06

真っ暗な部屋の中は、血の臭いと荒い息遣いがする。
デコルテに付けられた咬み傷から滲んだ血をずっとバーナビーさんに舌で舐められていた。どうしてか傷口の痛みはない、それが怖い。非現実なその光景に僕は最早抵抗らしい抵抗が出来ないでいた。

「もう…もうやめて下さい…お願いします」
「まだそんなに飲んでませんよ?」
「やだ…も…やめて…っ」

涙を流しながらみっともなく懇願するとようやくバーナビーさんが上体を起こしてくれた。目が合うと妖艶に微笑まれ頬に流れた涙をちゅっと吸われる。それが僕を宥めるような行為に思えて少しほだされてしまいそうになる。

「涙も美味しい」
「っゃ…んぅ…ふ」

そういうと今度は唇を塞がれた。びっくりした僕を翻弄するように舌が入ってくる。血の味とアルコールの味。いままで女の子ともそういうことをしたことない僕は目をぎゅっと閉じてバーナビーさんが離れるのを待った。どちらの唾液かわからなくなったものが僕の口の端から溢れる。恥ずかしいし、息苦しくて真っ赤になった僕の髪をバーナビーさんが優しく撫でてくれた。

「どこもかしこも美味しい」
「んっ…はぁ、はぁ」

このまま血液だけではなく食べられてしまうのだろうか。口の中が最低な味がするしもう僕色んな事が許容量を越えていた。

「やだ…殺さないで…っいやだ、はなして…」
「殺しませんってば、僕好きな食べ物はちょっとずつ大事に大事に食べるタイプですから」
「うぅ…た、食べないで…っ」

恐怖が限界を越えて気が付いたら大泣きしていた。死にたくない。何もない平凡な、いやそれ以下な人生だとしても死にたくないと思う。涙と鼻水にまみれた僕を見てバーナビーさんはため息を吐いた。

「だから、食べるっていうのはものの例えですし、殺しませんってば」
「…っほんと、ですか?」
「はい、あなたは特別なので」
「う…っじゃあ、はなして下さ」
「それは出来ません」

きっぱりと断言されて、また涙が滲む。もうこの数10分で僕の涙腺は壊れかけていた。
その時、ようやく部屋の電気が付いた。眩しさに目を細めるバーナビーさんの目はいつもの色に戻っていてまるで夢だったのだろうかと思ってしまう。が、その口の周りは僕の血で汚れていた。夢じゃない。

「僕と一緒に来て下さい」
「え…」
「僕と一緒に暮らして、僕にご飯を作って、僕が帰って来たらお帰りなさいって言って下さい」

口の周りに血を付けて言う言葉じゃないと思う。

「そ、そんな恋人みたいな…」
「わかりました」

今度はあっさりと引き下がられ拍子抜けだ。血を飲むときのしつこさは何処に行ったのだろう。しかし、今のバーナビーさんは話が通じそうだ。僕は安堵した。

「僕の恋人になって下さい」
「…え?」
「だって、恋人だとそういう事してくれるんでしょう?」
「いや、僕男で…」

話は通じそうにない。貧血か解らないが目眩がする。

「僕は吸血鬼ですから関係ないですよ」
「…」
「でももし、付いてきてくれないなら、ここでイワンさんの血全部飲みますけど」
「ひ…っ」

ギラッとまたあの獲物をかるような瞳になり僕は怯んだ。完全な条件反射だ。

「他の吸血鬼や悪魔に取られるくらいなら、ここで今すぐイワンさんの全てを貰います」

選択肢があるようで一つしかない。僕はバーナビーさんに未だ見下ろされながらため息を吐いた。

「なんですか…それ…」
「他の人や吸血鬼に取られるくらいなら仕方ないです。僕の傍にいてくださるなら、僕が守ります。…好きなんですあなたが」
「独占欲…凄すぎですよ…」
「緑色の目の化け物はですからね、僕は」
「何ですかそれ」
「シェークスピアです」

クスクスと微笑むバーナビーさん。その表情はいつもの表情に戻っていた。

「じゃあ、約束して下さい。いくら食事でも、もう人の命を奪わないって」
「奪ってません。僕が人間の血飲んだのはずいぶん久しぶりですよ」
「え?でも、あの…事件の…」

僕はてっきりバーナビーさんが犯人なのだと思っていたのだが違うとでも言うのか。
じゃあ、あの殺人事件の犯人は誰なんだ?

「あれは人間じゃないですよ」
「は?」
「あれは吸血鬼です。僕、吸血鬼ハンターなので」
「え?バーナビーさんも吸血鬼ですよね?」

暗闇ではあったがバーナビーさんの目が赤くなったのも見たし、実際長い牙で血を吸われた。そのバーナビーが吸血鬼ハンターとはどういう事だ?

「僕はダンピール…吸血鬼と人間のハーフなんです」
「ハーフ…」

じゃあ、バーナビーさんは人を殺してない。

「…っ」
「…泣く程嫌ですか?」
「違います…っあ、安心したんです…バーナビーさん、よかっ…」

恐怖ではなく安堵の涙を流す僕をゆっくりと抱き起こされ僕はバーナビーさん肩口に顔を埋める格好になる。

「それ僕の為の涙ですか?」
「っ違います…」
「イワンさん泣き虫ですね」
「違います…っ」
「そういうところも好きです」
「う…」
「イワンさんは僕の事を決して嫌いではないと思っていたのですが…どうですか?」

頭を撫でながら耳元で言われて顔に熱が集まるのを感じる。僕はバッと勢いよく顔を上げ涙目のまま睨んだ。

「ズルいです…」
「え?」
「そんなかっこよくて、キラキラしてて…さ、さっきの、っ凄い怖かったんですからね!」

本当に殺されてしまうと思った。
すると今度はバーナビーさんは困ったような表情をして、でも何処か嬉しそうなそんな雰囲気。

「褒めてるんですか?怒ってるんですか?それ」
「お、怒ってます!」
「困りました…。どうやったら許してくれます?」

僕の顔を除き混むようにして首を傾げるバーナビーさん。目が合えば負ける気がしてなるべく目が合わないようにする。

「キ、す…して、くれたら、ゆ、許します!」
「お安い御用です」

そういうと顎を捕まれ上を向かされる。僕は慌ててバーナビーさんの口に手を当てた。

「口、ゆすいで下さい!血の味が気持ち悪かったんです。さっき」
「気持ち悪いって…、しかもこのタイミングで言います?」

ため息を吐くバーナビーさんが僕の指に舌を這わす。とてもそれが扇情的でまたまた僕の顔は真っ赤になっている事だろう。
ひとしきり僕の反応を楽しんだのかバーナビーさんはテーブルに置かれたグラスに入ったウィスキーをあおりグラスをテーブルに戻す。袖口で口元を拭い妖艶に微笑む。

「これでいいでしょう?」
「う…」
「キスしても?」

耳元で囁ければもう駄目だった。先程は暗闇で解らなかったバーナビーさんの綺麗な顔が自分に近付いてくる。

「バー、ナビーさ、んぅ…ふっ」

アルコールの味がするはずなのにそのキスはとっても甘かった。



END



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