03

バーナビーさんから車で送ってもらって以来、彼が店に訪れる度に会話を交わすようになった。それまで店でお酒を買うだけだったのがいつしかバーでも飲むようになったのが大きい。会話と言ってもお酒の話や、ニュースの話で気の効いた返しはできないのだけど、バーナビーさんと話せる時間がだんだん僕の楽しみになっていた。

「今日はイワンさんの話が聞きたいな」
「へ…?」

ロゼの入ったグラスを傾けてバーナビーさんは笑っていた。いつものようにグラスを磨きながらバーナビーさんの話を聞いていたが、話をするように言われたのは初めてだった。

「僕の話、ですか?」
「そうです」
「僕の話なんて…つまらないですよ」
「僕がイワンさんの話聞きたいんです。なんでも良いので話して下さい」

なんでも、というと困ってしまう。毎日が家とバイト場の往復だし、その家とバイト場は徒歩3分だし、僕の世界はとても狭い。バーナビーさんに比べるまでもないと思う。僕から見れば居心地は良いけど、他の人から見たらひどくつまらない毎日だ。

「じゃあ僕が質問しますのでそれに答えて下さい」
「…はい、いいですよ」
「好きな食べ物は何ですか?」
「えと、みそスープですね」
「みそスープって日本料理の?」
「はい」
「好きなんですか?」
「そうですね。日本が好きなので…」

なかなか会話が続かないのが申し訳なくなる。しかしバーナビーさんは質問を続けてくれた。

「じゃあ、休日は何してますか?」
「休日…ですか?」
「はい」

僕はうーんと考え込んでしまった。何もしていないと言うと嘘になるというか、掃除洗濯くらいだ。しかしそれを言うのは違う気がする。バーナビーさんが聞きたいのは掃除洗濯してない時、済ました時、休日だから出来ることだ。そうなるとこれ!という物はない。

「日本のドラマとか見たり、ですかね?」
「インドア派ですか?」
「そ、ですね…」

暗い奴だと思われただろうか。でもこれは本当の事だし仕方ない。ただ改めて自分という人間の詰まらなさを実感して悲しくなった。バーナビーさんとは本当、全然違う。

ズーンとマイナス思考の海を漂っていたらバーナビーさんの携帯が震えた。着信だったのか失礼と店から出ていく。

正直ほっとした。あれ以上質問されても僕がいかに何もない人間か明るみになるだけだったし。バーナビーさんが飲んでいるグラスを見つめてため息を吐く。

「すみません。今日は帰ります」
「あ、はい」

しばらくして戻ってきたバーナビーさんはテーブルにお代を置くと少し慌てた様子でコートを羽織ってお店を後にした。

「えらい慌ててたなあ」
「あ、マスター」
「ありゃ女だな」
「えっ」

以前来たあの女の人を思い出す。綺麗なバーナビーさんにふさわしい綺麗な人。真っ白な手がバーナビーさんの腕に絡まっていたのを思い出して何故が胸が痛かった。

「まだ若いのに凄いよなあ本当に」
「え…何歳なんですかバーナビーさん」
「なんだお前知らないのか。あんだけ話しといて」
「す、すみません…」

あれ。僕バーナビーさんが何歳かも、どんな仕事してるかも知らない。
いつも、バーナビーさんの話を聞いていたのに。

その日はグラスを2つも割ってしまった。

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