ライン

竜人-A



「いい?わかったらもうハルキ君に近寄んないでっ!!」

バンッと勢いよく私の顔の右側にあたる壁を叩き、見知らぬ女子生徒はスタスタと去っていく。
一連の出来事に溜め息すら吐く気が失せた私は、足元に視線を落とした。

二年生になって一ヶ月半。

こうした理不尽な呼び出しと脅迫は毎日のように続いていた。




休み時間にガヤガヤと賑わう廊下を独りで歩いて教室に戻る。
扉を開けた瞬間、何人かがこっちを見たけどすぐに目を逸らされた。
次いで小さな話し声があちらこちらで聞こえ出す。

別に堂々と話せばいいのに…いつもそう思う。

俯いたまま自分の席に戻って椅子に座る。
すると机向かいからにょっきり顔が生えてきて、驚きのあまりガタッと椅子を揺らして跳ねてしまった。

「お帰り!どこいってたんだ?」

机から首だけ生やした…いや、首より上だけを机の板から覗かせた男子生徒が明るい口調で話しかけてくる。

彼こそが、今の現状の元凶であり、私の悩みの種だ。

ハルキというこの少年は、根暗な私とはまるっきり真逆の立場にいる。
快活で親しみがあって、優しい上に整った顔立ちと、好要素が揃い踏みの男の子。
いつだって人の輪の中心にいる人気者の彼が、どうしてか私に話しかけ、毎日のように傍に張り付いてきている。


『一生幸せにする!だからオレと…結婚してくれ!!』

桜吹雪の中、初対面でいきなり言われた告白は、今でもハッキリ思い出せる。
顔しか知らない同年生の男子に真正面から真剣に迫られるのは…正直な話、とても怖かった。
しかも、何一つ知らない相手にお付き合いを通り越してプロポーズされるなんて、恐怖以外の何物でもない。

運悪く同じクラスになって、それから毎日毎日ハルキは飽きもせず私に話しかけてくる。
だけど、何を話せばよいのか皆目検討もつかない私はただ口を噤むことしかできず、会話は始まらずに終わってしまう。
だけど、ハルキはいつも傍に来る。

それに比例して増える呼び出し。
頭が痛い。

「……はぁ」
「あれ?溜め息なんて珍しいな…大丈夫?」

憂鬱を吐き出した私に反応して、不安げな表情のハルキが下からこちらを覗き込んでくる。
真ん丸の瞳と目があった気がしてドキリと心臓が驚いた。
サッと顔を逸らす。

丁度チャイムもなって、ハルキを含む全員が席に戻る。
先生が教室に入ってきて響く号令の声が、なんだか遠くに聞こえた。


+++

ペラと乾いた音を立てながら手元の紙を見つめる。
「読書旬間」と見出しに書かれたプリントは教室に掲示するためのものだ。
放課後の誰もいない、静かで落ち着く教室に独りで入る。
黒板とは反対側、窓側の壁に設けられた掲示コーナーの前まで歩く。
ちらほらとプリントが張られた緑色の壁を見ると、でこぼこの間にいくつも画鋲の穴が開いている。
なんとなく、その穴にまた針を入れてプリントを留めた。

仕事を終えて窓から外を見れば、校門へ歩いていく生徒が何人か見えた。
ふと、ある一人の背中が目に留まる。
短く切り揃えられた髪の男子生徒。その周りに三人の女子生徒が歩いていて…。

「―っ!」

素早く目を背けて、直ぐに我に返る。
何で私は顔を背ける必要があったんだろう?
そんな理由、どこにもないのに。

もう一度窓の外を見た。

四人の生徒の姿は、どこにもなかった。



ぐちゃぐちゃする頭のまま鞄をつかむ。
早く帰ってしまおうと思って、教室のドアに手をかける。
が、そこでハラリと壁からはがれた紙が目に入った。
確か学級目標の書かれた紙だ。
大体生徒の頭より上に貼られていたけれど、右上を留めているセロハンテープが取れてしまったらしい。
よく見たら右下もはがれかかっている。

気になると、直したい気持ちが生まれる。
ちょっと迷って、私は紙を貼り直すことにした。

椅子に上って粘着の弱くなったセロハンテープを貼り替える。
右下は簡単にできたが肝心の右上は背伸びしてなんとか届く高さだ。
椅子の上で目一杯伸びをして紙がピンとなるようになんとか壁に貼り付ける。

上手くいってホッとしたのも束の間、無理をした足がガクッとバランスを崩す。

落ちる。


浮遊感を感じてぎゅっと目をつむり訪れるだろう衝撃に体が強張った。
しかし、落ちた先で予想していたものとは違う柔らかい感触に包まれる。
仄かな温かさに違和感を感じながら、おそるおそる目を開く。
人懐こい丸みがかった瞳が目に入った。


「大丈夫千歳さん?」

抱き締められてる。そう認識した瞬間、体が凍りついたようにカチンと固まる。
いつもより一層近い距離から人懐こい瞳が見つめていた。

誰もいなかった筈なのにどうしてハルキ君がここにいるのだろう。

「んー、何か予感がして教室に戻ったら千歳さんがいるし、どうせなら声をかけようかなーと思って」

口に出してないのに、何でわかったんだろう。

またひとつハルキの恐ろしい面を見つけて新たな恐怖心が胸に生まれる。
しかし、どんな理由であれ助けられた結果は変わらない。とにかく、お礼だけでも言わなければ。

「あの…ハル、キ君」

おずおずと呼び掛けた。
すると瞬く間にハルキの両目が大きく見開かれる。
何でだろう。
気になるけど、今は関係がない。
驚いている様子を不思議に思いながら、話をするよと伝えるためにちょっとだけ服の裾を引っ張る。

「えっと…その…助けてもらって、ありがとう…ございます」
「………」

何の応答もない。
とりあえず、目的は達成したし、早く帰りたい。
未だにほどけていない腕から抜け出すべく、ぐっと彼の胸を両手で押した。



だけど、それを上回る力によって体を壁に押し付けられてしまった。
現状がわからず目を白黒させる。
正面に迫るハルキの顔は、逆光のせいで暗く陰り、表情が読み取れない。
ただ、恐いくらい真剣につり上がった瞳だけがハッキリと見えた。

「あ……あの…」
「……」

両手でハルキの胸元を押しながら、小さくなってしまう声で「どいて」と伝えてみる。
だけど、私より一回り大きな体はピクリとも動かない。
それにさっきから彼は一言も話していない。
いつもなら反応がなくてもマシンガントークをしてくるのに、静かなのが不気味だ。
じっとこちらを見つめるハルキにの変化に動揺しつつ、もう一度お願いをしてみる。

「ハル、キくん…どいて、くれませんか?」
「っっ!!」

張り詰めた呼吸が聞こえた。

ビリィッ!!

瞬間、勢いよく何かが割ける音がして、一気に視界が暗くなる。
それは、まるで私たちを覆うかのように頭上でドーム状に広がったのだ。

爬虫類の細かく並んだ鱗と蝙蝠の翼膜を足したような見た目をしたそれは、竜の翼。
教室に入る西陽を受けて、翼が複雑な輝きを鈍く反射する。


綺麗。


自然にそう感じたのと同時に、今までテコでも動きそうになかったハルキの体が勢いよく後退する。


「あ……ご、ごめんな千歳!きっ、ききききき気を付けて帰れよっ!!じゃあ!」

ガタンッガタンッ!!ダダダダダダ…ドタッ…。

言葉だけ残して、目にも止まらぬ速さでハルキは机や椅子を倒しながら走り去った。教室は台風でも通ったかのようにひどい有り様である。
何が起きたかさっぱり理解できない。
ただ、頭の隅っこで「そういえばハルキくんは竜人だった…だから羽があるのか」と呑気に考えてる自分がいる。

とりあえずハルキが散らかした教室を綺麗にする。
別に私がどうこうしたわけではないけど、このまま放っておくのも違うと思ったから。
数分かけて、最後の机を元の位置に戻す。
そしてさっさと教室を出て昇降口に向かった。
周囲には誰もいない。私は独りで学校を出る。


あの時。

あの綺麗な光景が目から離れた瞬間、勿体ないと思ったことを帰り道で思い出した。

「また…見たいな…」

呟いた声は何かに反射することもなく消えた。


+++

教室に戻ったのは、本当になんとなくだった。
ただ、昇降口を出たところで他のクラスの女子に話しかけられて(前から知らない女子にもよく話しかけられることが多いんだ)、なんだか千歳の顔が見たくなった。
どこかにいないかなと思って、とりあえず教室をのぞいた。
そしたら椅子に上って紙を貼り直してるお目当ての相手がいた。

乗ってる椅子や、体を支えてる足がふらついていて見るからに危なっかしくて、静かに近づいたら案の定バランスを崩して千歳が倒れた。
咄嗟に支えた体は小さくて細くて、だけど柔らかみがあっておまけにいい香りがした。
なんとか平静を装って喋りはしたものの、心臓はバクバクだし、手が震えてるんじゃないかと気が気じゃない。

そこに爆弾は投下された。

ハルキくん

名前を呼ばれた。それだけのこと。
だけど、初めてのこと。
いつものように前髪に隠れて表情が分からなかったけど、桃色の小さな唇が紡いだのは確かにオレの名前で。

その後のことはぼんやりとしか覚えてない。
とにかく体が熱くて、そこにあるものを一人占めしたい気持ちで一杯だった。
小さな全てが欲しくて、もっともっと触りたくて、我慢ができない。
爆発してしまうと思ったとき、また小さい声で名前を呼ばれた。

ハルキくん

服が割ける音と肩甲骨辺りの違和感に我に返って、支えていた時よりも近すぎる距離に自分の過ちを悟った。
とりあえず無我夢中で逃げて、息が切れるまで走って、気がついたら体育館の影にいた。

ドッドッと脈打つ心臓が早いのは、走ったせいだとは思えなかった。
無意識に広がった翼に戸惑いを隠せない。
さっさと翼を戻そうとしたけど上手くいかなかった。

友人にも見せたことがないこの姿を、彼女はどう思っただろう。
怖がらせてしまっただろうか。
距離が開くのは、嫌だなぁ。

千歳の姿を脳裏に描く。

ハルキくん

名前を呼んだ声が鮮明に記憶から呼び起こされて体が震えた。
嬉しい。嬉しい、嬉しい、嬉しい。

「千歳…!」

堪えきれない気持ちが口から溢れていく。
どんどん顔が熱くなるのを感じながら、千歳の声を思い出して一人でにやけていた。

「あーーッ!!好きだっ!くそっ!!」




数分後、やっと翼をしまえるようになると同時に破けたシャツの存在を思い出し、母さんに激怒される未来を頭に思い浮かべてオレは一人で青くなるのだった。



++++++
どうでもよい補足
竜人は興奮すると獣が毛を逆立てるように翼や尻尾を出現させます。
ハルキは半竜人なのでちょっとしたことで翼がでないため、翼を広げたときの考慮が皆無であるために服が被害に遭います。

記述は特にないですがハルキの翼や鱗の色は朱色です。

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