視界イコール


かちん、と金属同士が軽くぶつかる音で、ロイドは浅い眠りから意識を引き上げられた。
まだ薄暗い灰色の空が、カーテンの隙間から覗いていた。

ふとそこで気づく。すぐ背後に感じていた体温がなくなっていたことに。
独特の倦怠感を伴った鈍痛に抵抗しながら、ゆっくりと寝返りをうった。

探し人はすぐに見つかった。こちらに背を向けて、ベッドの淵に腰掛けていた。
ふう、と小さく息を吐いた。
ため息かと思ったが、ロイドの鼻先をかすめた香りが、それを違うものだと気づかせる。

――ため息じゃない、これは…煙草、か。


紫煙をくゆらせ、どこか物憂いげに吸っては吐き出す。
それ以上でもそれ以下でもなく、ただ繰り返すばかりだ。

その表情は、背を向けられているために見えない。
赤い髪の流れにそって、視線を背へと滑らす。
たくさんの古い傷跡。その上に、ひっかき傷のようなものが真新しくつけられている。
というか、あれは自分がつけたものだった。
先ほどまでの行為を思い出して、かぁっと頬が熱くなる。
ああ、なんでこんな時に思い出すんだよ…!
いたたまれなくなって、ごそりと動く。「…ロイド?」
体がぎくと強張った。そっと毛布から顔を出して、ランディを窺った。

「悪い、起こしたか」
「…いや、なんか目が覚めちゃっただけだよ」

今、何時だ?
そう聞けば、すっと小さな置時計が目の前に差し出された。
針が差すのは午前5時ごろ。やがて日も昇ってくる頃合だ。
ゆっくり体を起こす。痛みはあるが、もう動けないほどではない。
ベッドの上から、その端へ。
ランディの隣に腰掛ける形へ落ち着いた。

さらりと、赤い髪へと指を絡める。
指と指の間を滑る髪の感触は心地いいものだった。
こんなふうに意識してこういうことをしたことは無かった。ランディは普段から髪を束ねている。解く時は、風呂に入る時や眠る時、そして――先ほどまでしていたようなコトに及ぶ時、くらいだ。
だからこそ、今は無性にこうしたかった。

「どうした、じゃれるんなら髪だけじゃなく、俺本人にも――」
「嫌だ。今のランディ煙草くさいし」
「っげほ、おま、なんつー言い方」

ランディが盛大にむせた。
ロイドは特別煙草のにおいが嫌いなわけでも、好きなわけでもない。
ただ、そのにおいに包まれ、紫煙で曇る視界の先にいたランディがひどく遠くに感じられて、それが嫌でたまらなかった。

抱きしめられた時にする香水の香り、唇を重ねるとかすかにする酒の香り、肌を重ねれば感じずにはいられない、ランディのにおいが、すべてかき消されたようで、それがとても嫌だった。
その「嫌」がどういう形で自分に芽生え、そしてどれほどの深さで根付いているのかも、ロイドにはよくわかっていた。

「つれねえな、そんな不機嫌なツラしちまって」
「そうでもないよ。ちょっと妬いただけだからさ」

嫉妬。そう呼ぶにふさわしい感情。
けれどそれが独りよがりでわがままなものでないとランディが教えてくれた時から、不思議とそれを感じること自体は嫌ではなかった。
無論、感じる原因や過程に対しては、「嫌」だと思うけれど。


「…へ?」ランディが目を瞬かせ、間の抜けた声を出した。
ぽかんとしたままの顔へ、自分の顔を近づける。

「それにさ…、キス、するときに苦いんじゃないのか」

唇が触れそうな距離で囁く。
これがロイドの精一杯だったが、効果はあったらしい。
ランディの瞳が、はっきりとロイドを見据えた。

「さあ、どうだろうな…試してみてもいいんだぜ?」

意地悪な笑みを唇でつくって見せたランディよりも先に、ロイドは距離を作った。
ランディはベッドサイドテーブルの上に置かれた、少し古い小さな灰皿へ煙草を押し付ける。それをそのまま手放した。

「じゃあ俺、もう部屋に戻るよ。 今日の朝ごはん、俺が当番だしさ」
「もう少しいいんじゃねえの? というかさっきのは無いだろ、さっきのは」
「言ったろ、今のランディは煙草くさいからやだって」

立ち上がって、ランディへ向き直る。
いつもとは違う見下ろすかたちで目が合って、どきりと心臓が跳ねた。

思い切って、今度こそ自分から唇を重ねる。
やはり苦い煙草の味がした。

「…ほら、やっぱり苦い」
不満の滲んだ声が思ったよりも大きく声帯を震わせて、ロイド自身もランディも驚いた。
それを振り切るように、さっと部屋を飛び出す。
やや扉を乱暴に閉めてしまったが、気にしないことにした。

煙草のにおいがついたこの服は、早く洗ってしまおう。
このもやりとした、紫煙のような気持ちも、流してしまえるように。



空から落ちて地に染み、また昇るまで
(そして私が終わる時には)


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