そんな日もある 2
※主人公名は 晦 一輝(つごもり かずき)です
人もまばらなジプス局内から出ると、太陽の光が淡く街を照らし出していた。
もうじき秋も過ぎて、冬が来るのだろうか。まだ朝方だということも手伝ってか、風が冷たく肌を撫でていった。
散らばる小さな瓦礫を踏み越え、地面に空いた穴を飛び越えて、静かな街を歩く。
あまり爽やかとは言いがたい空気を肺いっぱいに吸い込んで、吐き出して、前を向いた。
昨日よりも、街はだいぶ傷ついているように見える。
大きな焦げ痕が奇妙な模様をコンクリートに描いているその向こうには、ひんやりとした水溜りが溶けきらない氷を中心としてじわじわとその大きさを拡げていっている。
街路樹は伸ばしている枝を半分ほど折られていて、つい数日前までは枯葉をほんの少し風に揺らされていた木は葉を全て吹き飛ばされているばかりか、その幹には巨大な爪痕が刻まれていた。
コンクリートは夜が明けるたびに抉られて、茶色い土をばらまき、ざりと靴の底が嫌な音をさせる。
その上に横たわるへし折られた木を跨いで、窓ガラスの割れたビルを見やった。昨日はまだ綺麗だったはずのガラスで出来た自動ドアは、人ひとり分くらいの大きさの穴が出来ている。
それらは全て、昨日から比べれば些細な変化にすぎない。
けれど、その変化を些細なものだと思ってしまう心境の変化はきっと些細なことではないのだ。
そう、自分の頭に兎の耳が生えてしまったという異常事態すら、どこか「その程度大丈夫だ」と思う気持ちがあるのはおかしなことなのだろう。多分。
自分に言い聞かせながら、崩れていく大阪を歩く。フードから伸びる兎の耳のような飾りはひらりと風に揺れた。
しばらく歩いていると、見慣れた薄茶色の猫が小さく鳴いているのを視界にとらえた。
こちらをじっと見つめるとくるりとしっぽを揺らして駆けて行く。もう怪我はほとんど治ったらしい、軽い足取りの猫――じゅんごを一輝は追いかけた。
まだ悪魔だって居る。着実に悪魔と悪魔使いは数を増していっているのだ。その争いに巻き込まれないとも限らない。
…が、そんな考えは、じゅんごがすりよった人物を見て消えた。
紺色の帽子を目深に被った青年は一輝に気がつくと、じゅんごと一緒に走り寄って来た。
「一輝」
「や、純吾。元気してる?」
「うん、純吾元気。一輝は?」
「元気元気。けどちょっと、困ったことになっちゃってさ、聞いてくれるか」
うん、と答えてくれた純吾の手を引いて、適当な瓦礫に腰掛けた。
隣を叩いて座るように促せば、失礼します、と律儀に言って純吾が腰を下ろす。
そっと促すように首を傾げて言葉を待ってくれている。
「どこから話すべきか…とりあえずこれ、見て」
説明するよりかは見せる方が速いと踏んで、深く被っていたフードをぐいと後ろへ押しやった。
眼前に晒された白い兎の耳に、純吾はきょとんと目を瞬かせる。
「…兎の耳?」
「そう、朝起きたら突然ね。 もしかしたら、誰か分かる人が居るかもしれないし。あと、真琴を探してるんだ、純吾知らない?」
「んー…ごめん、純吾見てない」
「じゃーこのあたりには来てないよなぁ…」
二人してうんうんと考えていると、視界の端に銀髪が映ったので、一輝もそちらに目線を向けた。
純吾も一輝にならって視線を向ける。 ぱっと表情を綻ばせた純吾とは反対に、相手は苦虫を噛み潰したような表情を顔いっぱいに広げた。
この場から去ろうとするのかと思ったが、予想に反してその相手、啓太はずかずかと一輝たちの方へ近づいてきた。
いつも以上に鋭い目つきでじろりと一瞥された。最近は妙に威圧的な年下ばかり出会っているような気がする。
でも、初対面に比べてたいぶ丸くなったよなぁなんて考えていると、まだ睨みながら啓太がもっともな疑問をぶつけてくる。
「…何をけったいなモンぶらさげとんのや、晦」
思い切り眉間に皺を寄せている啓太をよそに、一輝はじゅんごの背を撫でた。
そんなの俺だって知りたい。もう半ばヤケになりつつ、不思議そうに見上げてくるじゅんごに問いかける。
「えー、けったいじゃないよ、似合ってるよってじゅんごも言ってるよ。 なーじゅんご?」
「なぁーう」
「ん、純吾もそう思う」
隣に座る純吾がこくりと頷く。
あからさまに深くなる啓太の眉間の皺からそっと目線を外して、一輝は純吾を見上げた。
目が合うと、純吾はもう一度「似合ってる」と言って表情をやわらげた。一輝のものより大きな手が、あちこちに跳ねる黒髪をそっと撫でる。
「うさぎの耳、かわいい」
「そうか、俺としてはもっとこう、かわいい子につけてもらった方がいいと思ったんだけど…純吾に言われるとホントに似合ってる気がしてきた、ありがと純吾」
「どういたしまして」
「付き合ってられんわ…」
苛立ちを通り越して呆れすら感じられる声色で呟く啓太が踵を返した。
「あ、ちょっとまって啓太」
「なんや、下らんことやったらしばくぞ」
「それはご勘弁願いたいから単刀直入に聞くけど、真琴見なかった?」
「いいや、見とらん。お前のそのふざけた格好に関係あるんか」
「あると言えばある。ただこうなった原因じゃないぞ? 啓太も何か知らない?」
「知らんな。そんなんあの変テコに聞けばええ話やろ」
「へんてこ?」
「…あのチャイナ服来た奴や」
チャイナ服、と言われて思い出すのは1人。
確かに彼女なら何か思い当たる節があるかもしれないが、得られる情報よりもリスクは高いように感じてしまう。
「史か…ああ、うん。とりあえず当たってみるよ、二人ともありがとう。おかげで次の方針が決まったよ」
冷たい石からゆっくり腰を上げる。ふん、とだけ返事をしてくる啓太も大概素直じゃないと結論づけた。
「よし! それじゃ二人とも、もし真琴を見つけたら連絡ちょーだいな」
「アホウ、何で俺が…!」
「ん、わかった」
「おー、ありがとう純吾、啓太」
「おい、俺は何も言うてないぞ」
「ほらそこは、ノリで。頼んだぞ!」
「…チッ、単なるついでや」
対照的な二人の反応でも、なんだかんだで似ているところのある二人に、一輝は思わず笑ってしまった。
陽だまりの種
(芽吹く日に)
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