恋が忍び足でやって来た


「ねえ、折紙さんって動物にも擬態出来るの?」

トレーニングを始めようと準備運動をしていたら、ヒーロー仲間のホァン・パオリンがキラキラと目を輝かせて訊いてきた。いきなりのパオリンの質問にイワンは驚き前屈のまま固まる。

「ね?どうなの?出来るの?!」
「わっ、ちょっ…」

曲げていた上体を無理やり起こされ肩を揺らされる。

「どーなのー!?」
「出来るけど、ものによるよ…」

一度触ったことのある動物じゃないと駄目だと続けたかったが、パオリンのキラキラと感激を浮かべた表情にイワンは冷や汗が伝うのを感じた。

嫌な予感…。

パオリンのこの表情をイワンは何度か見たことがあった。
そう、あれはパオリンが肉まんを食べてる途中に虎徹がぶつかって落としてしまったことがあった。ヒーローをしていて、凶悪犯と何度も戦いケガや危ない目にあったパオリンがその時はじめて泣いたのだ。大粒の涙を流しながら、大声をあげて。
焦った虎徹は急いで近くの肉まんを買い占めに行き、残った大人組は必死に少女をなだめる。あのクールなバーナビーですら慌てたのだ。

そして、この表情は虎徹が買ってきた大量の肉まんを前にした時の表情と同じ…。

何?僕食べられるの…?

「お願い!猫に擬態して!」
「へっ?」
「この前、テレビで猫特集してて猫飼いたいってナターシャさんにお願いしたんだけど駄目って言われて…」

なるほど、猫が飼えないならせめて触りたいってことか。自分もパオリンくらいの頃は動物が飼いたくてしかたなかったのを思い出す。

「だめー?」
「いいよ」
「わああい!折紙さんありがとう!」

両手をあげて喜ぶパオリンにつられてイワンも微笑む。誰も彼女に勝てやしないのだ。

「じゃ、いくよ?」
「うん!」

イワンは目を閉じ、擬態する猫を思い描いた。この前自宅の庭に迷いこんだ白い猫にしよう。子猫とは言わないが若い小柄な猫だった。

目を開けると自分の視点が低くなっている。

「わああぁ…!」

パオリンの足元には長い尻尾を持った白い猫が見上げている。
こちらをみるなり、小さく鳴いた猫にパオリンを興奮を隠せない。

「可愛いい!触っても良い?」
「ニャー」

しゃがみこみ視線を合わせ律儀に許可を求めるパオリンに返事をすると、ゆっくり手のひらがイワンの頭に置かれた。

「わー!ふわふわだ…」

はじめて触る動物の柔らかさにパオリンを感嘆の息を漏らす。頭に置かれた手のひらが背中にまで伸びる。イワンは心地よさに喉を鳴らしながら目を細めた。
するともう1つの影が視界に入る。

「あら、キッド。その猫どうしたの?」
「ファイヤーさんこんにちは!折紙さんに擬態して貰ったんだ!」

イワンはネイサンにも挨拶代わりにニャーと鳴く。ネイサンは驚いたがパオリン同様しゃがみこみイワンの頭を撫でた。

「あら、これ本当に折紙なの?」
「うん!お願いしたの!あっそうだファイヤーさん!抱っこしたとこ写真撮って欲しいんだけど…」
「お安い御用よ。ケータイのでいいかしら?」
「うんありがとう!折紙さん、抱っこしてもいい?」
「ニャー…」

