雪の帳
「…雪が降ってる」
ロイドは窓辺に佇んで、雪の降りしきる外を眺める。
窓から見えるクロスベルの景色はとても綺麗だった。
だが部屋にいるのは自分ひとりきりで、暖房も効いてあたたかい室内も、どこか落ち着かない。
そっと耳を澄ましてみても、雪は雨のようにざあざあという音はしなくてとても静かだ。
時計の秒針が刻む音だけがやけに大きく響いく。
兄は今頃、この寒空の下を、仕事で走り回っているのだろうか。それとも――
「今、全力疾走でここに向かってたりして」
自分でも気づかぬうちに口走っていた言葉に、はっとして部屋を見回した。もちろん誰もいない。
「…そんな訳、ないよな」
誰にも聞かれていないはずなのに妙に気恥ずかしくなって窓辺から離れたそのとき、ドアがノックされた。
やたらと強い調子でドアを叩かれたので、一体何事かと思って慌てて鍵を外すと、視界がに真っ赤な服でいっぱいになる。
見上げると、赤い服に赤い帽子、顔に白いひげをたっぷりたくわえているおじいさんが立っていた。
唖然としているロイドを気にした様子なく、むしろ楽しそうにおじいさんは言った。
「メリークリスマス!」
その一言で、その声で、ロイドは混乱や驚きを振り払った。
「…何、やってんだよ兄貴…」
ためいきをついて、じろりと睨みつけても、サンタクロースの格好をした兄はなりきっているようで、ふぉふぉふぉ、と老人のような笑い方をした。
ぴたりとその笑いをやめたかと思うと、帽子とつけひげを取っていく。
そこには、いつもの兄の笑顔があった。
「どうしたロイド、そんな顔して。兄ちゃんがいないのが寂しかったか?」
「…ち、がうに決まってるだろバカ兄貴。どっかのバカ兄貴が仕事ほっぽって帰ってきてないか心配だっただけだよ」
いつもなら冷静に返せる兄のからかい(少なくともロイドはそう感じている)も、今回ばかりは図星だったために、うまく言葉を返せなかった。
証拠に兄はにやにやと笑って、頭をわしわしと撫でてくる。
それをされるのは今までに一度や二度では無い。もう慣れたもので、ロイドはお決まりの言葉を口にしようとした。もうあの頃みたいにガキじゃないんだからやめてくれよ、と。
けれど、その手がとても冷えていることに気がついて、言えなかった。
兄の肩や髪についた雪が、部屋の温度で雫に変わってぽたりと床へ落ちる。
撫でる手から逃れ、あわててタオルを引っ張り出してくると、兄の頭めがけて投げつけた。
タオルは顔に直撃する前に手で受け止められてしまった。ロイドの行動などお見通しなのかもしれない。
だからロイドが素直だとは言えない行動に出ても笑って、「ありがとうな、ロイド」なんて言葉が出てくるのだ。
それなら、今日くらいは素直になればいい。
ふとそんな考えがよぎった。
甘えれば、困らせてしまうから。
だから、今年は一緒にクリスマスを過ごせないかもしれない、としきりに謝る兄に大丈夫だと告げた。
むしろ今まで無理をしてでも一緒に居てくれた兄には感謝してもしきれないくらいだ。
――せめて、今日くらいは。
「…嘘だよ」
ぼそりと零れた声は、思ったよりも小さかった。
兄はどうした?と少し屈んで目線を合わせてくる。
「嘘だよ、その…寂しかったよ…兄貴がいなくて」
じわじわと顔に熱が集まってくる。それでもここで喋るのをやめると、二度とこの先を告げる機会を失ってしまうような気がして、ロイドはさらに続ける。
「だから、こうして帰ってきてくれて嬉しい。………ありがとう、兄貴」
最後はほとんど蚊の鳴くような声だったが、なんとか言い切ることができた。
どうして今まで、こんな簡単なことができなかったのか不思議に感じる。
「あ、で、でも仕事場の人に迷惑かけちゃ駄目だから、…っ!?」
途端に視界が真っ暗になる。
兄が自分を抱きしめたのだ、と気づいた時には、頭上から嬉しそうに弾んだ声が降ってくる。
「そうかそうか、そんなに嬉しいか! がんばって仕事終わらせてきた甲斐があったな!」
「…あ、にきっ…苦しいって…!」
「お、悪い」
兄はロイドを抱きしめた腕を緩めたが、離す気配はない。
「いつまでそうやってるんだよ…そろそろ離せよ馬鹿兄貴」
「まだ駄目だ。…久しぶりにかわいい弟が甘えてくれたんだ、もう少しだけ、な?」
あんな気持ちを吐露した後だ。恥ずかしいし照れくさい。
けれども、「いいだろ?」と優しい笑顔で言う兄の腕を振り払うなんて、ロイドにはとてもできない。
「…兄貴」
「何だ、ロイド」
「…メリークリスマス」
そう言うと、ロイドを抱きしめる腕の力が少し強まる。
メリークリスマス、と返す兄の声に嬉しくなって、ロイドは兄を抱きしめ返した。
雪は降り積もる
(それを踏みしめる時まで)
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