多義01
いつも仕事でも白をよく着る私は,今日も白.
だけど,いつもと違うのはその価値だろうか?
川原をとぼとぼと歩いていれば,急に土が跳ねて,真っ白なワンピースについた.
原因は,目の前に転がったこのボール.
どこからともなく私の目の前に飛んできたボールは,足元に広がった水溜りに着水.
最悪.
「…なんなのっ!なんで今日はこんなことばっかり!最悪最悪最悪!」
地団太を大きく踏んで,今日という日に起こった不運な出来事が頭を過った.
まず,めずらしく私がワンピースを着た理由は,彼氏とのデートだ.
朝張り切って支度をしたものの,大雨.
待ち合わせ場所にて彼氏が2時間遅刻して,雨の中待ちぼうけ.
理由を聞けば寝坊だそうだ.
なんだアイツ!
「…ホント,サイアク」
やっと合流できた彼氏と,電車で移動して,ランチを食べて,買い物をして,カフェに行って,そうしたらやっと雨が止んで….
道中スマフォを落として画面に傷が入ったり,ランチに入った店で傘を置き引きされたりしてショックだった.
だが何よりも悲しかったのは帰りに入ったカフェでの出来事.
それまで何もなく過ごしていたデートが,一瞬で地獄に付き落とされたかのような衝撃だ.
「何が好きな女ができたよ,ブスだったじゃない,頭悪そうだったじゃない!!!」
火の付いたように私は罵詈雑言を吐き捨てた.
彼は浮気をしていたのだ.
そして,私に別れて欲しいと言った.
しんじまえあのくそやろう.
その言葉を発する前に,私は奴の顔におしぼりをブン投げた.
厳密に言えば,キレて罵った挙句,泣きそうになったので逃げ出したのだが.
「あァ,くそやろう!あの,ヤリ「すいません!」やろう!!!!ファ○ク!!」
ちょっと待って今何か.
恐る恐る振り向けば,すごく気まずそうに少年が立っていた.
驚きと動揺のあまり,言葉を失ってぽかんと口を開けたまま固まって動けない.
あれ,今私ものすごき汚い言葉を吐いたかもしれない.
このタイミングで,人に出会うなんて.
「す,すいません…ボール…」
「あ!あぁ…これ…」
見たところ,サッカー少年のようだ.
なるほど,お前がこのボールの持ち主か.
むかっとしながらも,もう汚れてしまった手前,蹴ってボールを返した.
勿論靴もドロドロに汚れた.
蹴った反動で散った泥も,またワンピースに付いてしまった.
「あ,ありがとうございます」
「…どういたしまして」
「…あの」
「…なんか用?」
ボールをキャッチした少年は,一向に立ち去ろうとしない.
なんだなんだ,一体どうしたってんだ.
こっちは虫の居所が悪いんだぞ.
「靴と服…もしかして,ボールで泥が散ってしまったんじゃ…」
「…だったら何よ」
「わあああすいませんっ!!!!ごめんなさい,ちょっと来てください!」
「えっわああああやめっ坂道ヒールとか転げるうううううう」
少年は,大層驚いた様子で私の手を引いた.
勢いがついたその動きに,私は転げそうになりながら土手を下らされる.
ものすごく怖かった!
とんだ急展開に,足を挫きそうになったがなんとか持ちこたえている.
「ちょ,アンタ何すんのよ!!」
「ごめんなさい,水で洗えばまだ落ちるかもしれないので…!」
「わああああ冷たいいいいいいやああああ」
「すすすいませんっ!」
慌てているのか,少年は私の足にホースで直に水を掛けた.
時期柄,今は冬.
「だだだ大丈夫ですか!」
「ふざっけんじゃないわよ,アンタどういうつもり!ったく,なんなのよもう!!!」
「ご,ごめんなさい…」
しゅんと,私よりも随分高い背中が丸々のは,子犬のような仕草だ.
とはいえ,可愛いと思うよりも怒りが勝る.
