狙われた癒し -Croce- 5

夢を見た。それは冷たく、だけどどこか温かい、そんな夢を。
その夢の中で、僕はあの灰色の空間に佇んでいた。

「クローセル」
あの時と同じく、低く威厳のある声がした。前を見ると、暗闇の中に白い両手が現れた。僕は前に聞いた声の主だとすぐに勘付いて武器のドリルを出そうとするが、カマエルさんや他の天使にやられた傷で取り出すための力が足りない。
「そう熱くなるな。我は貴殿に告げるために来た」
告げる…?何を告げるの…?僕はぼんやりとした頭を使って必死に思い出そうとする。
「貴殿が我が世界に来るかどうかだ。答えは決まったか?」
「……!」
僕のぼんやりとした頭に映像がよぎった。灰色の世界で佇む僕に聞こえる声。そして僕の前に現れた影。僕は目を開いた。
「辛かろう。突然の襲撃に遭って」
そうだ。僕は突然堕天使だと言われて苛められたんだ。ラファエルさんは苦しめはしなかったけれど、僕を堕天使だと疑っていた。
「僕は…堕天使なのですか…?僕が本当に堕ちてるのかどうか、わからないんです」
僕は天界にいてもいい存在なのだろうか?安らぎの世界に僕がいてもいいのだろうか?自分の存在に対して疑問が生じていた。
「……よかろう」
白い手は僕を抱きしめた。何故だろう…あの時のような威圧感が感じられない。そして耳元で声が…いや、影が囁く。
「再び我が貴殿のところへ向かうとき、一つ交わろうではないか。そこで答えが決まるだろう」
「……あなたは、何者なのですか?悪魔なのですか?」
あの時から今まで相手の顔を全くもって見たことがない。我が世界_地獄へと誘ったんだから相手は悪魔だということは推測していた。だけどこの方は何なんだろう。威圧を感じるのに、どこか優しい。まるで理想の上司だ。
「我は貴殿の能力を尊(たっと)ぶ者。天界より地獄の方が、貴殿の能力はより生かされるだろう」
すると風が起こり、僕は涙目になっていた。今まで水に触れてきたのに、頬を伝う涙はそれまでとは違う感覚がした。しかしその感覚は徐々に強くなる風とともに消える。そして僕は無意識に俯いて腕を広げ、彼を抱きしめようとしていた。
「……時間か」
突然その方は悔し紛れな声で呟いた。それと同時に風が収まり、僕の中で何かが浄化されたような気がした。

夢は、そこで終わっていた。
ーーーーーーーーーーーーーー

夢の内容を思い返しながら、僕はさっきまでの衝撃で汚くなった風呂場をデッキブラシで掃除していた。あの抱きしめられたときの感覚がまだ肌に染みている。
「…僕の能力って…」
天界は豊かだ。光もあるし、天使たちは人間に安らぎを与えてくれる。だけど僕の持つ安らぎ…癒しの能力は他とは違う。僕には治癒効果のある魔力がないわけじゃないけれど、温泉を使って他者を癒す方を何倍も得意としているんだ。…でも温泉はすぐに相手を治癒できるわけではない。それに薬でもない。必ず癒せるという保障なんてないんだ。
「…わからない……」
僕のこの力が、本当にこの世界の役に立っているのかが。
ふと壁だった方を見る。壁である木の残骸や石ころがあちらこちらに散らばっているし、外から丸見えだ。掃除の他にも壁の修理もしなければならない。何よりも主にカマエルさんにとばっちりを喰らってしまった。僕は何もしていないのに、堕天使って決めつけるだなんて…!
こんな理不尽なことがあっていいんだろうか…。と、僕は悔しくてデッキブラシを持つ手に力が入る。
「……」
ふと気配がした。壁があった方に目を向けると、そこには天使がいた。でもどこかで見たような気がする。天使の階級にいる者は皆似た姿をしているのに。
「…ひょっとして慌ててどっか行ってた天使…?」
天使は相変わらずこけしのような細い目で僕を見ていてるが、さっきのような慌て振りを見せることはない。ただ何だか彼の目に引きつられてしまいそうだ。すると天使は僕の手を握り、引っ張って行く。
「ちょ、ちょっと…!」
一体この天使は僕に何の用があるんだ。そう言いたかったけど、天使の握力があまりにも強くてそれどころじゃなかった。
僕は天使と一緒に風呂場から離れた。僕の居場所が、何だか消えてしまいそうな気がした。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
「…チッ、どういうことだ……」
僕の部屋で、カマエルが悔しそうな表情をしてベッドに座っていた。
「何故元の天使に戻れたんだ…?」
「……」
彼はあのクローセルの状態に動揺しているみたいだ。何せ堕天使の証拠であるはずの色に染まった翼が、短い時間で元の色に戻ったのだ。余程堕天使を滅したかったのだろう。
しかしあの映像が頭から離れられない。クローセル、君はあそこで誰と、何をしていたんだ?
君は…何をされたんだ?
「ラファエル」
「!」
カマエルに呼ばれて僕は我に返った。
「あの温泉天使のことでも考えてるのかい?」
「…フッ、まぁね」
快くない表情で訊くカマエルに、僕はいつものカッコつけで返答した。彼のことを考えたのは否定しない。
「お前はどう思う。クローセルを思ってるお前ならわかるはずだと思うんだが」
「……」
僕は口を隠し、考えた。しかし100%それについて考えてるわけではない。もちろんクローセルのあの状態も気になっているが、他にも気になっている事柄が沢山あった。あの光景で何をしていたのか。あの『手』が何なのか。
そして、クローセルが何をされたのか。

