『そんな無茶はやめろ』
『まだ子供なんだから』
時々、動けなくなる。
固く固定されて、止められて。
自由を、なくさせられるような。
――それに、絶望したくなる。
治癒魔法が腕に浸透するような感覚と同時に、腕の痛みは和らいでいった。
手際のよい動きで、白衣を着た女性はギブスを嵌めていく。
いつもながら、強い色香を匂わせるような真っ赤な唇が、その白衣とは酷く不釣り合いだと彼は思った。
「何度目かしらね、貴方にこうするのは」
「さぁ、かなりになりますね」
女性は保険医だった。かなりの頻度で怪我をして、この保健室へと来る彼は、いつの間にか彼女とは随分馴染んでいた。
ギブスが嵌め終わると、その所為で腕が動かないことを実感する。
治癒魔法で、骨折程度などは治るし、動かせるようになる。しかし、魔法はあくまでも体の治癒力を高めて治しているのであり、負荷を掛けすぎれば直ぐにまた痛む。それゆえに、ギプスを嵌める必要があった。
「今度は何したの?」
くすり、と赤い唇を吊り上げて笑う彼女に答えようとした。
しかし、口を開こうとした瞬間に、廊下から聞こえて来た激しい足音に、保健室の入り口へと視線を向ける。
「ちょっと、また骨折ですって!? 何したのよ、アンタはー!」
他には誰もいないとはいえ、仮にも保健室のドアを勢いよく開け、叫びながら入って来た少女。彼は、そんな自分の幼馴染に溜息を吐いた。
もう、自分の怪我を知ったなんて、いつもながら耳が早い。
「ああ、ドラゴンと闘ってだよ……ドラゴンって言っても、下等なのだけど」
「なんで、下等でもなんでも、一介の魔法学生がドラゴンと戦うことなんかになるのよーっ!」
「森で修行してたから」
「危ないことはするなって、何度もっ!」
「強くなりたいんだよ」
喚くような声に、はっきりと答える。
強い意志が宿ったその声に、少女が言葉を飲むのがよく分かった。
「ッ! こ、この馬鹿ーっ! アンタなんかもう知らないっ!」
少女は力任せに彼の頬を叩くと、保健室から逃げるように出て行った。
彼は、自分の頬に手を当てる。
赤く腫れたそれは、痛かった。それは、少女の痛みでもあるような気がした。
少女が泣き出しそうなことは、彼にも分かっていた。彼女はいつも彼を心配していた。
――それでも、彼は止めるつもりはない。それは彼の目標であり夢であったのだから。
少女にも、それを分かって欲しかった。結局いつも、どうやっても分かってもらえないのだが。
「貴方の目標って、大魔導士さまだっけ? だったら、ドラゴンと闘うくらいじゃまだまだ足りないわよね」
彼は、投げ掛けられた声に俯いていた顔を上げる。
それは、少女とのやり取りには口を挟まず、ただ見ていただけの保険医の声だった。
煙草を口にくわえて、彼女は視線をこちらへ向けていた。
「あれ? 俺、話しましたっけ?」
「この前、倒れた時にうなされてたわよ」
彼女は尚も、興味深げな視線を向けている。つり上がった赤い唇が、愉快そうだった。
大魔導士。それは、この国に名を残す、肩を並ぶ者がいない程の魔力の持ち主だ。
彼は、幼い頃から絶大な魔力を持っていた。ほんの少年にも満たぬ頃から、国を支えたという。その功績は類をみない程だ。
魔導士という位はあれど、大魔導士などという位はない。それにも関わらず、その力を称えて人々がそう呼んだ。
――それ程の、偉大な人物。
「大魔導士さまと自分の力量の差、分かってる?」
「ええ、そりゃ。もう死んだ人間ですから、正確には比べようがありませんけれどね」
「それでも目指すの?」
心の中で、その言葉を反芻する。
それは、幾度となく自身が問い続けてきたものだった。それでも、幾度問うても答えは変わらない。
意志の籠った瞳で頷くと、彼女の笑みが濃くなった。
彼は、予想外の反応に、虚を突かれたように彼女を見た。
「止めないんですか?」
「ん? 止めないわよ。魔法が強い若者が増えるのはいいことよ。今の国の魔導士のレベルは低すぎだもの」
「でも、教師なら生徒が危険なことを……」
「いいの、いいの。男はそれくらいじゃないとね」
教師らしくない言葉に、彼は瞠目した。
大人達は、誰もが彼を止めた。無謀だと、無意味だと。教師など、その最たるものだった。
誰も、分かってくれなかった。
自分を止めて、縛りつけるように、動けないようにするだけで。彼の気持ちなんて、彼の求めているものなんて理解しようとしてくれなかった。
「また、ギブス嵌めてもらいに来ますね」
彼は、座っていた椅子から立ち上がる。
視界が、少しだけ変わったような気がする。
「今度は何するつもり?」
「とりあえず、あのドラゴンを倒さなきゃです」
そう、彼は前を向いて笑った。
晴れやかな笑顔だった。
2009.12.6