陶酔
今日はイワンの二十歳の誕生日だ。ヒーローのみんなでお祝いとして居酒屋で酒を飲んだ。初めて口にしたアルコールは美味しいとは思えなかったが、みんなで騒ぎながら飲むのは嫌いじゃなかった。
楽しい時間は過ぎるのが早い。金曜日とはいえ明日も仕事がある。ヒーローに休日はほとんどないのだ。
「俺たちは次の店行くけど折紙どうする?」
「僕はもう帰ります」
大人組はまだ飲むらしい。これが大人か、二十歳になったばかりのイワンにはまだちょっと解らなかった。虎徹は少し残念そうな顔をすると、イワンの頭をポンポンと叩いた。
「次はゆっくり語り合いながら飲もうな」
「はい!」
「じゃあ気を付けて帰れよ?誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
帰り際みんなからまたおめでとうと言われた。パオリンとカリーナはパオリンのマネージャーの車で帰っていった。
虎徹、アントニオ、キース、ネイサンは二件目の店へ行くようだ。手を振り夜の人混みに消えていく彼らを見送る。
さあ、僕も帰ろう。今日はブログのネタもバッチリだ。そう思った時だった。
「先輩、送りますよ」
「ぅわっ!びっくりした…」
頭上から声がして驚いて振り返るとバーナビーがすぐ横に立っていた。
「そんな驚かないで下さい。傷付きました」
「あっ…ご、ごめんなさい!もう帰られたのかと思って…」
イワンは勢いよく頭を下げる。
「いいですよ、別に」
「すみません…」
そうしてバーナビーはくるりと向いて歩き出す、数歩歩いてまたこちらを振り返った。
「な、なんでしょうか…」
「だから送りますよって先程言いましたよね?車こっちに停めてるので」
ついて来て下さい。
そういうようにまた歩いていく、イワンは断ることも出来ずに速歩きでバーナビーの後をついていった。
「すみません、送ってもらって」
「いいんですよ。気にしないで下さい。後輩なんですからこれくらい」
「でもバーナビーさんの方が年上だし…」
ヒーローとしても万年最下位な僕より活躍してるのに…。とイワンは俯いた。それを横目で見てバーナビーは苦笑する。
「実は先輩に謝りたいことがあって」
「…謝りたいこと?」
この何をしても失敗などしないだろう男が自分に謝罪などあり得ない。聞き間違えかと首を傾げ聞き返すとバーナビーはこくりと頷いた。
「実は、先輩にプレゼントを用意してたんですが持ってくるのを忘れてしまって…」
「そうですか…それなら明日…」
「僕明日、取材と撮影でトレセン行けるか怪しいんです。なので僕の家に一度寄っていいですか?」
「じゃあ別の日でも…」
「先輩の誕生日にプレゼント出来なかったなんて後輩としてのプライドが許せないです」
運転中の為、前を見ながら真面目な表情で言うバーナビーにイワンはまたもや断れずバーナビーの家に向かうことになった。
今思えばバーナビーがヒーローとしてイワンと活動を共にするようになってから2年が経つが、未だにバーナビーはイワンを先輩と呼び慕ってきた。
最初は年下で頼りない奴だと気付いたらすぐに先輩も敬語も取れるだろうというイワンの思惑は外れた。本当に先輩として慕ってくれてるのかもしれない。でもそれはイワンにとってはバーナビーが距離を取られているようで少しさみしい。ずいぶん経って他のヒーローには打ち解けてるのに自分だけ折紙先輩と出会った頃と変わらない接し方なのだ。
考えすぎかもしれないが、やはり距離を感じる。
だから、誕生日プレゼントが用意されていたのは意外だった。
「着きましたよ」
そういって案内されたのはゴールドステージでも有数の高級マンションだった。見上げるイワンにこっちですとバーナビーは声をかける。イワンはまた慌てて後を追いかけた。
「どうぞ」
「お邪魔します…」
中に通されソファーに座る。シンプルだが上品な空間にイワンは少しドキドキしていた。
