26.棘




 薄明かりの中、ただ静かにグラスを傾ける女性は、まるで薔薇のように美しかった。
 触れれば刺さりそうな棘を持ち、それでも圧倒的な存在感を纏いその空間に君臨していた。

「お隣、よろしいですか?」
 男の声に、女性が手にしていたグラスの中でカクテルが揺れらめく。
 薄明かりを受けて煌めく、アイスブルーのカクテル。海のような色は、その女性の瞳の色と同じで、よく似合っていた。
「席は沢山、空いていてよ?」
 女性は、視線だけをこちらに向ける。
 もう夜も明けるような時間。バーも閉店間近で、人もまばらだ。
 男も、そんなことは分かっている。あえて、この女性の隣に座ろうとしているのだ。
「せっかくですから、美しい人を愛でながら飲みたいではありませんか」
 男は、整った顔で甘い微笑を浮かべる。
 口から出てくる言葉は、意識しているわけでもない。ただ出てくるままに言葉にして紡いでいるだけ。
 男にとって、美しい女性を賛美するのは、至極当然のことだった。声をかけるのも、口説くのも。
 本気で熱を上げているわけではない。それは男にとって呼吸をするのと同じくらい自然なことなのだ。
 男は、その隣の席に腰を下ろす。
 微笑みを称える瞳にあるのは、己への自信だ。女性に拒絶されることなど、男は全く考えていないのだ。
(なんだかな、俺も何をやってるんだろう)
 甘い微笑を浮かべながらも、心の中で考えるのは違うこと。
 この女性も、きっと自分に好意を抱くだろう。そう考えて、男は心の中で溜め息を吐いた。
 綺麗なだけの女性は沢山いる。だが、誰も男の心の底からの関心を得ることはない。
 美しい女性を愛でるのは楽しい。だが、恋人にしたいとは思わないし、執着も感じない。次にまた会いたいとも思わないのだ。一度きりの会瀬、一度きりの関係。それ以上は望まない。

「綺麗な髪ですね」
 愛でるように、その輝く髪へと手を伸ばす。
「気安く触らないで下さる?」
 しかし、その紅の唇から出てきた言葉に、小さく息を詰めた。こういう反応は珍しい。
 いつもと違う反応に、おや、と男は女性を見つめる。自尊心の高い女性なのかも知れない。
「これは失礼。綺麗な薔薇には棘があると言いますね」
 冷たい横顔。まるで薔薇の棘のようだ。
 それがまた、彼女の美しさを際立たせる。
「陳腐な喩えしか出来ないのね」
 男と視線を合わそうとしていなかった女性が、真っ直ぐに男の瞳を見つめてきた。
 その瞳が。その紅の唇が。こちらを挑発する。
 媚びるような色ではない。真っ直ぐにこちらを見つめる強い瞳は、寧ろこちらを試すようなもの。
(……な)
 ゾクゾクした。
 女性にこんな風に軽くあしらわれたのは、初めてだった。
 男は、ただ女性を見つめた。

「いつもここのバーで飲んでいらっしゃるんですか?」
 初めて男は、女性と次に会うことを考えた。
 女性は問いに答えず、緩く微笑を浮かべた。その横顔から、瞳から、目が離せなくなった。






END

2011.7.31

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