Auld Lang Syne1
壁に燈された蝋燭の明かりのみが頼りの、薄暗く無駄に広い廊下を一つの影が揺らめく。
静まり返った薄闇の中でコツコツと足音だけが響いていた。
(……うぅっ、見事に真っ暗だよぅ〜)
内心でそんなことを思いながら、辺りを警戒して壁蔦いにそろそろと歩くこの少女――あゆは、癖のついた短めの栗色の髪を揺らしいつものようにセーラー服を身に纏い、静寂に包まれた城内を闇色の大きな瞳で見据えていた。
彼女がひょんなことからシャーロム帝国にやってきてそろそろ一月が経過しようとしていた。
「……いつもならもう少し明るいのに、どうして今日はこんなにも真っ暗なの?」
暗がりに怯える子供のように、あゆは小さく呟いた。勝手知ったる城の中を響く足音にびくびくしながらただ歩き続ける。
蝋燭の明かりだけが頼りの薄暗い廊下を抜け、ループ状になった長い階段を下って行く。
一階の広いエントランスホールにたどり着くと、迷わず階段の下を抜けた奥にある一つの扉を目指した。
ギイィ…。
錆びた金属のこすれる音と共に、重たい扉を開け放つ。
その扉の外には、最近知った少女のお気に入りの小さな庭園があった。
真夜中の月の光に照らされて美しく咲き乱れる色とりどりの花たち。ゆらゆらと夜風にさらされてざわめく様々な花の旋律。
踊る心を抑えながらあゆは扉の外へと一歩を踏み出した。
ざあっと夜風が吹き抜けて、彼女の栗色の髪とセーラー服のスカートを揺らす。
「――‥あっ!? 何だぁ〜、今日はやけに暗いと思ったら……月が出ていないんだ……残念」
扉から一歩を踏み出して夜空を仰ぎ、その時初めて月が出ていないことに気がついた。
しばらくそんな真っ暗い紫暗の夜空を見上げたままあゆは大きなため息を漏らしていた。
「う〜、暗くて何にも見えないや……せっかく抜け出してきたのになぁ」
残念そうに俯いてまたぽつりと呟く。
「‥〜♪ Should auld a cquaintance be forgot, and never brought to mind? Should auld a cquaintance be forgot, and auld lang syne…♪」
ふいに、風の音に混ざって聞こえてきたせつなげな歌声のようなメロディーを耳にしてあゆはふと顔を上げた。
「?」
キョロキョロと辺りを見渡して、暗がりの中に響くその歌声の元へと導かれるように歩いて行く。
(……何だろう? 懐かしい感じがする……あたし、この歌知ってる!?)
内心でそんなことを思いながら、ただ歌声の主を求めて暗い庭園を進んで行った。
その刹那。
ポゥ…と、淡い碧色の小さな光がふわりと優雅に舞い踊り少女の視界をかすめた。
「え、蛍!? うそ……こんなところに蛍がいるはずが……!」
あゆは驚いて目を見張る。
気がつけばその光はいくつもの蛍火となって、彼女の周りをゆらゆらと漂っていた。
「〜♪」
再びはかなげな光のゆらめきに合わせるようにして先程聞こえた歌声が響き渡る。
「……これ、やっぱり“蛍の光”だ。歌詞はよくわからないけど……このメロディーは、間違いないよ……!」
あゆは駆け出した。歌声の聞こえる方へとただ一心に庭園の中を走っていた。
ざわりと、風が凪いだ。
息を切らせてたどり着いた場所は、宮廷の裏庭に設けられた小さな泉。石段を重ね置いただけのベンチに囲われた小さな泉のある場所だった。
そこはいつだったか自分と同じ感じのする、懐かしい雰囲気を持つシーナと言う名の黒髪の少年と初めて出会った場所でもあった。
「シーナ?」
あゆはそう名前を呼んでみた。
しかし石段に座ったままこちらを振り返った人物は、闇夜にも映えるほどの美しい金色の髪と、碧色の瞳を持った青年――ユリシスであった。