滲んで汚れて洗い流して01


私は,桃山プレデターのマネージャーになった.

理由は杏子さんに誘われたからだ.

高校生の私は,将来スポーツトレーナーになりたくて,専門学校への進学を希望している.

そして,無事にその進路が決まった春休み,元高校の先輩である杏子さんに地元の小学生サッカーチームのマネージャーをやってみないかと進められた.

安易に考えていた私は,先輩の誘いだからと断れず,あっさり引き受けたのだ.




「マネージャーさん,ちょっとこっち見てくれません?」

「なんだこのドリンク…うっす」

「シュートの数,数えてくれてたのかよ」


マネージャーを始めて,3日経ったころだった.

クソ生意気なガキ共には手を焼いていたが,大人な対応を心がけていた.

なんたって,コイツらはほとんど敬語を使わない.

そして,人のことを小間遣いのように扱う.

キレそうでキレない境界を保っていたが,ついにその時はやってきてしまった.



大切なストラップが,ボールをぶつけて壊されたのだ.

いや,ボールが当たって壊れたことには文句はなかった.

問題はその後,謝ることもなければ,悪びれた様子もなく,そんなところに置いておいた私が悪い,自業自得だとのたまわったのだ.


「冗談じゃないわよ!アンタ達,マネージャーをなんだと思ってんのよ!私はアンタたちの奴隷じゃないし,いろんな我儘にも耐えてきたっていうのに…いい加減にしなさい!」


あんまりにも大きな声だったせいか,練習していた誰もがそれを止めて,こっちに注目している.

もうどうにでもなれ,というところまで頭にきていたのだ.

クビになっても構わなかった.

杏子さんには申し訳ないけど,恋人が面倒みてるサッカーチームはクソだって言ってやりたかった.


「…っ,花島さん,私…もう辞めます.付き合ってられません」


つかつかと,花島さんに歩み寄って頭を下げた.

子供の前だろうがなんだろうが,そんなの関係ない.


「あ,おい…ちょっと待ってくれよ!」

「ハッキリと言わせてもらいますが,こんな酷いチームは初めてです.サッカーの指導をする前に,もっと習わすべきことがあると思います.これ以上の常識の範囲を越えた行為は,もう限界」

「…すまなかった,お前の言いたいことは分かるよ」

「今までは,私の労働が増える程度なら許しました.ですが,今回は許せません」

「俺が弁償しよう.だから,少し冷静になって…」

「結構です.杏子さんには自分でお伝えしますから,私は今を持って辞めます.では,これで失礼します」


花島さんだけに責任があるわけじゃないのはわかってるし,そういう躾をされた子だと思って割り切れれば良かったかもしれない.

ただ,あのストラップだったから,どうしても許せなかった.

言いたい事を言い切って,自分の鞄をひったくる.

滲む視界を何とか保って,足音だけは響くように自宅に向かった.





「あーもう,なんなのよ…ホント.最悪!」


自分でも子供相手に,大人気ない対応だったと反省していないわけでもない.


「…いっそストラップより携帯が壊れてくれた方が有難かった」


物の価値は値段じゃない.

あのストラップは,自分が部活を引退した時に後輩達から貰った思い出のストラップだった.

マネージャーをしていた私を労って,わざわざ名前入りの物を選んで贈ってくれた大切なもの.


「って…あれ!?ない…!!」


ポケットに仕舞ったと思いこんだストラップの,壊れた破片がない.

半分はあるが,もう半分がなくてはくっつけられないじゃないか.

怒りに任せてずんずんと歩いてきたせいで,落とした記憶もない.

急に,顔から血の気が引いていくのがわかった.


「やば…」


急ぎ足で,元来た道を戻る.

暗くなり始めた夕方,完全に陽が沈んでしまっては探せない.

焦りながら,道にくまなく目を配るが…ついにグランドまで戻ってきてしまった.




練習は終わったのか,フェンスの中には子供も花島さんもいなかった.

勿論フェンスはしっかりと施錠されていたので,中には入れない.

立ち尽くしたまま,どうしようかと思っていれば,ふいに声が掛かる.


「あれ,シェリアさん?」

「…っ,杉山くん!?」

「どうしたんですか,何か忘れ物ですか?」

「ちょっと,ね.でも閉まっちゃってたから」


杉山くんは,鞄を肩に掛けて,チャリを押している.

私を見かけて声を掛けてきたのだろうか,それとも偶然だろうか.

どっちにしても,こっちは気まずい.

あんまり喋らないように,質問に答える.


