28.遠くへ




 頭上を仰ぐ。澄み渡る空は、何処までも続いていくかのように、遠く広がっていた。
 この空は、何処まで続いていくのだろう。果てがあるとしたら、それはどんな場所なのだろう。
「何処か、遠くへ」
 そんなことを考えていると、消え入りそうな呟きが零れ落ちた。
「え? 何か言った?」
 隣にいた友人が、こちらに視線を向ける。
 僅かな沈黙の後、同じ言葉を繰り返す。
「何処か、遠くへ行きたいなって」
 ……そう、思ったの。
 言葉尻はすぼまっていく。それでも、言葉にすればするほど、先ほどよりももっと、その気持ちが増したような気がした。
 広い青空を、もう一度仰ぐ。
 ここではない、何処か別の場所へ行きたい。なんのしがらみもない場所へ行きたい。そんな感情が湧き上がってくる。
 当たり前のような毎日が、当たり前のように過ぎ去っていく。凡庸に、平坦に、感動もなく。それでも、心に巣食う不安は、数え切れない。
(二年後の私は、ちゃんと就職しているの? 私なんかが、社会に出られるの? その前に、卒論は終わる? 卒業出来る?)
 駆け足で過ぎていく日々に、心は焦るばかりで。何処から手を付けていいかも分からず、ただ道導もない荒れ地に放り出されたような気持ちになる。
 親の加護の下、ただ無邪気に過ごしてきた日々が、どれだけ安寧の内にいたことか。
 子供じゃない。でも、まだ大人になんてまだなれそうもない。それでも、ならなければいけない。あの頃に戻りたい、そんなことを思う。
 ただ、夢を語るだけで良かった幼い頃の自分。夢をみて、願うことが出来た自分。その頃の自分は、なんて暢気だったのだろう、世間知らずだったのだろうと思うが……それでも、眩しいとも思う。
 今はもう、夢や希望をかき集めようとしても、一つとすら残らず、指の間から零れ落ちてしまうかのようで。
 ただ、何処か遠くへ行きたかった。なんのしがらみもない場所へ。ただ、幸福だけがある場所へ。

「そこに、君の望むものはあるの?」
 視線が交わる。黒曜石のような黒い瞳は、まるで私の心の内を見透かしているかのようだ。
 それに耐え切れず、無言のまま私は視線を落とす。僅かな沈黙の後、私は小さく首を振った。
 そう、彼の言う通りだ。ある訳がない。それは、逃避でしかないのだから。
 ここが、今が、嫌だから何処か違う場所へ、と願うだけだ。何かがそこにあるからではない。そんな理由では、満たされる筈がないのだ。
「ここだけ、なんだよね。私達が生きていくのは」
 戦っていくのは。
 苦しいのも、楽しいのも……今、ここで生きているからだ。なんの苦しみもない、夢の世界なんてある訳がない。
 何処か、遠い場所なんかじゃない。ここで、なんだ。

「ちゃんと就職出来たら、何処か遠くに旅行しよっか」
 逃避なんかじゃない。遊びに行くんだ。それまで頑張った自分へのご褒美として。
 澄み渡る空へと掌を伸ばしてみる。
 青空は遠く、届かない。それでも、頑張れそうな気がした。





END

2010.11.28


*****
何処まで行けるのかな。翼のない、この足で。

目次 Top

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -