夕焼けに頭を垂れる竜胆


 ※ロイドin黒月な話。おもいっきりパロですご注意を



 警察の人事課から届いた手紙、それから写真。もう先に大きな荷物は送ってしまったから、持ち歩くのはそれだけで十分だった。
もともと物の少ない部屋だったためか、がらんとしていてもさほど寂しさを覚えることはなかった。
 手もとの写真を見つめる。3年前警察署の前で、撮ったものだ。大事に保管していたつもりでも、写真の端はくたびれて、色は少し褪せて見える。何度か列車から見かけたクロスベルは、ずいぶんと背の高い建物が増えていた。もしかしたら、警察署もこの時より変わっているのかもしれない。
けれども、今そのことはロイドにとってどうでもよかった。何よりも大事なこと、何よりも優先すべきこと。目的を果たすことができるのなら、どこだって、どんなところだって構わない。

 ――これから行くんだ。兄貴が居た、あの場所へ。

 この3年で帰る資格を得られたとは思っていない。むしろさらに顔向けなんてできないに違いなかった。
 けれど行かなくてはならない。クロスベルにはあの人が居る。
「待っていますよ」なんて言葉を囁かれたのをよく覚えている。同時に耳元をくすぐった吐息の感触まで思い出して、嫌悪感がこみ上げる。吐き気を奥歯でかみ殺し、木製の勉強机の引き出しに手を掛けた。
奥にぽつんと未練たらしく残っている手紙を手に取る。この部屋にあるロイドのものは、これで最後だ。
 上質な紙であることは触っただけでわかる、埃を被り色の褪せた白い封筒。この手紙に返事を出したことはないし、これ以外の手紙が送られてきたこともない。
返事を出すにはもう遅すぎる。それにそんなことをしなくてもじきに会えるのだ。伝えるべきことは会って話せば良い。

 クロスベルに向かうことになった今、この手紙はもう自分には必要の無いものになる。
破いて燃やしてしまっても、大丈夫だろう。差出人の名前も手紙の内容の一文字一文字すら、ロイドはきっと忘れることはない。そんなことは絶対にできないのだから。
もう一度、待っていますよ、と。その声が耳の奥で反響した。後押しされたと勝手に解釈して、封筒ごと破いていく。細かくなった紙片たちを手のひらに乗せ、もう片方の手で小さな旧式の戦術オーブメントをポケットから取り出した。
これでいい、もう迷うことは何もない。
はめられた赤いクォーツに触れる。室内で使うのは少々躊躇われたが、ここでタイミングを失えば、今度はこの紙片をずっと持ち歩くことになりそうだった。さすがにそんなのは願い下げだ。
これを燃やすくらいなら、最低限の威力で良い。オーブメントが駆動して、導力エネルギーの淡い光が集まってくる。
 手のひらの上で展開した炎の属性のアーツは、あっという間に白い紙片を黒い灰に変えていく。
いくら最低限の威力に抑えて発動したとはいえ、炎が手袋をほんの少し焦がしてしまった。ため息のように「熱い」とだけ呟くと、窓を開け放ち手を外へ差し出す。強い風が吹いていて助かった。手の上の灰はさらさらと風にのって流れていく。両手をぱん、と叩いて残った灰も落とした。

これでいい。これでもう、迷う必要も無くなった。
焦げのついた手袋で窓を閉じて、ついでにカーテンも閉じた。このやわらかなオパールグリーンのカーテンが、共和国の穏やかな風に揺れるのをもう二度と見ることも、無い。

「……兄貴」

 目を閉じて、首からかけたタグへ問いかけるようにそっと触れる。指先から伝わってくる冷たさだけが、ロイドに返ってきた答えだった。





「……特務支援課、か」

 机とベッド、それからダンボールがいくつも積まれている殺風景な部屋の中、まだろくにシーツもカバーもかけられていないベッドの上にロイドは仰向けに寝転がった。
新品のにおいがして、少し落ち着かない。もちろんそれだけが落ち着かない原因というわけでもなかった。
枕の横に置いていたエニグマに手を伸ばす。それを目の前まで持ってきて、まじまじと見つめた。「S.S.S」という特務支援課のロゴマークは、幾ら見ても変わるはずもなかった。
 第5世代戦術オーブメント、つまり最新型だ。ポケットを探って、ロイドは今まで自分が使っていた戦術オーブメントを取り出した。
華美とは言えないが、品のいい装飾の施されたそれ。すっかり手に馴染んだその形も、セットされたクォーツも、しばらくは触れたり見たりする機会は無くなる。その間だけはここで、この特務支援課で生きていくことになる。
少しでも『あの場所』との関わりが薄くなることが寂しいのか、嬉しいのか。じわりと滲んだ苦さを理解きなくて、それはただロイドの胸を締め付けるだけだった。