「僕,取りに行きましょうか?」

「えっ」

「いや,このくらいのフェンスなら簡単に登れますから.すぐ行ってきますよ」

「悪いよ.また,明日でいいや」

「でも,せっかく戻ってきたんですよね?何を忘れたのか聞いても?」


親切な子,そして礼儀正しい子だな,と思った.

全員が全員,不躾な子だと思っていたわけじゃないが,なんとも言えない気持ちになってくる.


「…これの半分」
 

ばつが悪そうに見せたストラップ.

あぁ,と杉山くんは私が探すのを拒んだことに納得したように声を漏らした.


「その…だから,明日また来るよ.こんなに暗くても,もう探せないだろうし」

「それ,そのストラップのこと,本当にごめんなさい」

「…杉山くんが悪いんじゃないから」

「でも,僕だってチームの一員です.それに,彼らは謝らなかったですし…僕が代わりというわけじゃないんですが…」


杉山くんは,自転車を停めて私に深く頭を下げた.

なんでこの子が謝るんだ….

納得できない気持ちと,小学生に気を使われた複雑な気持ちが混ざって,反応が鈍った.


「僕,目はいいんで…ちょっと見てきますよ」

「あ,…ちょっと,杉山くん?!」


私がもたついた返事を返す前に,杉山くんはフェンスをよじ登っていく.

そして,軽い身のこなしで地面に降り立って,ベンチや水道の方を見に行ってくれた.

何も言えず,フェンスに手を掛けてその様子を見守る私.

なんてかっこ悪いんだろう,情けない.






「…杉山くん,もういいよ!ホント,あんまり遅くなったら家族が心配するって」

「大丈夫ですよ」

「こんな暗いんだから,今日はもう無理だよ…」

「もう少し.僕は平気ですから」


電灯があっても,光の当たる範囲は限られている.

見つかりっこないと諦めながらも,必死に探す杉山くんを眺めた.

すると,奥の方に行ったのか,少し遠いところで杉山くんが声をあげた.


「ありましたよ!シェリアさん!」

「うそっ…本当に見つけちゃったの…」


走ってきた杉山くんは,フェンスの隙間から私に壊れたストラップの半分を渡した.

そして,また入った時のようにフェンスを越えて出てくる.

ストッと私の前に着地して,にっこりと笑った彼の笑顔は,暗いのにはっきりと分かった.


「見つかって良かったですね」

「…ありがとう,怪我とかしてない?」

「はい,この通り.大丈夫ですよ」

「本当に,ありがとう.…元はと言えば私の自業自得なのに,ごめんね」

「いいんです,僕がしたくてしたことなんですから.それよりも,本当にマネージャー辞めてしまうんですか?」


杉山くんとは,あまり話したことはなかった.

だから,そんなことを聞かれて言葉に詰まったものの,小さな声で返す.


「そうだね,もう来ないよ.あんなこと言っちゃったし,私もこのまま引き下がれるほど大人じゃないの」

「やっぱり,まだ怒ってますよね…すいません」

「ごめんね,決して誰のせいでもないんだ.私,自分が許せないんだよ.小学生って分かってるのにキレちゃったし,おまけにキレた勢いで花島さんにも失礼な事言っちゃって…情けなくって」


半ば,愚痴のように言ってしまったことに後悔した.

でも杉山くんはそうは受け止めなかったのか,私に何度も頭を下げた.

もういいんだよって言っても,申し訳なさそうに眉を下げている.


「僕は,シェリアさんのアシストのお陰で,結構助けられました.的確にケアしてくれるし,怪我の手当てだって念入りに見てくれましたよね」

「一応,スポーツトレーナー目指してるから…自分の経験にもなると思って一生懸命やってたよ…だけど,やっぱ」

「僕にとっては,シェリアさんが必要なんです.辞めないで,ください…」


私が言い切る前に,杉山くんは目に涙を溜めて言う.

手を取って,必死に説得してくれる.

そんな風に思われてたなんて知らなかったよ.

こっちも感情が高まってもらい泣きしそうになる.

お互いに決壊手前の涙腺は,私が先に許してしまった.


「ありがと,杉山くん.本当に,ありがとう…」

「もし,シェリアさんがよければ,僕の練習に付き合ってください」

「ふふ,暇なときならいいよ」

「本当ですか!」

「最も,個人練習だけね.今まだチームに顔出せないからさ」

「それでも構いません!これ,僕の連絡先です」


杉山くんが鞄からメモ用紙を取り出して,メールアドレスを書き込む.

それを私に渡すと,今度は私の両手を包んで有難う有難うと何度も言った.

手,大きいんだなぁと感心しながらも,こちらこそ有難うと伝えて.



こうして私達の奇妙な関係が始まった.







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