と同時に,水道の蛇口とホースの繋ぎ目が外れて水が勢い良く宙を舞う.
「ぎゃあああああ」
「わああああ!」
「さむっつめたっしぬっ」
「つ,冷たい…」
頭から水を被った私と少年は,ずぶ濡れ.
当然寒いし,このままじゃ風邪を引く.
怒りも冷めるように,体がカタカタと震える.
今日は本当に不運続きだ.
「…これ,使ってください」
「……ありがと」
少年はタオルを差し出してくれたので,有難く受け取る.
しかし,少年が自分を拭う様子はない.
一枚しか,ないのだろうか.
「風邪引くわよ.アンタ先に拭きな」
「いや,僕はいいですよ!」
「子供が気を遣ってんじゃない!さっさと拭けばいいのよ!」
「ひっ!は,はい!」
罰が悪いので,思わずタオルを突っ返して少年に渡した.
私も,子供相手にムキになるなんて大人気ないものね.
ここは冷静に,冷静に….
少年はタオルを申し訳なさそうに使って,私に再び貸してくれた.
「あの,すいませんでした」
「いいわよ,もう…」
「でも,服と靴…」
「だからいいって.どうせ見栄張って着ただけで,普段袖なんて通さないんだから」
「え?お似合いなのに?」
「…は?」
「いや,素敵だと思いますよ…見栄なんて張らなくても,その,よくお似合いです」
「はぁ?」
「だって,その…僕思わず見とれちゃいましたし」
「……っぷ,あははははは!!」
「ええっ」
「アンタ,面白いね.いやまさか,服汚されて水ぶっかけられた後にそんなこと言われるとは心にも思わなかったわ」
少年は,笑い出した私に驚いたのか,きょとんとしている.
そしてすぐに謝ってきたので,もういいと何度も言い聞かせた.
聞けば彼は小学生だった.
へー…発育いいねぇ.
なんておばさんくさいかな.
「あー…なんかすっきりした.笑える気分にしてくれてありがと.私帰るわ」
「あ,待ってください!」
「何?」
「…浮気するような最低な男性は,僕も許せませんから!」
「げっ…聞いてたのかよ」
最後の呟きは聞えないように.
どうせなら私の発言が聞こえないようになってれば良かったと後悔.
「な,なので…その,あんまり悲観しないでください.きっと,貴女に釣り合うような素敵な方が現れますよ!」
「…そ,そりゃどーも」
少年は,最後の最後に同情をくれた.
私の暴言は,一体いつから聞かれていたんだろう…恥ずかしい!
どうにも引き攣る顔で,私は笑みを作って去った.
ちくしょう,口角が痛いぞ…明日の仕事に響かなければいいけど.
なんたっていろんな表情を作って話すのが仕事なもんで.
そんなこともあったが,偶然にも私達が再会するの早かった.
意外な場所で,予期せぬ再開.
「はい,どうぞー.こんにちは,ではそこに掛けてくださいね」
「すいません,初診なんですが」
「大丈夫ですよ.はじめまして,私シェリアと申します.今日はどうしま,し,た…げっ」
「あ!この間のお姉さん!」
「アンタ…じゃなかった,君…昨日の…」
「先日は,どうも.まさか病院の先生だったなんて!ちょっと足をねんざしてしまったみたいで…診察お願いします!」
「は,ははは…そっかー…じゃあちょっと診てみよう,そこの台に横になってね」
思い出す昨日の出来事に,私だけ気まずい.
なんたって,医者があんな汚い言葉を平気で他人にぶつけているのを見られていたんだよ?
向こうはケロッとしていたものの,ぶっちゃければ仕事やりづらいわ!
あー…ホントツイてないな私.
そう思った私と彼が約10年後には夫婦になっていることなど,今は誰も知らないまま.
診察室の私のデスクにある写真立ての中,泥だらけの白いワンピースの女とサッカーボールを抱えた男が笑顔で並んで写っていた.