22.カミサマ




「この場所は、そのようにしていて良い場所ではありませんよ」
 凛、と透き通るような声に、私は瞳を開く。先ほどまで自分一人しかいなかった筈だが、いつの間に来たのだろう。
 瞳を開けば、修道服を着ている少女と目が合った。私を見下ろす少女は、本来ならば穏やかそうな顔を酷く強張らせていた。
 まぁそれも、当然だろうな、と人事のように思う。
「聞いているのですか? ここは、神聖な場所なのです」
「はいはい、すみませんでしたねぇ」
 非難めいた声に形だけ謝罪して、長椅子に寝転ばせていた体を起こす。ふてぶてしい私の態度に、少女の眉が僅かにつり上がるが気にしない。
 体を起こしたことにより、見えている景色が一気に変わる。その結果、少女の向こう側にある、この世界の創造主だとかいう存在の像が視界に入ってきて、私は顔を歪めた。
 ここは教会だ。その全てが、神を賛美し祀るために作られたもの。
 敬虔な信者の少女にしてみれば、私のような態度は言語道断という所なのだろう。言外に、神の御前で、と含まれている気がするのは気の所為ではない筈だ。
 だが、わりと私にとってはしょっちゅうのことだ。この少女に会ったのは始めてだが、今までも多くの人間に同じようなことを言われてきた。

 孤児だった私はこの教会に拾われ、ここで育った。
 当然、教会の教えを受けることになる。だが、シスター達の、厳しい教えや戒律。形ばかりのそれらは、私にとって単に押し付けでしかなかった。
 押し付けでしかないものに、意味など見出だせる筈もない。だから、私にとって、この場所は――この場所どころか、『主』も何の意味も持たない。
 だって、何を信じろと言うのだ。押し付けている本人たちこそ、信じている訳ではないのに。ただ、教義を守るだけ。本当の信仰など、誰も持っていないのに。
 馬鹿らし過ぎる。そんな何かに縋らなければならないほど荒廃した世界ならば、壊れてしまえばいいのに。
「カミサマ、ねぇ」
 吐き捨てるように呟いてニヒルな笑みを浮かべると、少女の視線が一層きつくなる。
 彼女が絶対的だと思っている存在を馬鹿にしているのだ、当然だろう。だが、私だって絶対的に神など存在しないと思っている。
「馬鹿じゃないの、アンタ達みんなさ。祈って、教えを守って、何か変わった? ねぇ、ちゃんと現実みてる? この世界の。カミサマがいるならさ、どうしてこんなに世界は荒れていくの? 自分の作ったものを壊すの? カミサマに祈ったら、この世界は変わった? 違うでしょ」
 神聖な筈の空間に、響き渡る嘲笑。それは、酷く否定を孕んでいた。
 ここにいる人間は、みんな俗世から逃げて来たようなものだ。
 信仰という殻に籠り、世界の状況からも国の状況からも目を背けて、己の安寧のために生きているだけ。こんなにも世界は荒れ果てているというのに。
 そんな人間達の言葉に、何か人を動かす力などある筈がない。
 蔑むような視線を少女に向けるが、そんなものは意味がないだろう。盲目的に信じている人間に、他人の言葉など届きはしないのだ。
 たったそれだけの動作すら――否、感情を向けることすら面倒になり、私は彼女に背を向け、歩き始めた。

「自分を越えるような大きな存在が、存在しないと思うのですか?」
 だが、扉まで来たところで投げられた声に、反射的に足を止めて振り返る。
 馬鹿馬鹿しい、そう呟こうとして、静寂に潰された。
 不愉快なほどに静謐な空気が流れる。
 少女の言葉は、私の問いに対する答えに全くなっていない。だが、何故かそう反論する気にはなれなかった。
 少女は、それ以上責めてはこなかった。だが、ただ一言、
「哀れな方ですね。疑うことしか出来ないなんて」
 そう、呟くように言った。
 それは、ただ零れ落ちただけのような声だった。雫が零れ落ちるようにほんの些細なもの。それにも関わらず、この聖堂内にはよく響いた。
 そうして、少女は私に背を向けた。まるで、もう私などここにはいないかのように。ただ、中央で床に膝を付き、祈り始めた。
 馬鹿にされたような気がして、悔しさに唇を噛み締める。毒づこうと口を開く。
 ――だが、出来なかった。
 ステンドグラス越しに少女を照らす光。溢れんばかりのそれを一身に浴びる様子は眩しく、あまりに神々しくて。
 まるで、少女が光に愛されているかのようにも感じられて。
 ただ、一心に祈る姿はとても眩しかった。
(ああ、この子は本当に信じているのかも知れない)
 この世界の中で。こんな荒れ果てた大地の世界で。
大地だけではない、教会も人間も腐敗したような、神の加護など微塵も感じられぬような世界で。
 それでも、ただ自分を越える大きな存在を信じ、目に見えないものを信じ、救いを信じ、世界が変わることを信じて――。

 酷く羨ましく思えた。
 どうして、こんな状況の中で、それでも何かを信じていられるのだろう。
 目に見えない、感じられもしない存在を、不確かなものを、微かな迷いもなく信じていられるのだろう。
 私は、ただ真っ直ぐで、美しいその背から目が離せなくなった。
(ああ。私は、本当は信じていたいのかも知れない。カミサマという存在を)
 誰かに信じさせて欲しくて、でも誰も信じさせてなどくれなくて。
 だから、ニヒリスティックに生きるしかなかったのかも知れない。

 そう、その背を見て思った。




END

2011.9.19


*****
一応、True Roseの世界での話のつもりなのですが、なんとなく微妙に合わないかも。 


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