▼駄々を捏ねてみた爆豪弟


「こんなどうしようもない奴だけど、みっちりしごいて良いヒーローに……」
「嫌だ」
感動の場面に失礼。居間の扉を開いての第一声で、理汪は短くハッキリと、拒絶の言葉を口にした。
両親と兄、兄の高校の教師二名からの視線を一身に受けながら、早足にソファの背面に回り込んで、両親に挟まれて座っていた兄の身体を引き寄せる。
「いや、です!」
そのまま、背もたれ越しに兄を抱きしめても、これといった抵抗はない。いつだって我が道を行く爆豪勝己はどこへやら、彼は先ほどから見えない疑問符をとばして硬直してしまっている。
呆けているのは勝己だけではない。父も母も、理汪の登場とその発言にぽかんと口を開けて、黙り込んでいる。
その隙を逃すことなく、理汪はソファを乗り越えると、勝己の腕を引いてその場を退散することにした。未だ疑問符の量産から復帰できていない勝己はされるがままだ。靴を履いて玄関を出てもその状態は変わりなく、ようやく勝己から「理汪」と声がかかったのは、近場の公園にたどり着いた頃であった。
「……お前、何してんだ」
「いや、勝己くんこそ何大人しくついてきちゃってんの?」
「あ?」
声がワントーン低くなる。ここから不機嫌が増す前にと、理汪は肩を竦めて笑ってみせた。
「雄英に兄さんを取られそうだから俺が先に取ってみちゃった」
「……反対なんか」
「んー」
先ほどのガラの悪さから一転、問いかけは随分と静かだ。外からはどうにも荒々しい印象を受けがちな兄だが、ここまで弟の手を振り払おうともせずにいることからも分かるように、案外穏やか……というと語弊があるが、まあ凪いだ空気を纏っている時間も多い人なのだ。
「雄英が信用できねえのか」
「いやー、一番信用できるんじゃないかなー」
「……じゃあ何だってんだ。ハッキリ言えや」
「勝己と会えなくなるじゃん。それは嫌だよ」
握った手をそのままに、ぶんぶんと手を振って歩いてみるが、不気味なほどに抵抗がない。逆に心配だ。本人なりに心配をかけたことを反省でもしているのだろうか。
もしかして今なら何をしても許されるのでは。
そんな好奇心に突き動かされるがまま、理汪はくるりと振り向いて兄と両手ともを繋いでみる。抵抗がない。そのままぷらぷらと右へ左へと両手を揺らしてみる。やはり抵抗がない。せっせっせーのよいよいよい、にすらされるがままの様子を見るに、やはり抵抗の意思は皆無のようだ。
「…………アルプスする?」
「誰がするか」
「えー、じゃあ……」
「理汪」
所在なくゆらゆらと遊んでいた両手がついに制される。両腕を揺らそうとしても、兄の腕力に負けてぴくりとも動かせない。短い天下であった。などと考えている間、真正面から勝己の真剣な視線が向けられていることには気づいていたが、微妙な気まずさを理由に手元に視線を逃してみる。
しかし勝己からのまっすぐな視線の気配が消えることはなく……しばらくの沈黙の後。
「悪かった」
短い謝罪を投げかけられて、理汪は「うん」という二文字を返した。
「そんだけか」
「えー……うん」
「こっち見ろや」
「うん」
見ろと言われたので、素直に顔を上げて兄を見返す。しかし勝己はご満足ではないようで、眉間にしわを寄せて不満を露わにした。
「うんしか言わねーな」
「えー」
「…………」
「揚げ足取ったんじゃないよ。この二つ汎用性が高くてつい……っていうか何を言って欲しいの?」
「思ってることがあんなら言え」
「……無事でよかったなー?」
「他は」
「えー……別に」
「あ?なんかあんだろ」
「むしろあって欲しいの?」
「お前が何も言わねえから聞いてんだ」
「だから別にって」
「……」
「うわ圧がすごい。えー。……えー、心配だったとか、そういうやつ?だったら母さんから嫌ってほど聞かされてんじゃん」
