Comfort


 ゆったりと白いコンフォートチェアーに体を預けて、ワジは微笑んでいる。
座ってみるかい、と促されて、ただそれだけなのに嫌な予感がぞわりと背筋を駆け、ロイドは一歩後ずさりそうになった。

「……いいのか?」
「ああ。ほら、おいでよ」

 そう言ってもワジはどく素振りも見せず、まるでそこに座れと言わんばかりに自分のひざの上を叩く。
ロイドの困惑を感じ取ったのか、来ないの、と不思議そうに返されて、ロイドはさらに困ることになった。

「ワジ、変なことを聞いてもいいか」
「なにかな、ロイド」
「……お前が座れって言ってるのは、どこだ」

 ロイドの問いに、ワジはぱちりと目を一度だけ瞬かせた。
形のいい唇の間からくすりと笑いが零れる。

「君にしては鈍いなあ、僕の膝の上においでって言ってるのに」
「は、はぁあっ!?」

 嫌な予感は見事的中していたらしく、素っ頓狂な悲鳴を上げて反射的に後ずさった。正確には、後ずさろうとした。
ロイドがそうするよりも速く立ち上がったワジが、ロイドの腕を捕らえて自分の方へと引っ張ったために、距離をあけるどころか逆に接近することになってしまった。
腕をひいたままワジはもう一度チェアーに座る。ロイドはバランスを崩してて引かれるまま前のめりに倒れこみそうになったが、肘掛に手をつくことでそれを逃れた。

 しかし別の問題が発生してしまった。
 目の前にはワジの顔。中性的な美しく整った顔がすぐそこにあった。肌のきめ細やかさが触れずとも分かるほどの近さで視線がかちあう。すると金色の双眸がすうっと細められて笑みを形作った。
 掴まれた腕のせいで身を引くこともできず、まるで何かに絡め取られてしまったかのように動けない。目をそらすこともできないまま、ロイドはワジと見つめあう。

「逃げないんだ」
「誰かさんが離してくれないからな」

 心外だよ、と笑うその吐息が、ロイドの頬をくすぐる。

「やだなあ、君が本気で抵抗すれば振りほどけるじゃないか」

 そっともう片方のワジの手がロイドの後頭部に添えられる。鼻先が、それこそ唇同士が触れそうなほどに距離は近い――

「……っ!」
「あはは、真っ赤。何か想像しちゃった?」

 するりと髪を撫でて、手は下りてくる。耳をくすぐり、頬に華奢な指先がそっと触れた。さらに下へ、今度は顎の先を指がとらえる。
さらにに羞恥が膨れあがって、鼓動が速くなるのを嫌でも感じ取ってしまった。心臓の音がうるさい。うまく思考がまとまらず、ロイドはぎゅっと固く目を瞑った。

 ――こつん。

 額に何かが触れる。恐る恐るロイドがまぶたを押し上げると、先ほどよりもワジとの距離は縮まっていた。
触れているのは、ワジの額だ。

「そんなに怖がらなくたって、予告もしないで取って喰ったりはしないよ」

 と、いう言葉と共に、ワジの気配が遠ざかり、腕も離された。姿勢を正そうとしても、ふらふらと足元がおぼつかず、床にへたり込むはめになったが。


「な、なっ……」
「ああ、なんでこんなことをしたのかって? 君の反応が面白いから……かな?」

 すらりとした足を組みなおしながら、首をかしげるワジに、ロイドは何も言うことができない。
そんなロイドの反応楽しむように見つめたまま、ワジはさっと立ち上がってロイドに手を差し伸べる。

「そろそろ休憩時間は終わりとしようか、リーダー?」
「えっ……! そ、そういえばそうだった、早く行こう!」

 ワジの手が、思ったよりも強い力でロイドを引き上げて立ち上がらせる。

「やっぱり警戒心薄いんじゃない、ロイド?」
「お、おいワジ……!?」

 立ち上がらせた勢いはそのままに、ロイドは思い切り引き寄せられてワジの腕の中に飛び込むはめになる。

「また機会があったら座ってみなよ、あの椅子。ただし――こんなことされてもまた1人でのこのこ来ちゃうような羊さんは、わるーい狼に食べられちゃうだろうけどさ」

 耳元にワジの声が囁きを落とす。くすぐったさに体がびくりと反応したのに気をよくしたのか、頬にワジの唇がそっと押し当てられる。
ちいさなリップノイズを残して離れると、「先に行ってるよ」と何事もなかったように軽くウィンクをしながら、ワジは部屋を降りていった。

 椅子に座るどころか、しばらくこの部屋には来れそうにもない。そんなことをロイドが考えるのに、それほど時間はかからなかった。




快適に過ごすための三カ条、その一
(その二と三はまだ秘密)


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