昼休み、10分間の通話。
これを長いと思うか、それとも短いと思うかは人それぞれだろう。私としては話している最中はとても長く感じ、しかし通話が終わりに近づくにつれてとても短く感じる。両刀だ。
まぁそれはともかく喧騒の中、今日も今日とて私は電話越しに聞こえる、水のように透き通った彼の声に聞き惚れるのだ。


この不思議な関係を作り出した切っ掛けは、私の転校。

私が中学二年生になると同時に父の転勤が決まり、本来ならばすぐさま私たち家族は転勤先の土地へ引っ越す必要があった。だがその年は修学旅行がある。よく私は外見や行動から誰とでも仲良くなれる積極的な女子、との印象を抱かれるがそれは誤解だ。確かに物怖じすることはないけれど、それは少なくとも一人の知り合いがいた場合のみで…とどのつまり、私はごく普通の人見知り女子なのだ。

人見知りな私が突然知らない土地にいって学校も代わった上、数ヵ月後に待っている修学旅行を新しいクラスメートと仲良く楽しく過ごせるだろうか?
…なんて、勿体振るまでもなく答えはノー。

幸いにも両親ともに私の意向を汲んでくれて、父だけが先に転勤先へ向かい、母と私は中学を卒業するまでこっちに残ることになった。
修学旅行にいくことが出来て、無事に卒業式を送ることも出来た。未練を残すような真似はしなくて済み、未練を残すつもりもなかった。

好きな人に、最後に気持ちを。


『もしもし?菅原だけど』


小学生から中学生になったばかりの私たち…特に男子は何時までも騒がしく、中学生だとは言えどもまだまだ子供っぽい。煩く喧しく、そしてウザイ。そんな中でいつも笑顔を備えた優しい彼、菅原孝支くんの存在はひどく特別に感じた。
何時、何故好きになったのか。何処に惹かれたのかも覚えていない。もしかしたら少女漫画に有りがちな出来事が彼との間に起こったのかもしれないし、ただ単にあの輝かしい笑顔を向けられただけかも知れない。太陽を追い掛け続ける向日葵のような、今となっては懐かしいあの笑顔が、私は大好きだったから。


卒業式のあの日、まだ桜は咲いていなかった。

「私、一年の時から菅原くんが……ずっと、好きでした」

私と菅原くんの関係は、中学三年生になって漸くクラスメートになれた。それまでは何だったのか、自分で言うのも悲しいが同じ学校の人、と何とも味気ないものだったろう。充分すぎる昇格だ。そんな私が彼の彼女になれるとか、実は彼も私が好きだったとか、大それた事は考えていなかった。
正直、私は振られる覚悟をしていた。否、振られることを確信していた。毎朝挨拶をするような仲でもない、挨拶が出来たらラッキー位の薄っぺらい仲なのだから。
分かりきっていた返事は「ごめん」まだ良かったのは続けて彼女がいる、好きな人がいる、等と彼が言わなかったことだろうか。仮にいたとしても菅原くんなら言わなそうだけど。
二人の周りを漂う妙な空気を一掃するため、私は聞かれてもいないのに何故告白しようと踏み切ったかを、引っ越しのことも含めてべらべら話した。

未練は完全に無くなっていた、この時までは。
しかし彼はこの話を聞くとわずかにその太い眉を寄せて信じられないことを言ったのだ。


「人見知りするのに、大丈夫か?」


おそらく親友でさえも知られていない私の性格を、彼はいとも簡単に、さも当然のように、前々から知っていたかのように…サラリと言ってのけた。
人間は好きな人のことは少しの体調不良も何でも分かるだろう。そして普通、好きではない只のクラスメートのことは何にも分からないはずだ。私だって仲の良くない人のことは何も知らないし、気にも止めない。
…なのに、この人はどうして。

多分、これが始まり。
私が本当に菅原くんのことを好きになって、心配してくれた優しい彼が毎日昼休みに電話を掛けてくれるようになった、不思議な関係が始まった瞬間だった。



「…もしもし、こんにちは」
『こんにちは。最近暑いなー』
「夏だねぇ…熱中症とかなってない?」
『俺は大丈夫、そっちは?』
「平気だよ」


季節は夏、期末テストも終わって夏休みまでのカウントダウンが始まった。教室内はクーラーでガンガンに冷やされているにも関わらず、私は受話器越しから聞こえた「良かった」との彼の言葉に思わず身体が熱くなる。
決して特別な会話はしていない。メールででも事足りる内容だけど、この10分間の通話は私にとって大切なものだ。