「…何かをされた……とか…?」
「何をだ」
無意識に零した答えにカマエルがベッドから立ち上がり、僕に顔を近づける。僕は彼から目を逸らして呟くように言った。
「操られたか、或いは変身させられたか……」
天使や悪魔の中にはカマエルのように変身能力を持つ者がいる。ならば変身させる能力を持つ者もいるのではないのだろうか。
「堕天使に変身させられただと?」
「堕天使の中には翼を天使の持つ者もいる。しかし彼らはみな色が完全に染まっているだろう。…まぁ、絵の具で塗った可能性も捨てきれない」
「わざわざ悪魔がそんなことをするわけないだろう?馬鹿じゃないのか?」
嫌味ったらしくカマエルが言うが、僕はそれを悪くは受け止めなかった。確かに絵の具なんて馬鹿らしい。そして何より、こんなにも苦しむなんて馬鹿らしい。そう思いたくて、僕は思わずエメラルドのネックレスに触れた。
「傷が出来るぞ」
「……わかっている」
僕は恐る恐る手を離したが、本当はこのエメラルドにもっと触れたかった。そうしないと、僕の心が乱れてしまいそうな気がしたから。
「ところで話の続き。悪魔の中に堕天使の姿に変身させる奴がいるというわけか」
「…少なくともそれは確定に近い…」
「…んでクローセルを堕とすために……」
「!」

ガッ!

僕は彼の名を聞いた瞬間に知らずうちにカマエルの胸倉を掴み、そのままベッドに押し倒してしまった。この衝動的な行動をしたにもかかわらず、カマエルは表情を変えない。
「…医者なら丁重な扱いくらいしてほしいものだね」
「…わかってる……」
彼の嫌味ったらしい言葉に対し僕はそう言ったが、本当はわかっていなかったのかもしれない。僕がここまで自信を失ってるだなんて、自分でも信じられない。
「君はクローセルに対して目を引きすぎてる気もするんだけどね。そろそろ陰口でも飛び交うんじゃないのかい?」
それも承知だ。僕のこの脱衣のお陰でそんな悪い口を受け止めるなど慣れている。脱衣する理由、君にはわかるかい?いや、理解しているのかい?
「…ま、いいけど」
やれやれと言った表情でカマエルは身体を起こした。その時だった。


バタンッ!
僕の部屋が勢いよく開かれた。そこには服を裂かれ、傷だらけの天使がいた。壁に手をついてるところから、立つのがやっとの状態だろう。

「どうした!?」
「…あ、悪魔が……責め…」
天使は途切れ途切れに報告したかと思うと、その場に倒れた。
「…悪魔どもの襲来か…。腕がなるね…」
カマエルは肩をポキポキと鳴らす。表情も所謂ゲス顔で、一般の者が見たら恐怖に怯えるだろう。
だけどそんな僕が何故か恐怖に怯えていた。カマエルの顔が恐ろしく感じたからではないことはわかっているはずなのに。脚が震えて動けない。

「どうしたんだいラファエル、行くんだろう?」
カマエルの言葉が僕に追い打ちをかける。わかってるような口振りをしないでくれ。と僕はまたエメラルドを握ってしまった。引きちぎりたくなるほどに。
「君と彼が、どれだけ交わっているかが試されているだろうからね」
「!まさか!」
「…そのまさかかもよ」
僕は突発的に走り出していた。このまま彼を渡すわけにはいかないと。斯くなる上は、奴に本気で治療を…いや、殺生をしてやる。


誘われないでくれ、癒しの天使よ。君と絡み合っている悪玉を、今断ち切ってあげるから

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