 待っていますよ。またそう言われた気がして、ベッドから起き上がる。
音声での通信どころか、手紙での連絡すらしてこなかった。けれどもう、相手にはロイドの情報などとっくに届いているに違いなく、今から直接出向いても当然のようにロイドを迎え入れることが簡単に想像できてしまった。
今こうして、行くべきかどうか悩んでいることすらお見通しかもしれない。もしそうだとすれば、ロイドの悩む時間すら彼にとっては愉快なものだろう。
そう考えると無性に腹立たしい。もうどこへも行けないように囲っておいて、そのくせ待っていますよ、なんて言って突き放すのだから、たまったものじゃない。
思いつくかぎり罵倒の言葉を心の中で並べながら、ロイドは物音をなるべくたてないようにしながらそっと部屋から飛び出した。


 ぐるぐると考え事ばかりして煮詰まっていた頭には、夜の街を撫でる風の冷たさが心地良い。
かすかに流れてくる潮の香りを追うようにして、すっかり様変わりしたクロスベルの街中を駆けて行く。
そうして、湾岸区の黒月クロスベル支部の前へとたどり着いた。扉には「御用の方はノックを」という札がかかっていたが、ロイドはノックをせず扉に手を掛ける。案の定、鍵はかかっていない。
ここまで誰かにつけられていた気配もなく、不思議と人通りも少なかった。
何も心配はいらない。自分に言い聞かせて、ロイドは開いた扉の奥へと体を滑り込ませた。

 灯りのついていな建物の中は暗い。まだ闇に慣れない目を凝らそうとすると、ロイドの前へ音もなく人影が歩み出てきた。

「――ラウ、様」
「半年と数ヶ月ぶりだな」

 顔を見ずとも、嫌というほどに良く知った気配は間違えるはずもない。
平坦な調子で返された言葉から、相手の感情を読み取るとことはできなかった。

「はい。その節は、ご迷惑を」
「気にせずとも良い。あれはまだ使っているのか」

 あれ、とは、ロイドが警察学校に入るその前に、「訓練」で使っていた武器のことだろう。
今ロイドの手元にあるトンファーとは違って、東方の名残を強く残すフォルム、闇に溶けるような色をしたのそれを思い出す。
他にも数種類の武器はあったが、今はそれも含めて、このクロスベルには無かった。

「……いえ。ですが、もうじきこちらに届くようにしていますので、ご命令があればすぐにでも使えます」
「ならば良い。上でツァオ様がお待ちだ」
「――はい」

 そこまで広くない廊下で、階段を見つけることは容易だった。上というからには、この階段を上った先に居るのだろう。
静寂の中で、嫌と言うほど鮮明に「待っていますよ」という声が、耳の奥で響いた。

 一段、また一段と階段を上るたびに、鼓動が速くなっていく。いつの間にか固く握り締めていた手がうっすらと汗ばんでいる。震える息を吐き出した。
とうとう扉の前までたどり着いてしまった。手を扉へと伸ばす。どうしようもなく、指先が震えた。
その指先が届くより早く、「開いていますよ、どうぞ入ってきてください」という声がロイドの心臓を跳ねさせた。
何度も何度も、ロイドの記憶の中から「待っていますよ」と繰り返したその声で。

「失礼、します」

 部屋の中は、外からの光が差しているだけで薄暗かった。
その僅かな光の中に佇む男が、ロイドを見る。
忘れたことなど一度も無かった、眼鏡の奥で微笑む切れ長の瞳。
端正な顔立ちが、あの日と変わらずにそこにあった。

「お待ちしていました。久しぶりですね、ロイドさん」
「――俺は今日から、正式にあなたの部下になるんです。そんな呼び方はやめてください」
「そういう訳にもいきませんよ。『特務支援課』でしたっけ、貴方が所属するのは」

