距離が近づく満員電車




誰だって、満員電車は憂鬱だ。


普段帰宅部の私は、そんなに満員電車に乗る機会はない。せいぜい学生で少し混み合うくらいの時間で帰宅するからだ。


「はあ…こんなに人が並んでるなんて」


今日はたまたま委員会で遅くなり、こんな時間になってしまった。
いつもと数時間違うだけで、駅のホームの様子がこんなに変わるなんてひどいものだ。


「一本見送っても一緒かな…」


改札口を見ると続々と入ってくる人の波。覚悟して来たのに乗ろう、とため息をつく。


「ため息つくと幸せ逃げるぞー」


世間で聞き飽きた台詞が、自分に吐かれたものだと気づくのは一瞬だった。

「黒尾」
「うっす。こんな時間にあうの珍しいじゃん」

ふと後ろを振り向くと、よく見知った顔。


「委員会でね。黒尾は部活?」
「そ。で、なんでため息ついてんの?」
「見りゃわかるでしょ、電車」
「ああ…俺慣れてっからどうも思わねえわ」


こっちの憂鬱もなんのその。笑いながら言われた台詞にそんなものか、と目線を前へ戻した。

部活もしてないし男友達が多い方ではないけど、なぜか三年間同じクラスで地元も近い黒尾とはよく話す方だ。それに、黒尾は知らないけれど私は彼に対して秘めた感情もある。


「虚弱な帰宅部にはきついんですよ」
「なまえ背ぇちっさいもんな」
「普通ですー。黒尾がでかいだけでしょ」
「あ、怒った?」


ごめんって、と笑いながら頭をぽん、なんてされたら、もう黒尾の顔を見れなくなる。こういうところが本当にずるい。


「お、電車来たぞ。乗ろうぜ」
「うん」


人の波に押されて、電車の中へ中へと押し込まれていく。流れに逆らえず、なすがまま。


(さすがにこれは…っ)


「…おい、大丈夫か?」
「うん…と言いたいところだけど、かかと浮いてる」


全く身動きができず、つま先だけでは思うように力も入らない。


ただそれより…近い。なにがって、黒尾が近い。

これだけの人混みでは距離をとることもできず、お互いの距離はゼロで。こんなに近づいたことなんてもちろんなくて、鼓動が早まる。


ふと黒尾を見上げると彼はいつも通り飄々とした表情に見えて、吊り輪より上にある棒を悠々と握っている。緊張しているのは私だけか。


扉が閉まります、と無機質なアナウンスのあと、電車が走り出す。その揺れと同時に人の波も都度動いて、その度に圧迫される体。

「きゃ…っ」
「っぶね…!」

ガタンと大きく車体が揺れると、咄嗟に黒尾の手が肩にのびて支えてくれる。


「あ、りがとう」
「ん」
「あの…離してくれていいよ?」


大きな波が収まったあとも肩に置かれたままの手に思わず声をかけると、


「…危ねぇから今だけな。殴んなよ」


黒尾の声が聞こえてなんのことだと思った次の瞬間、肩にあった手が腰に回り、ぎゅっと力を込められた。


「え、くろ、」
「このまま固定させてもらいます」
「う、え?!
「文句なら後で聞いてやるから」


抱きしめられるような体勢に思わず狼狽える。でもきっと、黒尾は優しいから。それだけだから。と必死に自分に言い聞かせた。


「…悪い、汗臭ぇかも」
「い、いや、全然」

むしろさりげない柔軟剤の匂い。あ、黒尾の匂いだ、なんて余計ドキドキしてしまう。


ほとんど無言な車内で私たちもそれ以上会話をできず、ただ到着駅のアナウンスを聞いた。





「…やっと着いた」


ほとんど降りる人がいない最寄り駅に付き、あまりの疲れにホームのベンチに腰を降ろす。
ガコンと横で音がしたと思ったら、目の前に差し出された缶コーヒー。


「ん。やるよ」
「え?!…ありがとう」


どこまでも優しい男だ、と隣に座った黒尾を見上げた。


「お前ってほんとちっちぇのなー」
「うるさいなー」
「いや、細っこいなとは思ってたけど触ったら余計に」
「…っ恥ずかしいこと言うな」


ほんの数分間の出来事でも、先程のことを思い出すと顔に熱が集まって目線を逸らす。


「なに?照れてんの?」
「…黒尾はいつも余裕だよね。自信家というか」
「いや、」


珍しく言葉を言い淀んだ黒尾を再び横目で見ると、ひそめられた眉。


「実は、俺もちょっと余裕ないのよ」
「え?」


言葉通りの、初めて見る余裕のなさそうな顔。


「自信なくて言えないこともあるんだよね」
「へえ…珍しい、ね」
「でもまあ、いつまでもこのままってのもあれだし」


自分に言い聞かせるように話す黒尾になんて返せばいいのかわからなくて、少し無言になる。



「なまえ、聞いて」


体の向きをこちらに少しずらして、真っすぐに見つめて来る黒尾。
誰もいないホームに真剣な視線。



まさか、まさか。


都合よく考えすぎだろうか。でも、今気づいてしまった。


…黒尾の最寄り駅、二駅先だ。



「うん。…私も黒尾に言いたいことがある」


勇気を出して私もそう告げた。
黒尾の話が何にしろ、今日は幸せすぎた。今日、伝えたい。


もうすぐ快速が通り抜けていくとアナウンスが聞こえ、けたたましいくらい踏切の音が鳴っている。

黒尾の言葉を早く、はやく、と願って待った。







「ずっと前から   」
(…聞こえなかった。もう一回)
(マジか)
(嘘。あのね、私も)



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