遠くからでいい
あの日から数日が経って、また周りが静かになった。 いや、実際は急に教室に訪れることのなくなった及川先輩のことをクラスメイトが噂をしているのは分かっているけど、そんな噂くらいはすぐになくなるだろう。
(これでよかったんだ)
歯がゆい気持ちがないわけじゃない。
正直、彼に惹かれた。「なまえちゃん」と笑顔で呼ばれるのが心地よかった。体調を心配してくれたり、甘やかされるのも嬉しかった。
なにより、似てると思った。
(かわいいからって調子乗ってる) (目立ちたがり屋だよね) (ちょっと才能あるからって人を見下して)
昔言われた言葉が脳内に響く。最近は思い出してなかったのに、どうしてだろう。多分、あのせいだ。及川先輩に別れを告げたあの日、呼び出された校舎裏。
(あんた、及川くんの何なの) (病弱なふりして気を引くとか卑怯じゃない?) (及川くんは誰にでも優しいんだよ)
昔も今も、なにもしてない。そんなこと思ってない。けれど、少しでも“普通”より目立つと傷つく、傷つけられる。そんなことを学んだ私は、できるだけ目立たないように、本音を表に出さないように生きようと決めていたのに、最近緩んでしまっていたから。だから及川先輩から離れると決めた。
及川先輩はきっと、私以上に色々と言われてきたんだろう。だから自分を隠すことも、人の本心を覗くことも上手なんだなと思う。それでも、彼は私みたいに人と関わることをやめずにあんなに輝いている。
惹かれないわけが、ない。
「でも私は、あんな風になれない」
小さく呟きながら、窓からグラウンドを見下ろす。授業はちょうど自習。
「あ、及川先輩いるね」
体育の授業中の彼を見つけるのと同時に、後ろの席から声をかけられる。
「え」 「あ、急にごめんね。及川先輩といえばみょうじさんだなとか思っちゃって」 「…そんなこと、ないよ」
今までほとんど話したことのないクラスメイトの発言に驚きつつも、視線は彼から外せない。
「及川先輩、最近来ないね」 「…そうだね」 「喧嘩とかしたの?」 「別に」
結局皆が気になるのは及川先輩のことなんだろう。知らず言葉が刺々しくなってしまうのを自覚はしつつも止められない。
「なにこいつって思ってるでしょ」 「…え?そこまでは思ってないけど」 「ふふ、やっぱり正直者だねえ」
面白そうに笑う彼女に、思わず振り向く。
「前はね、みょうじさんって話しかけづらいなと思ってたの。怖いとかじゃなくて、近寄ってほしくないのかなみたいな」 「…うん」 「でも及川先輩が来るようになって、作り笑顔じゃなく笑ってるの見て、あーなんだ普通の子じゃんって思って」 「そう、かな」 「うん。話してみたいなと思ったの」
ストレートな言葉を発する彼女に、言葉を返せなくなる。正直嬉しいと思ってしまった。
「あ、私は岩泉先輩派だから安心して」 「…別に聞いてないけど」
ころころと笑いながら言われて、思わず笑ってしまう。
「で、及川先輩はどうしちゃったの?」
おそらく、私と及川先輩が喧嘩でもしたと思われてるんだろう。
「…いいの」 「え?」 「遠くからで、いいの」
久しぶりに素直な気持ちにさせてくれた彼女に、思わず自分の本音も零れた。
あの人の近くにいると、眩しすぎる。眩しすぎて、自分が惨めになるから。
「ほんとにいいの?及川先輩といるみょうじさん、楽しそうだったのに」 「うん。ここから見てるだけで、いい」
そう言って、またグラウンドへと目線を戻した私に、「そっか」とだけ返した彼女。
サッカーも上手なんだな、かっこいい。なんて想うことはやめられないけれど、この距離からならいいよね、と自分に言い聞かせた。
想うだけ、だから
(恋する乙女だね) (…誰にも言わないで) (言わないよ。でも応援はしてる) (…)
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