 何故知っているのかなんていうのはとんだ愚問に違いない。この男は――ツァオ・リーはそういう人間なのだから。

「立場上、顔を合わせる機会が無いとも言い切れないでしょう? 万が一にも間違えては困りますからね」

 どちらが、とは言わなかったが、ツァオがそんなボロを出すとも思えず、明らかに嫌味とわかるそれに、遠慮もせずにロイドは顔を顰める。

「……わかりました。今日は、ここに来たことを報告に来ただけですので、これで失礼します」
「フフ、待ってください。そんなに機嫌を悪くしないで下さいよ。ロイドさん、あなたにプレゼントがあるんです」

 機嫌の良さそうな声に、ぞわりと背筋を這い上がってきたのは悪寒だ。
できることなら今すぐここから飛び出してしまいたかったが、そんなことはできるはずもなく、ツァオに向き直る。

「今日から貴方は正式に我々黒月の一員です。その証と言ってはなんですが、制服を用意したんですよ。受け取ってください」
「ありがとう、ございます」

 受け取ったものは間違いなく黒月の制服で、東方風のそれは嫌にしっくりと肌に馴染む気がした。

「ああそうだ、もし服が合わないとなっては大変ですからね。一度着てみてください」
「……は」

 気の抜けたような声しか出せずに、しばらく考えてからようやくその意味を理解する。
慌てて「外で着替えてきます」と飛び出そうとすれば、「ここで構いませんよ」という声と共に、腕が捕まれてぐっと引き寄せられた。

「私のことは、気にしなくて結構ですから」
 耳の奥へと吹き込むようにされて、いつの間にか距離が詰められていることに気づいた。
抜け出したい、突き飛ばして距離を取りたい。けれどそれ以上に、体がひどくこわばってしまってうまく動くことができずにいた。
何かの、花の香りがする。あの時と同じだった。初めて出会った、あの時と。
ロイドが動けないのをいいことに、ツァオの手がベルトを簡単に外してしまった。ごとんと鈍い音を立てて床へ落ちる。
素早くもう片方の手がジッパーを下ろす。寛げられたジャケットの間から、黄色いタートルネックの下まで滑り込もうとしていた手を、必死の思いで制した。

「じ、自分で出来ますから……!」
「おや、そうですか? それは残念です」

 あっさりと手が離されて、力が抜けた体は支えを失い膝をついてしまった。

「これは失礼。大丈夫ですか、ロイドさん」
「……大丈夫です」

 差し出された手は取らず、距離をとって立ち上がる。
こうまじまじと見つめられては、いくら同性といえども居心地が悪い。
悪趣味。その一言を喉の奥の押し込んで、脱がせかけられていた上着に手を掛けた。





「よくお似合いですよ」
「それはどうも。――それで、いつまでこの状態が続くんですか、ツァオ様」

 うんざりしながら言っても、帰ってくるのは微笑みばかりだ。
この状態、というのは、椅子に座ったツァオの足の間に、ロイドが座らせられていることだ。
体格差がかなりあるという訳でもないために、窮屈で仕方が無い。その上、ツァオの手は「服にどこかおかしなところはないか」などという妙な理由であちこちを撫で回している。

「私の気が済むまで、でしょうね」
「それって、いつまで……ッ」

 ひやりとした指先が肌を直に滑って息を詰めた。
先ほどのように制止することもできず、脇腹を撫で上げられて鳥肌が立つ。

「さあ。いつまでだと思いますか?」
「ッ、明日の仕事に支障が出ますから……ふ、ぁ、もう、やめて下さ、んんっ」
「――それは困りますね。貴方の働きには、期待しているんですよ」

 する、と温度が馴染み始めた手が離れていく。ほっと息を吐けば、やんわり背を押されて立ち上がった。
一度きつく睨みつけてから、「失礼します!」と投げつけるように言って、自分の服を抱えて部屋を飛び出す。
また、「待っていますよ」という言葉がかけられたのを、不幸なことにしっかりとロイドの耳は拾ってしまった。
嫌悪感と焦燥感が胸を突き上げる。

 ――気持ち悪い。


そのままの勢いで支部内からも飛び出してしまいたかったが、さすがに黒月の制服のまま町へ出るという愚は犯さなかった。



ため息の底で転がる雪玉
(溶けて歪んで 崩れ落ちて)


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