異界の迷い子1
穏やかな初夏の日差しが降り注ぐ午後――。
学校を終えた一人の少女が河川敷をゆっくりと歩いていた。
少し前に友人と別れ、自らの家路についていたのだが、初夏の日差しがあまりにも気持ち良かったので少し寄り道をしているようだ。
少女の名は、紗々霧あゆ。
聖アイル学園高等部に通うごく普通の少女である。
「こんなに気分がいい日は何日ぶりかなぁ。今日は部活もないし、ちょっとのんびりできるかな」
川の近くまで行き、あゆは背伸びをして初夏の空気を吸った。走ったり転がったり、そんな事をしていると、短いセーラー服のスカートから下着が見えてしまうのではないかと心配だが、河原ではしゃぐ彼女にはそれを気にする様子はないようだ。
ふと立ち止まり、あゆは河原の向こうを見やった。持っていたカバンを下に置き、足元に転がる小さな石を拾い上げて川に投げてみる。
ぽちゃん、と、かすかな音をたてて石は川の中へ沈んでいった。
「…風、気持ちいいな…」
ざわざわと吹き抜ける風の音に耳を傾ける。肌に触れる穏やかな風がとても心地よいと感じた。
制服の襟にかかる程度の短い髪を片手でさらっとかきあげ、瞳を閉じて風の音を聞く。
ちりっ…。
ふと何かが肌をかすめたような気がして、あゆはハッとその瞳を開いてあたりを見渡した。
だが特に変わった様子もなく、先程と同じままの景色が広がるばかり。
(気のせい? 今、何かがあたしの頬、かすめたような……)
そう思った瞬間――
あゆの耳に音にも似たような微かな声が届いた。
どこから聞こえるでもなく、頭の中に響くようなそんな声だった。
『――お二人とも、こちらへいらしたのですか? 早急に宮廷へお戻り下さい! 空間に歪みが生じていると、陛下がっ……!!』
『空間の、歪み? そんな馬鹿な……またあれが――』
『おい、衛兵! 場所はどこだ!?』
『はっ はい。
宮廷の西にある‥‥ですが、どちらへ!?』
『先に行く。陛下にそう伝えてくれ』
『――‥おい、待てよ! ‥‥チッ、あいつめ……』
あゆの耳に響く声はそこで途切れ、その後を激しい頭痛が襲った。
(――‥な、に? 今の声……頭に響、いて…っ…痛っ!?)
突如襲った頭痛に顔をしかめその場にうずくまる。意識がトリップする瞬間に少女が見たものは目の前に広がる暗い闇――
河原だった場所が闇の中へと飲み込まれていく瞬間だった。
そしてそれはあゆとまわりにあったものをいくつか飲み込んで、消えた。
暗い暗い闇が広がっていた。体が何処までも続く深い闇の中へと沈んでゆく。
一筋の光もなく、ただ、深く冷たい闇だけがあゆの体を包み込んでいた。