05

「すみません、狭くて汚いですけど…」
「そんなことないですよ。お邪魔します」

バーナビーさんが脱いだ上着をハンガーに掛けてソファーに案内する。さっき降りだした雨は勢いをまし時折雷の音が遠くに聴こえた。

「あの、僕の家ロゼ置いてなくて、ウィスキーでも大丈夫ですか…?」
「あぁ、かまいませんよ」

僕は家であまりお酒を飲まないためマスターから誕生日に貰ったウィスキーと氷とグラスをテーブルの用意する。

「いただきます」
「はい」
「イワンさんも飲みましょう?」
「あ、はい」

狭い部屋に自分以外の人がいるのは不思議な気持ちだ。人を家に招くのはこれが初めてで、飲みなれないウィスキーの味は美味しいのか不味いのかよく分からなかった。
しばらく無言でお酒を飲み続ける。

「この前の続きで僕の質問に答えてくれます??」
「ああ…いいですよ」

ぐびっと飲み干されたグラスにバーナビーさんはまたお酒を注ぐ。いつもよりペースが早い気がする。
このまま無言でお酒を飲み続けるよりましだ。さっき開封したウィスキーはもう半分しか中身がない。

「イワンさんってなんで一人暮らししてるんですか?」
「え?」
「学生ってわけでもないですよね?」
「はい。実は都会暮らしに憧れて、18の時にこっちに来たんです」
「そうだったんですか」

僕が育った故郷は、冬が長く一面の雪が全てを覆ってしまう何もないところだった。毎日が退屈で普遍的な日常が嫌で飛び出したのだ。何もないこんな所にいると、自分も価値も何もない気がして飛び出した訳だけどそれは勘違いだった。僕にはもともと何もない。環境なんて関係なかった。時が経てば経つほどそれを実感する。

「帰ろうと思わないんですか?」
「勘当されちゃったんで…」

正直こんなに長いこと連絡を取ってないと帰るのが怖い。今更何も変わらなかった自分を親に見られたくないという気持ちがあった。

「何か悪いことを聞いてしまいました…すみません」
「あっ、いや全然そんなことないです!!僕こそすみません…」

そしてまた沈黙が訪れる。やっぱり家に招いたのは失敗だったのだろうか。しかし、こんな嵐ではしばらく外に出るのは危険だ。雷の落ちる間隔が短く、そして大きくなっている。
また沈黙。そして沈黙を破るのはまたバーナビーさんだった。

「血ってどういう味がすると思います??」

静かな声だった。さすがにアルコールが回ってきたのかネクタイを緩めるその姿にドキッとする。同性でもこんなにドキドキするんだ。女性はたまらないだろう。

「血、ですか?」
「あの殺人事件。血を抜かれてるでしょう?犯人は吸血鬼だとか」

ギラリとした目と合う。バーナビーさんらしくない視線に思わず目を逸らしてしまいたくなる。

「吸血鬼なんてメディアが面白おかしくしようとしてるだけですよ。きっと犯人はすぐに捕まりますよ」
「そうでしょうか?」

いつもとは違う様子に僕は戸惑った。ウィスキーはバーナビーさん一人でもう3分の1程飲まれている。明らかに飲み過ぎだ。温かい緑茶でも飲んでもらったら落ち着くだろうとソファーから立ち上がる。すると手首を掴まれた。

「どこに行くんです?」
「えっ・・・あのお茶を」

ギリッと力強く握られた手は緩められることがない。

「あの、離してください…」
「お茶なんていいです。ここにいて下さい」
「でもバーナビーさん随分酔ってますし…お茶飲んで落ち着きましょう?」
「酔ってませんよ」

はっきりとした声が発せられると同時に、地響きがするような轟音と閃光が走った。そして、部屋の照明が落ちる。近くに雷が落ちて停電してしまったらしい。真っ暗闇の中手首に触れる手が酷く冷たい。

