滲んで汚れて洗い流して バレンタインデー


多義くんと喧嘩をした.


「…はぁ」






年に一度のバレンタインデーを迎えた朝の出来事である.

渡す時間の都合上,朝一番でうちに来ていた多義くん.

チョコレートは既に,昨日の内に準備してあった.

材料から調理,ラッピングにまでこだわった手作りだ.


「ありがとうっ!嬉しいぞ」

「いえいえ!ごめんね,朝一番にわざわざ」

「いや,貰えるだけでも有難いのに…このくらいどうってことないさ.むしろ,当然なくらいだと思うぞ」


チョコレートを手渡して,出勤までの時間一緒に過ごす.

運がいい事に,多義くんは今日は朝練がないのだそうだ.

しばらく,ほのぼのとしていたが,その時はやってきた.


「さて,職場のは…鞄に入るかなぁ…」

「なんだ,それ?」

「あぁこれは,職場に持って行くチョコだよ」

「友チョコ?」

「うーん…友達っていうか義理チョコかな.うちの同僚と上司って女性少ないし」

「じゃあ,男に配るの?」

「いやまぁ…でも,義理だよ?」

「………へぇ」


それは,私が余った材料で会社用に作ったものだ.

テーブルに置いておいたのを,多義くんの目に付いたようだった.

多義くんの溜めた返事が,恐ろしく気になった.

怒って,る?


「どうしたの?」

「嫌だなぁ」

「え?」

「…気に入らない」

「多義,くん?」

「シェリアの作ったチョコを僕以外の人に,あげないでほしい」

「それは…」

「僕の我儘,聞いてくれない?」

「だって…せっかく作ったんだよ?それに,今から買いに行くのも仕事に遅れちゃうよ」

「……許さないから」


多義くんは,徐に小さなチョコを手に掴んで握り潰す.

パワーのある多義くんが掴んだのなら,それはきっと粉々だろう.

なんてことを.

恐ろしさに,足が竦んで,ただただ全てのチョコが駄目になるのを黙って見つめた.

逆らえば,私もその手で潰されてしまうんじゃないかと思って.



「…ひどい」

「これで,もう渡すことは出来ないだろう?」



笑顔の多義くんに,私はなんて返していいのかわからなかった.

あぁ,好きなのに好きじゃないこの感覚.

この少年,いや青年は私の知ってる多義くんじゃないのだ.

そう思いたかった.



「…って」

「え?」

「出てって!ひどいよ!こんなことするなんて…」

「ご,ごめん…でも,本当に嫌だったから」

「嫌だったら,何をしてもいいの!?多義くんがこんなことするなんて思わなかったよ…」



押し出すように,多義くんを外に追いやる.

すぐに鍵を掛けて,彼をシャットアウトした.

なんで,こんなことに.

しばらく私の名前を呼んでいた多義くんだけど,時間制限がきてしまったのか,諦めて気付けばいなくなっていた.



「…はぁ」



粉々になってしまったこれを,仕方なく指で摘んで口に運ぶ.

大人向けにビターチックな味にしたのが失敗か,妙にその味が口に残った.

それと同時に,涙の味が加わっていたせいかもしれない.

会社にはことわりの電話を入れて,泣き腫らした目を冷ましてから家を出た.






どうにも仕事に身が入らないのは,やむないことかもしれない.

元気のない私を見かねたのか,めずらしく上司は早退を勧めてくれる.

お言葉に甘えて,遅刻と早退を同日で行ったのだ.

明日何かお詫びに作っていこう.

だって,贈り物自体は悪い事じゃないもの.



「…あ」



玄関前に,体育座りでいる青年.

俯いて,居眠り中.

どうしよう,と声を掛けることを戸惑いながらその肩を揺らす.

彼はすぐに起きた.



「…シェリア」

「…風邪,引く」

「ごめんなさい」

「とりあえず,ここじゃ寒いから…あがって」

「…うん」


しおらしい多義くんは,罰の悪そうに居間に正座.

私はすぐに着替えてから,自分と多義くんにホットコーヒーを入れて,正面に座った.

湯気の経ち昇るコーヒーが冷める前に,話すべきことはたくさんある.


「…ごめんなさい」

「それは,何に対しての謝罪かな」

「…チョコ,駄目にしちゃって」

「うん」

「僕,友達と母に叱られました.僕が悪くないだろうって…そのまま話したんだ,今朝の事を」

「…それで?」

「皆揃って僕が悪いって…」

「だから,謝ってるの?」



我ながら,少し冷たい言い方をしてしまった感はあった.

でも,ここで私が甘えを見せてはいけない.

年の功か,社会に出て学んだ経験がそう言っているような気がしたのだ.



「いや!違う!…皆に言われたのも確かにあるけれど,僕も心から反省してる…」

「すごく,怖かった.朝の多義くん」

「え?」

「私も,何かされるんじゃないかって思ったくらいだった」

「…ごめんなさい!僕,シェリアを傷つけたかったわけじゃなくて」

「あの時の多義くんが,本気だったのは見れば分かったよ.冗談じゃなかったことも,分かってるから」

「…嫌いに,なった?」

「よく,わかんないの」



私の返事に,困ったような顔をする多義くん.



