I do.


「ただいま、和希」
「あ、お帰りなさい」

夕飯の支度をしているとイワンが帰ってきた。いつもより早く帰ってきてくれたのは嬉しいのだが、イワンの表情は少し暗い。何か仕事で失敗でもしたのだろうか?
イワンは物凄いネガティブで、俺からしたら大したことない出来事に物凄く落ち込んだりする。一度その深みにハマったら中々脱け出せず、ずっとため息を吐き悩み続けたりするのだ。

「イワン今日早かったね。まだご飯出来てないから先にお風呂入ってくれる?」
「うん…」

小さく頷くとイワンはキッチンから出ていった。俺は夕飯の支度を再開する。
こういう時はどうしたのか尋ねるのではなく、こっちは普通に接して向こうから話すのを待つ。イワンの性格から何があったのか聞いても何でもないと返されるのが関の山だ。これはアカデミー時代に学んだこと。

アカデミー時代から付き合い始め、卒業後イワンはヘリペリデスファイナンスのヒーローに、俺は所謂フリーターって奴になった。
時間と余裕があるので炊事洗濯掃除はほとんど俺がやっている。もともと好きだし、こんな些細なことでイワンを支えれるなら大歓迎だ。

早く帰ってくるのが解ってたなら炊き込みご飯にしたけど、仕方ない。明日の朝はちょっと豪華にしよう。
それで元気になってくれるといいけどなあと考えながら、豚汁に入れる具材を刻んでいると後ろから急に抱き締められた。
冷や汗が出た。幸い手は切っていない、びっくりして手放した包丁を安全な所に起き抱き付き俺の肩口に顔を埋めた頭をぽんぽんと叩いた。

「お風呂は?入んないの?」
「うん…」
「ご飯まだかかるよ?」
「だいじょぶ」
「あの…、イワンくん?これじゃご飯作れないんですけど…」

イワンの腕は俺の腰にぎゅっと巻き付いてて外される様子はない。まさに完全ホールドってやつだ。
そして、イワンがこんなに露骨に甘えてくるのは珍しいことだった。いつもは手を繋ぐのも顔が真っ赤になるのに。どういう風の吹き回しだろうか、こんなに人恋しくなる程落ち込んでいるのかと何時もと違う恋人の様子に心配になった。
しばらく、そのままでいるとイワンがまた一つため息を吐いた。

「和希…?こっち向いて」
「…ん?」

もぞもぞとイワンの腕の中で方向転換し、向かい合う。イワンの表情はまだ少し暗いままだ。本当に何があったのだろうか。

「えっち…したい」
「え…はあ!?」

俺は驚き目を見開いた。イワンと付き合って数年が経つがイワンからの誘いなんて両手で数えるより少ない。当初は俺がイワンを襲うようにセックスにもつれ込むのが大体のパターンだった。
しかし、イワンがヒーローになってからはイワンの体に負担をかけてはいけないからとオフの前夜にするのが暗黙のルール。

「明日オフだっけ?」
「ううん…違う」
「何、溜まってるの?」
「うん…ね、和希…だめ?」

イワンは俺のエプロンをきゅっと掴み上目遣いで見つめて来た。もはやこのイワンの可愛いさは反則だ。男の上目遣いを見て可愛いと思えるのはイワンくらいだろう。
不安気に揺れるその紫の瞳に思わず息を飲んだ。意味深に少し開いた厚い唇を貪りたい衝動に駆られるがぐっと我慢する。

「口でしてあげるから、今日はそれで我慢ね」
「えっ…やだ!なんで!」
「だって、明日も仕事なんでしょ?イワン起きれなくなるし…」

イワンは一瞬悲しそうな顔をしてうつ向いた。せっかくのイワンの誘いを無下にしてしまい心が痛みもう後悔をしているが仕方ないことだと自分に説いた。セックスが終わった後のイワンを見る限り受ける側の負担はかなり大きいらしいので、明日仕事があるのなら避けた方が良い。イワンは肉体強化系の能力ではないし、自分の身体能力がヒーロー活動の基本になるので下手すれば命に関わる。まあ、オフの日にも出動要請があったら出動しないといけないらしいのだが、向こうも流石に重大な事件でない限りPDAを鳴らすことはないらしい。