「繰り返しでもいいっつってんだよ。思ってんなら言えやグズ」
「ええー……そんなに責められたいんだ……もう十分わかってること繰り返してもなあ……勝己が嫌な思いするだけじゃん。そういうの俺いやなんだけど……」
一度目をそらしてから、ちらりと様子を窺いなおしてみる。残念、引く気のない視線だ。
理汪はわざとらしくため息をついてから、うんうんと考えて、遠慮がちに本心を口にしてみた。
「じゃあ……オールマイトみたいにはなってほしくないなあ、とか?」
「あ?……どういう意味だ。具体的に言え」
「笑顔で助けに来る勝己キモイなって」
「おい」
「あとはー。ほら、ああいう自己犠牲精神?世の中には自己犠牲推しの過激派もいるみたいだけどさ。そうは言っても……自己犠牲って、周知されてる時点で自分だけじゃ収まらないから」
オマケ程度に言ってみたが、結局のところはこれが本心だ。緑谷スタイルはとにかく勘弁。あそこまで行くともはや狂気の沙汰である。不可解そうな顔をした兄に、理汪は「俺、引子さんみたいにはなりたくないんだよね」と補足する。
これで伝わっているかは定かではないが、少しでも考えてくれれば儲けものだ。
などと考えている間に。
「爆豪勝己。と、爆豪理汪くん」
どうやらお迎えが到着してしまったらしい。
「……時期が時期だ。外出は控えるよう言われているだろう」
「うがー、勝己が取られる」
担任の登場で流石に両手の拘束は解けたが、勝己の好き勝手にされるのも癪なので、片手はわざとらしく繋ぎ直してみる。心底鬱陶しそうな目がこちらを見たが、逃がすまいと力を込めれば、振り払うほどの暴挙はなかった。結果的に、またしてもこの手が振り払われることがないというレアな状況。人前なのに。担任の先生なのに。
これはもしかすると、引子さんみたいになりたくない、が効いてるのかもしれない。言葉の意味するところを考えているのだろうか。そう深く考えずともそのままだ。泣いても泣いても止まってくれない満身創痍の我が子を見守ることしかできない、あんな苦行はまっぴらごめんという話である。
「ご両親が、君があんな駄々をこねるなんてと驚いていらっしゃった。君を説得しない限りは許可を下ろせないそうだ」
「マジすか。兄さん聞いた?勝己くんがクラスでぼっちの実家組になるかどうかは俺にかかってるんだって……どきどきするね!」
「アホか。ふざけんな」
「実家通学の爆豪くんとかいって苛められたらどうしよう」
「ぶっ飛ばすぞ」
茶番に返すつっこみの言葉は粗暴だが、語尾にエクスクラメーションマークの気配は感じない。ほとんど条件反射、それでいて少しばかり適当な返しだ。相澤先生も珍しいものを見たというご様子。
勝己は一度大きな舌打ちをして頭をかくと、ため息の後に理汪を見た。
「お前、とりあえず来年雄英受けろ。普通科でいい。……そうすりゃいつでも会えんだろ」
「てか毎日電話するし」
「鬱陶しいわボケ」
うわーん口だけの暴言が勝己の反省をありありと示しているー。心がいたい。
理汪は肩をすくめて相澤に向き合った。
「担任の先生ごめんなさい。本当はちょっと仕返ししたかっただけ。うちの兄さんが危ない目にあったのは本当だし」
「……そうか」
「でも電話しちゃ駄目って言われたら本気でゴネる」
「それは問題ない。自由にしてくれ」
「じゃ、いいや。かーつきくん、かーえーろ」
来たとき同様、手をぶんぶん揺らして帰路を辿る。「先生の前で手ぇ繋いで帰れたら色々許してあげる」と意地悪を言ってみれば、やはり舌打ち一つと軽い足蹴だけで、担任教師の数歩前を手を繋いで歩くという罰ゲームもあっさり受け入れて貰えるのだから、やはり今回の件に関する引け目は大きいらしい。
