16.悪魔になる




 ――恋人が、死んだ。


 雨空の下、集う人々は、一人の女性を弔う為にこの場にいた。
 視線の先では、女性の遺体の入った棺が、墓へと埋められようとしていた。
 流れる涙も、漏れる嗚咽も、雨音に消えはしない。降り付ける雨よりももっと強く、その嘆きは墓地に響き渡る。
 悲しむ集団から少し離れた場所に、男が一人ぽつんと佇んでいた。その瞳に涙はない。
(何故だ?)
 彼は、乾いた瞳で、恋人の入った棺を見つめる。
(死んだだと? そんな、馬鹿な)
 彼女が、死ぬ筈などない。彼女が、死んでいい筈などない。
 彼には、彼女が死んだことなど認められなかった。
(ああ、彼女を取り戻せるなら、悪魔に魂を売り渡してでも……いや、自分が悪魔にでもなってやるッ!)
 どんな犠牲を払ってもいい。ただ、彼女がいれば。
 それが、彼の決意だった。





「これで。これで、彼女を生き返らせるぞ」
 薄暗い部屋の床に描いた魔方陣。その上には、幾人もの拘束された人間。
 今から行おうとしているのは、彼の長年の悲願であった死者蘇生の魔術だ。
 死者蘇生は、禁断の魔術とされている。何故なら、それは自然の摂理に反するからだ。限りある寿命、一度切りの命、それが人の定め。人はそう言う。
 だが、その方法を探し、見つけ出した彼は、そんなことは詭弁なのだと思う。
 死者蘇生の魔術に必要なもの、それは生きた人間だった。倫理に反する。それ故に、禁断の魔術とされていたのだろう。

 複雑な魔方陣と、生贄の人間を前に、この十数年を彼は思い返す。
 長く、大変な道のりだった。禁断とされているが故に、試みた魔術師はいたに違いないが、その方法は完全には何処にも記録されていなかった。どの書物、記録を見ても中途半端にしか書かれてはおらず、その魔術理論を確立するだけでも数年という月日を費やした。来る日も来る日も、書物や机に向かっていたにも関わらず、だ。
 だが、それも、これで終わりなのだ。今、彼は全ての準備を整えた。これで、恋人が甦る。
 口を縛り、手足の自由を奪った生贄が、彼の視線を受けてより一層必死にもがく。
 その顔に浮かぶ、悲愴と怯え。彼は、自分は許されぬことをしているのだと、ぼんやりと思う。悪魔と罵られるに相応しいだろう。
 それでも、彼は良かった。ただ、彼女を取り戻したかった。彼にあるのはそれだけだ。愛しい恋人、それが彼の全てだった。

 彼は、呪文を唱える。
 唱え終わったと思った瞬間、光が、爆ぜた。





「成功、したのか!?」
 眩しくて瞑った目を恐る恐る開いていく。その、ほんの一秒すらもどかしい。ただただ心がはやる。
 だが、瞳を開けて、彼は固まる。彼女の姿を確認しようとした彼の瞳に入ってきたのは、彼が切望した恋人ではなかった。黒衣に身を包む、見知らぬ男
「なっ!? なんだ、お前はっ!」
 声が荒くなる。
 周囲には他に、誰もいない。魔術に使った生贄は、無残な姿で死んでいる。ならば、彼女が生き返り、彼に微笑みを浮かべている筈だった。
 それなのに、そうではない。魔方陣の上にいるのは、黒衣の男。
 男は、ただ静かにこちらへ瞳を向けている。その瞳に浮かぶ感情は侮蔑、そして、何よりも悲哀だった。
「哀れな、男だ」
「なん、だと?」
「哀れだと言ったんだ、禁断の魔術に手を出すなど」
 それは、呟くような声だった。響く低音に、激しさはない。
 誰に罵られても、彼は構わぬと思っていた。それなのに、糾弾でもないそのただの呟きに、重みを感じる。
「私は、悪魔だ。禁断の魔術を使ったお前を、悪魔にする」
 何を言っているのだと。男の言葉、その意味を彼は問おうとした。
 だが、そこで、その意識は途絶えた。





「本当に、哀れな男だ」
 薄暗い部屋に一人残った男は、静かに呟く。
現実に・・・、悪魔となるなど。そして、未来永劫、禁断の魔術を使った人間を悪魔にすることになるなど」
 禁断の魔術を使った人間の行く末、それが悪魔。
 悪魔には、寿命がない。未来永劫、大切な者の欠けた世界を一人で生きていかねばならない。そして、自分と同じように、大切な人間を失い、蘇らせようとした人間の下へ行き、その人間を悪魔と変える。
 永遠に、だ。倫理も道徳も全てを捨てても尚、取り戻したいと願った者を欠いたまま、彷徨さまよい歩く。
 他者からの糾弾も、断罪もない。だが、これ以上の苦しみが、罰が、何処にあるというのだろうか。
「これは、罰であり、償いだ」
 誰にともなく呟いた、否、零れ落ちたかのような言葉は、薄闇に消えていく。
 男は、悲しげに……だが懐かしげに、愚かな一人の男の描いた魔方陣を見つめていた。





END

2010.12.12

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