とりあえず、溜まってるのなら抜くのが一番だと思いイワンのベルトのバックルに手をかけた。しかし、それはイワンの手によって阻まれる。不思議に思いイワンの顔を覗き込むと両目から涙が溢れていた。

「うっ…く…」
「え?なんで泣いて…え?」

俺が泣いてることに気付くとイワンは声をあげて泣き始めた。セックスを断ったのが余程ショックだったのか。俺は混乱しながらもイワンの涙を指で拭おうとするが、その手も先ほどと同様にイワンによって阻まれる。
お手上げ状態の俺をよそにイワンはわんわんと泣き、嗚咽で呼吸を乱しながら言葉を紡ぎ始めた。

「和希…っヒク…僕の、こと…っうあああん」
「イワン待って落ち着いて、俺が、イワンのことを、何て?」
「…ヒッ…僕のこと…うっうぅ」
「イワンのことを?」

なるだけ優しい声でイワンの頭を撫でながらイワンの言葉を繰り返す。腕まで使って溢れる涙を拭うイワンは幼い子供のようで胸が傷んだ。そういえば、イワンはメンタルが弱い割には泣かない人間だった。そのイワンがここまで、そしてその原因は自分にある。イワンの言葉に耳を澄ました。

「うっ…あっ…きら、に…ヒッ、なった…っ…で、しょ?」
「嫌い?」

俺が?イワンを?嫌いに?

え、いつよ?

俺に繰り返した言葉にイワンはまた声をあげて泣き始めた。もう目は真っ赤に充血し、色白な為目元や鼻先の赤らみが目立つ。
とりあえず、イワンの誤解を解くのが彼を悲しみの淵から救い出す術だ。

「待って、イワン。俺はイワンのこと大好きだよ。愛してる」
「う゛…そだぁ…っ」
「嘘じゃないよ?イワンはどうして俺がイワンを嫌いなったと思ったの?」

どうして、こんなにイワンを不安させてしまったのか。柔らかいイワンの髪の毛を撫でながら尋ねる。

「だっ、て…ヒッ…アカデミーの…っより…えっち、しな…っし…うぅ…」

確かに付き合って初めてセックスをしてからは暇と隙を見付ければセックスをしていた。それこそ授業をサボったり、いろいろ。

「うぅ…さっき…も、ぼく…ぅぐ…っしたい…言った…っのに!」

涙は収まったが嗚咽が止まらないイワンは一生懸命に言葉を発する。その姿がまた痛々しくて、俺はイワンを抱き締めた。イワンの喉が驚きからかヒュッと鳴る。

「ごめんね。俺イワンのこと大好きだよ。イワンのことを大事にしよう大事にしようと思ってイワンがそれに傷付いてるなんて、気付かなかった」
「う…」
「聞いてくれる?」

イワンの耳元で尋ねるとコクりとプラチナブロンドが揺れた。

「アカデミーでイワンと付き合えるってなったときすごい嬉しかったんだ。イワンをこれで独り占めに出来るって。俺だけのイワンなんだって…本当に嬉しかった。卒業してイワンがヒーローになったでしょ?俺は全然駄目でヒーローになれなかったけど、イワンがヒーローになってくれて、俺の夢を叶えてくれた気がしたんだ。勝手にごめんね。イワンが折紙サイクロンとしてみんなから慕われるの見てて最初は焼きもち妬いてたけど、一生懸命にヒーローを頑張ってるイワンが誇らしくなったんだ。そして、そのイワンが俺の傍にいてくれることも。セックスしないのは嫌いだからじゃなくて、イワンが大事だからだよ。イワンは俺のだけど、折紙サイクロンはシュテルンビルドのヒーローだから」