抱っこも恥ずかしいがそれを写真にするとなると恥ずかしさが二倍だ。しかし、ここまで来たらやるしかない。男イワン・カレリンは腹を括った。

「大丈夫?ちゃんと脇の下に手を入れて持ち上げるのよん?」
「う…うん!折紙さん苦しかったらいってね?」

そう言ってパオリンの手が両脇の下に差し込まれる。少しくすぐたかったが堪えると前足が浮いた。
ぐーっとパオリンの顔が近くなる。

「わあっ!ファイヤーさん!凄い伸びるよ!」
「何言ってんのよキッド!早く抱えないと折紙可哀想じゃない」
「あぁっごめん!」

パオリンは謝ると、慣れないながらもなんとか猫の抱っこに成功する。少し頼りない抱え方だが満足気微笑むとネイサンの方に体を向ける。

「ファイヤーさん撮って撮ってー」
「はーい撮るわよー。ファーイヤぁあん☆」
「ありがとう!」
「後で送るわね」

撮影も終わりようやく解放されると思ったが、なかなか降ろされない。頭を撫でるパオリンに抗議するようにイワンは鳴いた。

「ニャー」
「ん?どうしたの?」
「放して欲しいんじゃないのかしら?」
「えー…もうちょっと…」
「ニャッ」

悲しそうなパオリンの表情に負けそうになったが、イワン自身も疲れていた。もうそろそろ解放して欲しい。

「放してあげなさいキッド。普通の猫だってこんな大人しくしてないわよ」
「ニャー」

ネイサンの言葉にそうだそうだと鳴き声で賛同する。

「また、猫なりハムスターなり擬態して貰えば良いじゃない」
「ニャッ?」
「うん…」
「ニャー?」

これ次もあるの…?
イワンは助け船を出してくれたと思ったネイサンの言葉に項垂れた。

「何だいその猫は?」
「あ、スカイハイ…」
「ニャー」

キングオブヒーロー!救世主!
イワンは助けを求めるように鳴いた。キースはパオリンの腕の中に居る猫を撫でる。

「パオリンが放さないのよ」
「だって…」
「私も抱きたい!そして抱っこしたい!」
「え、アンタ話聞いてた?」

なんてことだ。ここに僕の味方はいないのか。

ジト目で見るネイサンの視線も気にせずキースはパオリンに視線を合わす。

「次は私に抱かせてくれないだろうか?」

パオリンの泣き顔も武器だが、キースの笑顔も武器だ。有無を言わせないキースの雰囲気にパオリンは腕の力を弛める。

「あっ」
「おっと!」

その隙を見てイワンはするりと抜け出した。振り向くとキースが捕まえようとしていたので擬態も解かず一目散に出口へと向かう。
ちょうど、トレーニングセンターの自動ドアがアントニオによって開いていた。

「いけない!バイソン君!捕まえてくれ!」
「あん?…おぉっ!」

どうやらキースはこの猫が本物で擬態したイワンだと気付いていないらしい。とっとと擬態を解いたら良いものを追いかけられ逃げることに必死になって失念していた。

アントニオの足元をすり抜け閉まりかけた自動ドアに体を滑り込ませた。

「おいなんで猫がいるんだ…?」
「逃げられてしまった…。すまない、本当にすまない」
「いいのよ、あれ折紙だから」
「えっ」
「あー、またやってくれるかなー」
「さ、もうトレーニング始めるわよ」
「はーい」




トレーニングセンターを出て追っ手が来ないことを確認してイワンは大きく息を吐いた。猫の姿のままとぼとぼ歩く。

なんとなく走って逃げた手前すぐに戻る気にはなれなくて、自販機の横に置かれたベンチの下にいた。元から狭いところや隅っこが好きなイワンには居心地がよかった。シュテルンビルドの景色も楽しめるように置かれたベンチは日当たりもよくぽかぽかしてる。

「…なんでこんな所に猫が」

その声にイワンは体を強ばらせる。見上げるとそこにはバーナビーが驚いた表情でこちらを見ていた。

ヤバいと思い擬態を解こうとしたが、ベンチの下に居るためそういう訳にもいかない。
どうしたものかと考えていたらバーナビーがしゃがみこみ舌をチチッと鳴らしこちらに手を差し出して来た。

「おいで、こんな所にいても食べ物なんてありませんよ」

意外だった。
てっきり無視するか、用務員に捕獲するように告げるかと思ったのだ。

「おいで」

こんなに優しい顔をする人なのかとイワンは驚きで動けなかった。イワンの知るバーナビーはいつも眉間にシワを寄せ険しい表情をしているか、ファンの前での営業スマイルを張り付けていた。

こんな表情知らない。

ジリジリと距離を詰められ気付いた時にはもう体を捕まれていた。

「つかまえた」

ふわっと体を抱えられる。パオリンのと比べて体の負担が少ない。慣れているのだろうか、喉元擽られつい気持ちよさに目を閉じた。

「せっかくの白い毛並みが台無しですね。セキュリティも甘ければ掃除も甘い」

そう言って体に付いたホコリを払われる。

「ニャー」
「どういたしまして」

このスーパールーキーは猫の言葉もわかるのか。

年上の後輩の能力に驚き顔を見るとバーナビーも返事をするように微笑み返された。
本当は擬態を解いて謝るべきなんだろう。トレーニングセンターに行ったら猫は自分の擬態であることなんかすぐわかる。しかし、イワンはこの腕の中に何時までも抱かれていたいと思った。

「ニャー」

離れたくない、喉をならすとバーナビーが顔をすり寄せて来た。その時、偶然にも唇と唇が触れてしまった。事故とはいえ固まるイワン。バーナビーは気にすることなくイワンの耳元に唇を当ててきた。

「ニャウ…」

耳元に当たる息にゾクッと毛が逆立つ感覚がする。嫌悪ではなく緩い快感だったがイワンはバーナビーの中で暴れ飛び出すとまた走った。

「残念、また会いましょう」

バーナビーは追いかけることなくトレーニングセンターへ向かった。




なんだあれ、なんだあれ。
色々なんだあれ。

イワンは男子トイレの個室で擬態を解き頭を抱えた。

混乱する頭で整理する。
バーナビーが猫好きな所。猫にも敬語とはもはや口癖のようなものなんだろう。
凄い柔らかく笑う所。見たことなくてまだドキドキしている…。

「あー、なんで…」

ガシガシと髪をかきむしる。

こんなドキドキしているのだろう。

落ち着け。自分はバーナビーさんの意外な一面を見て驚いてるだけだ。このドキドキは驚きであってトキメキではない。

そんなはずない。

「落ち着けイワン・カレリン…。心を無にするんだ…」

心を無に…。

「むうううりいいい…!」

イワンは午前中トイレに籠り続けた。




「あれっ?折紙は?」
「先輩ならさっき逃げられちゃいました」





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猫好きなので猫の話。
恋愛の距離の詰めかたと猫への距離の詰めかたってにてるなって。
優位に立ちまくるバーナビーさんが好き。



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