月影になく
「リヒターさん…」
エミルは無意識に、その人の名前を呟いた。
彼には、リヒターが「敵」である事があまり理解できなかった。
もちろん、マルタを狙って、殺そうとしたことは許せなかった。
でも、はじめてエミルに「勇気」をくれた人は、不器用ながらも、やさしい人だったからだ。
考えれば考えるほど、頭の中はこんがらがっていく。
「リヒター、さん。」
まるで、救いを求めるかのように、彼の名前を呟いているということは、エミルは自覚していなかった。
宿のベッドに腰かけ、窓の外へふと目を向けた。
するとそこには、見慣れた紅。
「リヒターさんだ…!」
気がついたときには、もうエミルは走り出していた。
「リヒターさん!」
「…エミル?」
リヒターは冷たく視線を向けながらも、なぜかエミルを案じているような口調で話しかける。
「エミル。何故、俺のところに来た?…言ったはずだ。お前と俺は敵だ、と」
リヒターの言葉に、エミルは心にかかる重力が、さらに重くなっていくのを感じる・
「(何、なんだろう。この気持ち)」
「…おい?」
黙ったままのエミルに、怪訝そうに(実際には少し心配してはいるが、エミルは気づかない)声をかけるリヒターだが、肩に手をかける寸前でその手は止まり、戻される。
「エミル」
「は、はい…」
かけられた言葉にエミルは視線を地面からリヒターへ戻す。
「お前はラタトスクの騎士として、マルタを守ると言ったな。」
「…はい」
「俺は、できるならお前を巻き込みたくなかった。
だが…お前がマルタを…ラタトスク・コアを守るというのなら、お前も俺の…敵だ。」
敵。テネブラエにもさんざん言われた言葉が、突き刺さる。
「でも、僕は…」
ただ、うつむくしかできない。
何故か、目を見るのが怖かった。
拒絶されるのが、怖かった。
「そろそろ自分の部屋に戻って寝ろ。…今日は見逃してやる」
そう言って去ってしまうリヒターの背を、エミルは見送ることしかできなかった・
凍てつくような、
(あたたかい光など存在するはずもないのに)
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