若くしてヒーローになったイワンにはこうして家を訪れるような友人や知人は居なかった。緊張から正座をしたかったが、靴をはいてるためそれはかなわない。
バーナビーさんには悪いけど、早くプレゼントを戴いておいとまさせていただこう。電車もまだ動いてるはずだ。
「これどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
目の前にオレンジジュースが差し出される。イワンはお礼を言うと一口飲んだ。緊張で味がよく解らないが喉が渇いていたのでありがたかった。
「プレゼント、持ってきますね」
「は、はい」
バーナビーがリビングから出たのを確認して大きくため息を吐いた。肩の力が抜けて、猫背に拍車がかかる。
どうしてこうバーナビーに身構えてしまうのか、劣等感から来るものとしたらキースにも感じるはずだ。しかし、キースとは緊張はするがこんなには緊張しない。
情けなさにまたため息が出た。
ドアノブが回る音がして、イワンは慌てて背筋を伸ばす。バーナビーの手にはプレゼントであろう紙袋が握られていた。
「先輩、誕生日おめでとうございます」
「あっありがとうございます…」「開けて下さい」
言われるがままに、紙袋から箱を取り出しゆっくり蓋を開ける。
「わ…っ」
「どうですか?先輩に似合うと思って取り寄せたんですが」
箱に入っていたのは藤と蝶がデザインされた着物だった。イワンはその美しさに思わず言葉を失う。
「こ、これ本当に戴いていいんですか?こんな高価なもの…」
「勿論ですよ」
「本当にありがとうございます!す、すごく嬉しいです」
テンションが上がり着物を拡げ立ち上がり、全体の柄を確かめようと立ち上がったイワンだったが足に力が入らずかくんとバランスを崩す。しかし、いつの間にか後ろにいたバーナビーに支えられてなんとか倒れずにすんだ。
「…っすみません!い、今さら酔いが回ったんですかね?!本当にすみませんっ」
「いや、先輩のせいじゃないですよ」
自分の力で立とうとするが中々力が入らない。おかしい酔ったとしてもイワンは居酒屋でビール一杯しか飲んでいない。アルコールは抜けているはずだ。
「な、バーナビーさん…ちょっと離してくださ…っ」
「先輩、藤の花言葉はご存知ですか?」
支えてるはずだったバーナビーの腕が抱き締めるようにイワンの腰に絡み付く。肩口に顔を埋められ息と共に吐かれる言葉にイワンはパニックになりながらも考えた。
「何…いって、るんですか。バーナビーさん離し…うわっ」
その瞬間足を引っかけられソファーに倒される。バーナビーが背中を支えたために衝撃は少なかった。悪ふざけにしてもたちが悪い少しムッとしながら起き上がろうとしたら腰にバーナビーがのし掛かってきた。
「藤の花言葉は…恋に酔う、らしいんです。ぴったりですよね」
「え…」
退かそうとしても肩を押さえられそうはいかなかった。体格的にも劣るイワンに抵抗の余地はない。バーナビーの目が眼鏡越しに輝くのを見てイワンは思わず怯む。
「2年です」
「…?」
「2年間ずっと待ってました。長かった…、何度先輩を襲いたくなったことか…」
「な…!」
「良い後輩を演じるのも中々大変ですね。良いヒーローよりも苦労します。先輩のそのフェロモンって無自覚なんですか?」
「襲…フェ…何言ってるですか…!?酔ってるんですか!?」
イワンはバーナビーを睨みながら怒鳴ったが全く効いていない。
押し返そうと肩に当てた手を掴まれ、指と手のひらの間をれろりとなめられた。
「ええ、酔ってますよ」
指の間から覗くバーナビーの目はもう何時もの澄んだ新緑ではない。
「イワン、あなたにね」
それは捕食者の目だった。
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