「正直に言えば怖かったけど…でも,あんまり怒る気なんてないのよね.そりゃまぁ,チョコ駄目にされたことは腹が立ってはいるけど,それって嫉妬でもあるわけだし」

「…僕,おかしいんだ」

「ん?」

「シェリアのこと考えてると,好き過ぎて…自分でもちょっと怖くなる」

「自覚はあるの?」

「…勿論,シェリアに愛されたいし,傷つけたくないって思ってるぞ!でも,…勝手に嫉妬,するんだ」

「多義くんに愛されてるなぁって実感はこれ以上ないくらいだし,私だって多義くんのこと愛してるよ.でも言葉にしちゃうとすごく軽く聞えるからあんまり言いたくないんだけどね」

「本当に,悪い事をしたって思ってる.許してほしい,なんて…それこそ身勝手だと分かってて…」


多義くんが深く頭を上げて,謝った.

だから私は,絶対に許さまいと決めた.

彼を惑わした原因が自分であるというのなら,ここは心を鬼にすべきなのだ.

じゃないと,またこういったことを繰り返してしまうから.



「駄目.謝って済むことじゃないでしょう」


人間は,自分で気付くまで同じ過ちを何度でも繰り返す.

だけど,気付いていても誤ってしまうことだってたくさんある.

だからこれはある意味,私にとっても教訓となった.

愛すことは甘やかすということではない,と.



「誠意はよくわかったよ.でも,今日のことは許さないし,忘れない」

「じゃあ…僕はどうすれば…」

「どうもしなくていいの.今日のことを忘れさえしなければ.ただ,それが面倒だと思うなら,今すぐ出て行ってくれて結構」

「…シェリア」

「私だって,好きで義理チョコ配ってるわけじゃないんだもの.…こうやって言い訳したから,多義くんだってあんなことしたんでしょう」



私も忘れちゃいけない,そういう意味で.

これでも世間では大概甘いのかもしれない.

恐怖を抱いた相手を,付き合っていられるかなんて普通ならばノーだろう.

だけど,多義くんを見ていればきっと彼も今恐ろしいものを対峙でもしたかのような表情をするから.



「…シェリア,ありがとう」

「お礼を言われることもしてないから.とにかく,反省は次に生かしてください」

「うん!」

「よし,じゃあ晩ご飯にするよ.今日は焼きそばだけど,食べてく?」

「えっ,もう…いいのか?」

「なにまだ怒られたいの?」

「いや!もう!いい!勘弁してくれ…」



そこからは,お互いに蒸し返すようなことはしなかった.

心の置くに留めておいて,きっと1人きりになったとき思い返せばいい.

悲しい思い出もあるからこそ,楽しい時間が待ち遠しいに違いないな.

そんなことを思いながら,フライパンの焼きそばが玉にならないようしっかり混ぜた.






「結局お泊りだな」

「あっという間に時間過ぎちゃうから仕方ないわね」

「…でも,一緒にいれることが嬉しい」

「……何で急に,そんなこと言うの…」

「…チョコレート,美味しかった.メッセージカードも,読んで泣きそうになった」

「…そっか」

「だから,感謝を込めて…ハグで愛情返し」


ぎゅうっと後ろから抱き占められて,背中に当たる多義くんの息にドキドキしてしまった.

こうなれば,もう彼のペースになってしまう.



「今年はビターで良かったかも」

「へ?」

「控えめな甘さに,ちょっと苦みもあって,美味しかったでしょ?」

「あぁ!頬っぺたが落ちそうになったぞ」

「それなら作った甲斐もあるなー…ホワイトデー楽しみにしなきゃ」

「…3倍返し?」

「まさか,3倍なんていらないいらない.今みたいに愛情で返してくれればいいよ」

「…じゃあ,何かサプライズを考えておくよ」

「ん,約束ね」



そういって,軽く唇が触れるキスをした.

してやったりとウインクしてやれば,驚いた多義くんにすぐ反撃されてしまったけれど.



ハッピーバレンタイン!…なんて結局は自己満足.

幸せの定義なんて,どこにもない.

いつどこに落とし穴があるからからない,だからお互いを知るというのは楽しいのだ.

私も多義くんも,きっとそれを分かっているから,こうして一緒にいることが幸せなんだろうな.





そういえば,ひとつ気付いたことがある.

多義くんは,他の女の子にチョコを貰わなかったんだろうか?

…恐る恐る聞いてみたが,返事はあっさりとしたものだった.


「いらない…って思ったから,断ったよ」


チョコを渡されそうになったのは全部断ったらしいし,置かれていたものに関しては申し訳ないが本人の机に返しておいたと言われてしまった.

随分と愛されたもんだなぁ…と丸まって眠る愛しい癖毛を撫でてから,私はそのまま瞼を閉じた.


明日はきっと



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