とはいっても、家族に心配をかけた、なんて単純な事象だけじゃ、ここまで素直な勝己が見られたかどうかはわからない。ここからは完全に推測ではあるけれど……きっとオールマイトの引退も、彼の心理状態には大きく関わっている。
それを考えて一瞬真顔になりかけるも、理汪はすぐに頭を切り替えて「ねえホントに毎日電話するよ?」とそこまで本気でもない宣言を口にした。
「出るとは限んねえ」
「あー。だよねー、ヒーロー科なんてこれからどんどん忙しくなるもんね。繋がらなかったら出久にかけよっかな」
「あ゛あ!?なんでてめーがデクにかけんだよ!」
「うわっ過剰反応……勝己、出久のこと意識しすぎじゃない。やっぱ俺より気になるんだ……」
「ねーわボケ!つーか何であのクソナードと連絡とってやがんだ。消せ」
「やーだよ。勝己と連絡つかなかったら出久しか中継役いないもん。観察日記送ってもらう」
「ふざっけんなお前!携帯寄越せや!」
「いやでーす」
「オイ、理汪!」
本格的に携帯を奪いに来る勝己から逃れるため、捕まえられる前に自主的に手を離す。頬をひきつらせた相澤を壁にするようにして立ち回れば、勝己はその数倍ほど頬をひきつらせて足を止めた。
その隙に、目の前まで迫っていた自宅へと逃げ込めばこちらの勝ちである。理汪は末っ子の特権、「母さん!勝己がー!」を発動して、素早くリビングへと駆け戻った。


   *


爆豪家のリビングでは、両親とオールマイトがのんびりとお茶を飲んで待っていた。病み上がりということもあって、オールマイトは待機という流れであったのだろうか。
「あら、早かったわね。話は付いたわけ?」
「しゃーないから俺が折れてあげたの」
「あはは!ホントあんたは聞き分けいいんだから。……でもね、文句言うんなら今よ。理汪、本当にいい?」
「うん。一人だけ自宅通学してる勝己想像したら泣けてきちゃって。疎外感すごそうでしょ」
玄関の方から遅れて戻ってくる二人の気配を感じながら、理汪は一足先に両親の間に腰を下ろす。すると母は手の届く範囲にやってきた理汪の頬を引っ張って「それはそうと、あんたお兄ちゃんを外に連れ出したことは反省しなさい」と目をつり上げた。
母には素直に従うに限る。おとなしくゴメンナサイをすればあっさりと頬は解放されるので、これができない勝己は損な性格だなあとつくづく思わされる。理汪は「わーい、今日から一人っ子」とおどけて背もたれに寄りかかり、微笑ましげなオールマイトをちらりと見やった。
その頃になってようやく、玄関の方から勝己と相澤が入室してくる。先ほどまで勝己が座っていた場所に腰を落ち着けている理汪は、歩み寄る勝己を見上げて、「おめーの席ねーから!」と朗らかに笑って見せた。直後には。
「遊んでんじゃねえ」
そういって早足に歩み寄ってきた勝己に、バシッと頭を叩かれる。さらにその直後には。
「弟を叩くんじゃないの!」
威力を数倍した平手で、今度は母がバシィィッと勝己の頭を叩いた。
「づッ……ってえなァクソババア!息子を叩いてんじゃねーよ!」
「このくらいで痛がってんじゃないわよ」
「まあまあ、二人とも落ち着いて……」
「うっせークソオヤジ!黙ってろ!」
「だからうっせーのはあんたでしょ、勝己ィ!」
きっとこれは、理汪がこの部屋に突入する直前まで繰り広げられていたであろうやりとりのほぼループ再生だ。のろりとオールマイトの隣に着席し直した相澤は、随分と疲れ切っているように見える。
大変そうだなあ、なんて他人事として眺めていると、その間にもヒートアップしている言い合いの中、理汪はふと勝己の足によって父の方へと追いやられた。思わずバランスを崩しそうになるが、そこは父に身体を支えられたことで事なきを得て、勝己は無理矢理あけたスペースに乱暴に腰を下ろした。当然、今の態度もまた母からのお説教の元である。

*