「バーナビーさん…あのっ」
「座って下さい、今歩くとケガしますよ」

そう言って手を引かれるまでバーナビーさんの隣に座らされる。

「あの事件の被害者の共通点ってご存知ですか?」
「共通点…?」
「被害者はみんなゴールドステージに住んでいて、容姿端麗、そして美しい金髪だとか」
「あ、あと女性ですよね…みんな」

バーナビーさんとこうして隣同士で座るのは以前車に乗せてもらった時以来だ。でもその時よりも距離は近いしバーナビーさんの様子も違う為に戸惑ってしまう。そんな僕を気にする様子もなくバーナビーさんは話し続けた。

「そうですね。なんで女性だけなのでしょうか…?」
「え…?あ…えと、わからないです」

少し楽しそうにバーナビーさんは笑っている。クイズを出す子供のような。まるで答えを知ってるような。

「きっと犯人は男ですよ。男の人は美しい女の人、好きでしょう?そして女の人は、美しい男の人が好き」
「そう…ですね」

バーナビーさんにしては悪趣味な質問だった。思わず眉を潜めてしまうが、答えずに機嫌を損ねられても怖いと感じたのは先程の手首を握りしめられた時の感触が残っているからだろう。

「もし、犯人が吸血鬼だったら…それは食事ですよね」
「…え?」
「食事だったら、それは仕方ないことだと思いませんか?」

ぐっと手を引かれ、反対側を肩をソファーに押さえつけられる。何が起こったのか分からなくて反応が遅れた僕をバーナビーさんは楽しそうに見下ろしていた。

「いっ…」
「やっと捕まえた」

暗闇に慣れた目でバーナビーさんを見ると、翡翠の様な瞳が深紅に光っていた。その瞳を見た瞬間僕の体は金縛りあったかのように動かせなくなった。 頬に手を添えられゆっくりと撫でられる。ドクドクと心臓がうるさいのはアルコールのせいだけではない。

「半年くらい前からずっと思ってたんですよ。美味しそうだなって」
「何を…言って…」

半年前、それはバーナビーさんがお店に来るようになったのと一致する。
バーナビーさんは人じゃない。時折落ちる雷が照らせばニヤリと微笑んだ口元から白い牙が覗いている。先程の口振りからしてたどり着いた答えに戦慄した。ガタガタと体が震える。

「ぼ、僕も…殺すんですか?」
「殺す?まさかそんなことしませんよ。もったいないですから」
「じゃあなんで…っ殺したんです…恋人じゃなかったんですか…?」

バーナビーさんの寄り添っていたあの美しい人を思い出す。

「何か勘違いしてますね。まず彼女は恋人ではありません。そして、僕は殺したんじゃなくて食事をしただけです。…食事は大げさですかね。うーん、お酒を飲むのと同じです。中身を飲むとボトルが空になるのは当たり前でしょう?」

バーナビーさんは無表情で答えた。僕には理解できない、したくない言葉だった。体の震えは止まらずバーナビーさんの機嫌次第で自分の命なんてあっさり奪われる。そう思うと恐怖で涙が滲んできた。

「そんな…っひどい」
「ひどい?僕達はそういう生き物なんですよ」

スカジャンの襟を掴まれ互いの吐息がかかる程近付いて思わず目を閉じる。するとデコルテに痛みが走った。バーナビーさんが僕に牙を立てたのだ。

「あぁ…やっぱり。イワンさん、素晴らしいです…」
「いやだっ…やめて…」

噛み付かれたところから滲む血を抉るように舐められて妙な感覚が襲ってくる。抵抗したくても力が入らずバーナビーさんのシャツを握るのが精一杯だった。

「こんなに美味しいなんて…よく他の吸血鬼から無事でしたね」
「やだ…っはなして下さい」
「離しませんよ。あなたは僕のご馳走ですから」

ニヤリと笑うバーナビーさん、僕は捕食される動物そのものだった。

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