白煙が上がり、衝撃からグラリと巨体が後方へ傾いていく。

「やった…?」

凪沙の声がポツリと溢れる。
それを待っていたかのように不快な雄叫びがたちまち空気を覆い尽くした。

『ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!グニグ!グニグビィダガゾガ!ナゲエビゼネヌレェ、ニマヅゼビグ!』

キャラキャラと笑い声に似た叫びを響かせて異形が体を左右に揺らす。
そして反るように傾いていた体を今度は前屈みに縮こませると、左側から腕のような黒い物体がグリュリと生え、先ほどの頭と同じように地面を思い切り叩いた。

「キャアアアッッ!!」
「茨音さん!」

真正面から石礫と風圧を受けて茨音の体が吹き飛ぶ。
私は慌てて彼女に駆け寄った。さっきまで動かなかった体が嘘みたいに素直に動いた体は、でも、彼女に近づいてまた固まった。

清楚な色をしていた衣服は泥で汚れ、あちこち擦り切れている。
真っ白な肌に滲んだ血や、ポツポツと浮かんだ鬱血がひどく痛々しかった。
茨音は気を失っているようで、血の気の引いた真っ青な顔で目を閉じている。

「キョーちゃん!逃げ、よ!」

駆け寄ってきた凪沙が私の肩を叩く。凪沙の顔も真っ青だった。
でも、瞳は強く輝いていて、倒れた茨音を急いで抱えると私の手を引く。

だけど、私の足は地に根でも張ってしまったかのように動かない。

「杏架!!」

凪沙が叫ぶ。
背後から不気味な気配がじわじわと近づいていて、足を、腕を、体を、覆い尽くして、離さない。
振り返って、ソレを見た。
やっぱり不気味で、でも、それだけじゃなくて。
何だろう。怖い?気持ち悪い?嫌い?不安?これは、分からない。
分からないのが、怖い。

「杏架!!!」

『ヤヲ。ネーズィユーゴニ』

異形が、嘲笑った。






「捕まえさせるか…!」

ドッ!と、先ほどの光に似た衝撃の音が響いて異形の体が左方へ傾き、堪えきれなかったようにどっと倒れる。
重みを感じさせない乾いた音を立てて、青いブーツが石畳に触れる。
異形と同じ黒い衣服が風に翻り、静かに落ちた。

彼が振り返る。

漆黒の中に光る紅い瞳が私の方を見て、安心を与えてくれるように一瞬だけ柔らかく緩んだ。


「待ってろ」

紅苑はそれだけ言うと再び異形にその紅色を向けた。


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