目を見てイワンに伝わるようにゆっくり話した。言わなくても伝わることなんて思っていることの数割だ。解ってた筈なのに、特にイワンは悪い方に考えてしまいやすいって。

「ほん、と?」

泣き腫らした目がこちらを伺う。少し落ち着いたであろうその目を見ながらゆっくり頷く。

「ほんと。昔も今もずっと好き。愛し方は変わったかもしれないけど、愛してるって気持ちはずっと変わらないよ」

むしろ、日に日に増している。

「う…よかった…」

そういうとイワンはまた泣き始めた。余程不安だったのだろう、安堵の涙は先ほどと同様なかなか止まらない。

「和希…和希…っ」
「ごめんね、不安にさせて」
「んっ…」

イワンはまた乱れてきた呼吸を整えようと必死だ。本当は濡らしたタオルでも渡してあげたいが、エプロンは未だに握られたままで動けない。抱き締めてゆっくり落ち着くように背中を優しく叩く。
暫くすると、涙も止まったのか呼吸も落ち着き始めた。

「和希…」
「なに?イワン」
「けっこん…しよ」
「結婚かあ、いいねそれ」
「お嫁さんになって…」
「俺がお嫁さん?えー…イワンがお嫁さんじゃないの?」

イワンは俺の肩口に顔を埋めたままだ。プラチナブロンドの柔らかい髪が擽ったくとても愛しい。

「僕の方が稼いでるもん…」
「う…確かに、じゃあ、俺がお嫁さんね」
「幸せにする…っ」
「もう、十分幸せだけどね」

はねた髪を指で遊んでいるとイワンが顔を上げた。

「…新婦となる和希は、新郎となるイワンを夫とし、良い時も悪い時も、富める時も貧しき時も…」
「イワンを愛し、イワンを敬い、イワンを慰め、イワンを助け、この命の限り、固く貞節を守ることを誓います」

イワンの前髪をかき分け、軽く口付けをする。チュッとリップ音がたった。

「イワンは?」
「っ僕も…、死が二人を別つまで、そのあともずっとずっと永遠に、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓います…っ」

イワンの手が首と頭に周り深い口付けをする。互いの想いを愛を交換するような口付けは、今までのどれよりも甘く、そして少しだけ涙の味がした。





















翌日

泣きつかれたのかイワンは、ご飯も食べすに眠ってしまった。俺は昨日食べるはずだった豚汁をお椀に盛る。

「和希、おはよう…」
「おはよう、イワ…目腫れたね…」

ただでさえ悪い目付きに拍車がかかっているイワンに思わず吹き出した。低血圧なイワンはそんな俺を気にする様子もなくぼーっとしている。

「今日は擬態して会社いくことにする…」
「うん、それがいいよ」

苦笑する俺をよそにイワンは席に付き「いただきます」と手をあわせた。俺はその間にイワンに持たせるお弁当の準備をした。



「はい、お弁当。今日は帰り早い?」
「今日はちょっと遅いと思うから先にご飯食べてて。昨日残した仕事があるんだ」
「昨日仕事ほっぽって帰って来たの!?」

真面目なイワンが珍しい。余程悩んでいたのかと昨夜の出来事を思い出してまた苦笑した。

「あっ和希…」
「ん?なに?」

イワンの言葉を待つが、顔を赤くして口を何度かパクパクしている。

「明日、オフだから…き、今日いっぱい…しようね…?」
「う、うん!任せろっ」
「じゃ、行ってきます…!」
「あ、待って」

ドアを引くイワンの肩をつかみ体を引き寄せ頬にキスする。

「いってらっしゃいのチュ…っ」

最後まで言い切れずイワンの唇が俺を唇に軽く触れる。不意討ちに顔が赤くなるのを感じた。

「行ってきます!」

イワンも恥ずかしかったのか駆け足で駅へと向かって行った。

「なんか積極的になってない…?」

嬉しいことだが、ちょっと心臓と理性がもつか不安になる和希だった。




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