『そうだ、夏休みって此方に遊びに来る?』
「うーん…どうだろ……」

「おーい」


菅原くんの問い掛けに少し悩んでいれば前から同じクラスの「佐藤くん?」がやって来た。彼はこのクラスのリーダー、と言っても過言ではないほどの人物だ。あまり話したことはないのだが一体何の用だろう…携帯を片手に首を傾げた私に、佐藤くんはいつもの溌剌とした笑顔を向けてくる。


「ごめんな、電話中」
「ううん、どうかした?」
「夏休み前にクラス皆でカラオケ行こうぜって言ってんだけど。今週の土曜日空いてる?」
「……空いてるね」
「まじ?じゃあ参加決定で…」
「オッケーでーす」
「よっしゃ!」


グッと親指を突き出すと、佐藤くんは嬉しそうにガッツポーズをしながら黒板に私の名前を書きに行った。世話焼きな人だと思う。そこがまた彼の良さの一つだろうけど。
そう言えば入学してすぐに女子グループにカラオケに誘われたっけ。その時はすぐに断ってしまったけど、次の昼休みにそのことを菅原くんに話してみれば「馬鹿!」と怒られた。折角仲良くなるチャンスだったろ、結構本気で怒鳴られて驚いたことは記憶に新しい。…ここで私は通話中だったことを思い出し、急いで携帯を持ち直した。


「っと、ごめんね」
『………』
「あ、あれ?菅原くん…?」


耳を澄ませてみたが入ってくるのは教室のざわめきだけで彼の声は一向に聞こえてこない。まさか、慌てて腕時計に視線を当てると通話を始めてから10分が過ぎていた。優しい彼のことだ、途中で気付いていたのに電話を切らずにいてくれたのだろう。困らせてしまったと、もう一度呼び掛けようとした、のだが。


『……通話ボタン、押してくれないかな』
「え?」
『いいから。押したらすぐに耳離して』
「うん…?」


有無を言わせない口調に何で、と開きかけた口を閉じる。通話ボタン、とは電源ボタンではない左側の方でいいのか。滅多に使わないそのボタンを押しながら私は再び一人首を傾げた。菅原くんのことだから何か考えがある…筈だが本当にこれって何か意味あるのか?
ゆっくりと、携帯から耳を離した。受話器越しのざわざわとした音が大きくなる。それは彼の息づかいも聞こえるほどで。


『好きだ』


双方のざわめきが一瞬にして消えた。数秒間だけ静寂が訪れて、しかしすぐに先程よりも大きな喧騒が耳を貫く。
「今の彼氏!?」『誰に言ったんだ!?』「告白!?」……嗚呼煩い。

そんなの、私が一番聞きたい。

全ての元凶を作り出した彼は綺麗な声を震わせて、ごめんと言った。それは何の謝罪だろう。一体何に対して詫びているのだろう。

ねぇ、教えてよ。
さっきの好きだ、は誰に向けて言ったの?


「菅原、くん」
『…ごめん』
「謝ってもらっても分かんないよ…」
『……ごめんな』
「分かんないってば…!」

『でも、本気だから』


また後で電話する、そう言われて一方的に通話は切られた。それを証明する機械音は私に真実を告げてくれない。チャイムが鳴り響くことで問い質す手段は絶たれ、私は彼のまた後で、を待つより他なかった。



最初は只の同情だったのかもしれない。
仲の良い友達といる時は明るいイメージなのに、知らない人や一人でいる時は誰も寄せ付けない、冷たい感じがする…彼女はそんな子だった。人見知りをするのか、なんて頭の隅で考えていたのを覚えている。
それを思い出したのは、あまり話したことがなかった彼女に告白をされて、転校を教えられたとき。大丈夫かな、と心配になってつい電話をしようと誘ってしまった。今から思えば告白を断った直後だったのに随分軽率だったと思う。

そして俺は昼休み10分間の通話を続けるにつれて、呆気なく恋に落ちた。

いや、正確には落ちていた…のだろう。今日という今日まで気付かなかったのだから。
思えば彼女は中学の頃から俺のことを「菅原くん」と呼んでいた。他の男子は呼び捨てだったのに何故か俺だけはくん付け。もうあの時から彼女にとって俺は特別な存在、だったのかもしれない。それは少しむず痒く、だけど嬉しかった。

なのに、


『佐藤くん?』


一気に頭の中が真っ白になって、気が付いたときには教室が静まり返っていた。やってしまった、血の気が引いて謝罪の言葉を並べると、俺は強引に通話を終了させた。
残ったのは後悔と、安堵。


「…また豪快に、やったなぁ」
「はは……」


大地に苦笑いを返すと、携帯を握り締めた。チャイムの音が騒がしい教室内を埋め尽くす。
授業が終わって放課後になったらすぐに彼女に電話を掛けよう。そして今度は彼女だけに伝えるんだ。

君が好きだと、この気持ちを。



遠方からの牽制

(俺の好きな人に、手を出すな)


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -