川の岩で根を張る苔に、蹴りを入れる。
効果があるのかは分からない。それでも、私は繰り返す。
こんなものが存在するから、私は馬鹿にされるのだ。私は自分が嫌いなのだ。なくなってしまえばいいのに。
一際、勢いよく足を振り上げると、水飛沫が散るのと同時に、後ろで結いあげた髪が大きく揺れた。
僅かに視界に入ったそれに、私は不快感を隠すこともせず表情に出す。
自分の髪が、大嫌いだった。ずっと昔から、そしてこれからもずっとそうだ。
艶と腰のある、うねりの一つも見当たらないストレートヘアー。それだけ聞けば、羨む人間も少なくないだろう。
けれど、私は幼い頃から馬鹿にされていた。苔色の髪、と。
苔色の地味な髪。いや、地味なのが嫌なのではない。これならば、黒の方がずっといい。苔、というもののイメージが良くないのだ。
暗くて、じめじめしていて、それでいて邪魔なくらいに広がる。
馬鹿にされ続けて、私はいつしか俯くようになった。人と会うこと、人の表情を知ること、人と目を合わせることが怖くなった。
年頃というのにも関わらず、そういった私を心配した両親が、勝手に見合いの話を持ってきた。その日は、今日だった。
しかし、行く気になんてなれない。約束の時間は遠に回っているが、人と――まして見合い相手として異性と会うなんて、私に出来る筈がなかった。
……つまり、私はすっぽかしてここで苔に八つ当たりをしているのだ。
「こんにちは」
「!」
唐突に掛けられた声に、私の体は大袈裟なくらい飛び跳ねる。
水面は、私の後ろに人影を映し出していた。人の顔まで分かるくらい鮮明に映すそれに、私は固まる。
その映し出された顔に、見覚えがあったからだ。以前、親から見せられた写真の見合い相手だった。
「リリーさんだよね? どうしたのかな?」
問う声に、怒気は感じられない。それでも、普通なら怒っている筈だ。
何の連絡もなく、すっぽかしたのだ。
今更ながら、なんて子供染みたことをしてしまったのだろう、と思う。親にも恥をかかせ筈だ。
「……わたし……」
それでも、何から言葉にしていいか分からず、私はただ震え、俯くことしか出来ない。
そんな本当呆れるしかないような様子の私に、男は近寄り、私の髪に手を伸ばした。
馬鹿にされる、そう思った瞬間には、綺麗に結いあげた髪は跡形もなくばらされた。
――私は、息を詰める。
少しでも、まともに見えるようにと流行の髪型を必死になって結えるようにした。不器用ながらも、時間を掛けて結った。
それが、こんな風に……。
揺れる苔色の髪が、酷く惨めだった。
私は、ただ俯くことしか出来なかった。
男に文句を言うことも出来なかった。ここにいることだけでも、怖かった。
「君に、そういうのは似合わないんだ」
けれど、どれくらい経ってからだろう、暫く経った後に再び声が掛けられた。次いで、頭に乗った不思議な感触。
男が綺麗な笑みを浮かべて、指差した方向――池へと私は視線を向けた。
僅かに揺れるその水面に、私の顔が映し出される。
そこに映った私の頭の上には、花で編んだ冠が載っていた。男が、さっきのほんの僅かな時間で作ったのだろうか。
「ほら、もっとちゃんと顔をあげてごらん」
男に言われるままに、頭が見えるか見えないくらいだった顔を上げる。
私の髪は、華やかに巻くことも、結いあげることも、されていなかった。単に、花で作られた簡素な花冠が乗っていただけだ。
しかし、何故だろう。それだけなのにも関わらず、美しい、そう思った。
艶やかに流れるような髪に、素朴な花。嫌いで仕方なかった苔色の髪が、不思議なくらい綺麗に見えた。
「そう、前を向いて笑って」
「え……」
「初めまして、僕はダニエル。君は――?」
青空を映し出す水面の上では、緑色の苔が太陽の方を向いていた。まるで、生き生きと胸を張るかのように。
その光景を、初めて、私は綺麗だと思った。
――私は、一歩踏み出す。
END
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