恋の流れ弾
「むー……」
「……」
「うーん……」
「えっと、天馬くん?」
「うん?」
「そんなに見られると着替えづらいんだけど」
「あっ、ご、ごめん」
はっとして目を逸らした天馬は、今度は自分の体のあちこちとにらめっこし始める。
疑問に思いつつも、腕を通したままだったシャツをすべて脱いでしまって、ユニフォームに頭をくぐらせた。
ばちり。もう一度、天馬と目が合った。
「……俺、もっと鍛えたほうがいいのかな」
珍しく思いつめた様子で何を言うかと思えば、ずいぶんと普通の、ごくありふれた男子中学生らしいもので、狩屋は拍子抜けしてしまった。
「今だって、十分なくらいの練習メニューだと思うけど?」
「そうなんだよな。なのにあんまり、筋肉とかがついたーって感じがしないんだよ」
「ふうん」
ここで、「無理してつけることないよ」とでも言えば良かったのかもしれないが、それより早く悪戯心がむくりと頭をもたげた。
優しげな笑みを貼り付けて、さもいいことが思い浮かんだとでも言うように「ああ、そうだ」と呟いてみる。
すると、案の定「何かあるの!?」と瞳を輝かせて、ずいと顔を近づけて食いついてきた。
「うん。いつもと違う風に筋肉を使ってみたらいいんじゃないかな。例えば――腹筋とかさ」
「いつもと違う?」
「そうだなぁ……天馬くん両手あげて、はいバンザイ」
きょとんと不思議そうにする天馬は、それでも素直に両腕をまっすぐ上に上げる。
にぃ、と狩屋は口角が上がるのを押さえられなかった。それこそ貼り付けた笑みよりずっと良い笑顔になったかもしれない。
「うんうん。そのままでいてくれよ」
「えーっと狩屋? 一体何を――うひゃぁっ」
無防備を体現したような格好の天馬に向かって素早く手を伸ばすと、脇の下から脇腹のあたりを指先でこしょこしょとくすぐってやる。
上着を脱いだだけの中途半端な格好のせいで、シャツ越しの感覚が余計にこそばゆいのか、天馬は膝から崩れるようにして座り込む。
すかさず自分もしゃがむと、逃げを打つ体に追い討ちをかけるべく体のラインを指でばらばらになぞっていく。なるほど確かに本人が気にするだけあって、中学生男子にしては華奢な方なのかもしれない。
「ほーら天馬くん、こうやって笑ったら腹筋も鍛えられていいだろー?」
「あはっ、ははははは! わかっ、わかったから、狩屋もうやめっ、あははははっ!」
半ば涙目になりながらひいひい笑い転げる天馬を見ながら、ぼんやりと「コイツ色気ねえなぁ」なんて考えが頭をよぎった。
――いやいやおかしいだろ、あっても困るだろ。
否定しつつも少なからず残念な気持ちもあって、それにわずかな苛立ちを覚える。
それをはらすため、もうちょっとくすぐってやろうとした時、「そのへんにしておけよ」とたしなめる声が、部室の扉が開く音といっしょに聞こえてきた。
「うげっ」
「き、きりのせんぱい……」
思わず飛び出した声のあとに、息も絶え絶えといった様子の天馬がやや舌ったらずに現れた人物の名前を呼んだ。
嫌々振り返れば、自分の苦手とする先輩が立っていた。その後から遅れて剣城がむっつり黙ったまま入って来る。
「ちぇっ、もうちょっと楽しめそうだったのに」
「ひ、ひどいよ狩屋! くすぐるなら最初からそう言ってくれれば……!」
「言わなかった方が、驚きもあるし緊張もせずに笑えるだろうと思ったんだよ、ごめんね?」
「ううー……」
へたり込んだままうなる天馬に、つかつかと狩屋や霧野に目もくれず足早に剣城が足早に歩み寄る。
「おい、そんな所に座り込むな」
「あ、ごめん。今退くよ」
剣城のロッカーは天馬のものより奥にある。通れないからどけと言うのならわかるが、部室内は広い。わざわざ退かせなくても迂回すればいいはずだった。
慌てて立ち上がろうとした天馬が「うわぁっ」と小さく悲鳴をあげる。へにゃりと眉を八の字にさせ、「笑いすぎて腰抜けた……」と涙声で剣城に告げた。
小さく舌打ちした剣城は何を思ったか、屈んで天馬の腕を掴み、その腕を自分の肩へと回させる。そして勢い良く引っ張りあげるようにして立たせると、「もう立てるだろ」とだけ言って自分のロッカーのドアに手をかけた。
「わ、本当だ。ありがとう、剣城!」
「……通行の邪魔だっただけだ」
視線一つ天馬に向けることなく冷たく剣城は言う。
けれど天馬はにこにこしながら、「剣城って力持ちなんだ」とそんな剣城の言い方を気にした様子もない。
「……面白くねえな」
「その意見と、さっきの『色気がない』っていうのには同意するけど、お前もほどほどにな」
「――は?」
単なる独り言に返事が来たことに驚いて振り向く。そこには表情も変えずに自分の脱ぎ終えた制服をしまっている霧野が居るだけだ。
「思いっきり声に出してたぞ」
「同意見って、何だよ」
「そのままの意味だ。まあ、どうやって無い色気ってやつを出させるのかが腕の見せ所なんじゃないのか?」
「……アンタ、見た目のわりに男らしいこと言うな」
「お前は一言余計だ狩屋。――おい! 早く着替えてお前らも練習に来いよ、天馬、剣城!」
「は、はいっ!」
慌てた返事をした天馬に満足した表情を見せて、霧野は軽やかな足取りで部室を出て行った。
「――何なんだよ、訳わかんねえ」
言って、自分の胸の奥がかすかに熱くなっていることに気がついた。
それは闘争心に火がついたのだと狩屋が理解するのは、もう少し後の話。
巡る導火線
(火種が落ちるのはいつか)
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